団塊オヤジの短編小説goo

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都月満夫の短編小説集2

「羆霧(くまぎり)」
「容姿端麗」
「加奈子」
「知らない女」

都月満夫の短編小説集

「キヨシの帰省」
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

「鴨の夫婦」について考える

2010-04-16 16:35:02 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

 

きょうの午前中、私は自宅前の小川に咲く水芭蕉を見ていました。

20044_049_2突然、頭の上から、バサバサという羽音とともに、ボチャンと鴨の妻が着水しました。

続いて、バサバサ、ボチャンと鴨の夫が着水。私の目の前で、仲良く、水草を啄ばみ始めました。川幅は1メートルほどです。私を人間だと思っていないのカモ・・・。

 鴨の夫婦は毎年訪れてくれます。でも彼らは昨年、一昨年、その前と、ずっと同じカップルなのでしょうか。

 調べてみると、マガモの最高寿命は29年だそうです。マガモは4~8月に一夫一妻で繁殖しますが、番の関係は抱卵期に解消するそうです。もしかしたら、毎年、相手が違うのカモ・・・。

 私は、毎年同じ夫婦だと願っています。私の目の前を、スイスイ泳ぐ、ご夫婦が毎年伴侶を取り替えているなんて思いたくありません。

 (羨ましいのカモ・・・。)

したっけ。

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「蛇信仰」について考える

2010-04-16 09:35:40 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

蛇は何故、人に恐れられ、そして畏れられたのでしょう。

足を持たない長い体や毒をもつことは「死」の予感として恐れられ、脱皮をすることから「再生」を連想させること、長い間餌を食べなくても生きている「生命力」などにより、古来より「神の使い」などとして畏れられ、各地でヘビを崇める風習が発生したのだそうです。

Photo_3蛇の抜け殻(脱皮したあとの殻)が「お金が貯まる」として財布に入れるなどの風習がありま す。昔はそういって蛇の殻を財布に入れている人はいましたが、最近は見かけません。また、漢方医学や民間療法の薬としてもよく使われています。蛇を酒に浸けたものを見かけます。Photo_2

Photo Photo_8  日本でも白ヘビは幸運の象徴とされ特に岩国の白蛇(しろへび)は有名です(国の天然記念物)」。また、赤城山の赤城大明神も大蛇神だそうです。

Photo_4 多数ある憑依霊の中でも蛇は縄文,弥生時代から続いてきた信仰に根ざした古いものだそうです。古代日本では蛇巫(へびふ)と呼ばれるシャーマンがいたようです。弥生時代までは女性が中心だったのだが,古墳時代になると男性シャーマンもいたといわれています。

古墳の石室の内壁には,よく幾何学模様が描かれています。

    三角形が連なったもの▲▲▲▲▲(頭、うろこ,縞模様)Photo_6Photo_5 

    菱形◇◇◇◇(うろこ,縞模様)

    同心円◎(蛇の目)

    渦巻(とぐろを巻いた姿)

こうした文様はすべて蛇の象徴として描かれたかれたものと考えられています。

古墳から出る埴輪には,ヘビ柄の紋様の衣Photo_7 装を着ている人物がかたどられたものがあるそうです。衣装的にも古代人は「蛇を着ていた」ようなのです。

 古代社会の蛇巫(へびふ)の仕事は集落の長老として,祖神である蛇を祭ることにあったのです。彼らは白砂の敷き詰められた神聖な庭に生きた蛇を這わせて,その這った跡を見て占いをしたり,山や海から蛇を捕獲したり,常時蛇を飼育したりしていました。

この風習をもった蛇巫(へびふ)の一族がその後祭祀から離れて凋落(ちょうらく)していき,憑き物信仰としての「蛇憑き」になっていったと考えられています。

間々田八幡宮と蛇祭り(じゃまつり)

Photo_9 2 栃木県小山市間々田地区では. 55日の「子供の日」に田植えを前にほどよい雨風を神仏に願い、悪病を追い払う行事、「ジャガマイタ」、「蛇祭り」という珍しいお祭りが繰り広げられる。

各町内では、竹・ワラ・藤ツル・シダなどを材料に約1か月前から約20メートルの蛇体を制作し、祭り当日八幡宮に集合する。そして八幡宮内にある池で水を飲み、「八大龍王」の幟を先頭に蛇体を担ぎ、「蛇がまいた、蛇がまいた、四月八日の蛇がまいた」と叫びながら町内を練り歩く。

かつては旧暦の48日に行われていたが、いつからか「子供の日」のお祭りになった。昭和39年(19641110日、県の無形民俗文化財に指定されている。

神社の拝殿や神木などに掲げられている『注連縄(しめなわ)』。標縄、七五三縄、〆縄とも書かれる。また年縄とも呼ばれる。これは神聖・清浄な場所を区画するために張られている。

その起源は古事記に『天照大神が須佐之男命の乱暴を畏れ天石屋戸に隠れた時、この天石屋戸のまえで天宇受売命らの神々が賑やかな宴を催した。これを怪しんだ天照大神が覗いたところ、傍に隠れていた天手力男神がその手をとり天石屋戸から引き出だした。そして布刀玉命が尻久米縄(しりくめなわ)をその御後方(しりへ)に引き渡して「ここより内に戻れませぬぞ」と告げた。』と書かれている。

注連縄(しめなわ)』は、この『尻久米縄(しりくめなわ)』に由来すると云われている。

神聖な伝承に於いて、天照大神が「しりくめ縄を引き巡らされる」・・・この意味するものはいったい何だろうか?

この「天の岩戸伝説」を解するに「異民族同士の誓約(うけい)儀式の顛末伝承」と考えれば「尻久米(しりくめ)縄」に神代誓約(じんだいうけい)儀式の「現実的な意味が込められている」とも解釈できるのである。「尻久米(しりくめ)縄」の、しりくめ」とは「尻()()」こと、つまり交尾だということになる。また、久米(くめ)には出すという意味があり、「尻久米(しりくめ)」は「尻を出す」ことだとする説もあります。Photo_10 Photo_11

いずれにしても神代の当時は現在のように性を秘するべきものでは無く、民族和合の誓約(うけい)儀式や五穀豊穣の祈りの証明としての性交儀式は神聖なものとして捉えられていたのです。

日本の蛇信仰は縄文時代の昔より引き継がれており、縄文人が蛇に寄せた思いの源は何だったのだろうか。

    蛇の形体が男根を思わせること

    蝮などの強烈な生命力と、その毒で敵を一撃のもとに倒す強さ

    脱皮により生まれ清まる再生力

    性に対する憧れ、崇拝、畏怖、歓喜、それらが凝集して神与のものと考えられ、その象徴が『蛇』として捉えられた。

    縄文土偶の女神の頭に蝮を戴き、有頭(亀頭)石棒を崇拝はその象徴である。

    蛇がトグトを巻いた形姿から円錐形の姿をした山が信仰へ結びついた。

    正月の『鏡餅』は蛇がトグロを巻いた形であり、関西に多い丸餅は蛇の卵の造型。

それならば、「尻久米縄(しりくめなわ)」、つまり「注連縄(しめなわ)」はまさに蛇の交尾を象る(かたちどる)縄で、それ故に、もっとも神聖視されたのです。

※注連縄については下記の「神社の鳥居にとまる鳥は何なのかについて考える」を参照下さい。

http://blog.goo.ne.jp/tudukimituo1028/d/20090912

したっけ。

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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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