ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

工事中

2011-09-14 05:00:00 | 大阪にて
8月は6日から休んで次に出勤したのが22日、たかが2週間の休みですから、世の中そんなに変るものでもないですよね。

でも工事中の物件なら2週間も経てば、様子は一変していることも有り得ます。

             

このJRの下にトンネルを掘って、北と南を繋げる工事、例の段差のある道路のことなのですが、何が変ったって、周りに塀を廻らし、中を見えないようにしただけのように思えてなりません。実際には何らかの工事が行われて、何がしかの変化があるのでしょうが、周りには見えていません。

こんなにゆっくりしていては、人件費が嵩むばっかりではないかと思うのですが、道路を造る工事ってこんなものなのでしょうか?

             

段差もそのまま、こんな道路は通れるわけがありませんから、またコンクリートを流し込むのでしょうが、ずっとこの現場を見ている者にとっては、悠長なことをしているように思えてなりません。

相変わらず残っている工場はそのまま、私の予想に反して、新しく建った棟には引越ししていません。

             

ここは例の値上げを度々重ねてきたパーキング跡に建つ予定の養護施設の建設現場、当初から塀で囲ってしまい、辺りからはどのように進んでいるのか、全く見えないようになっています。

             

こちらは汚染物質騒ぎのあったミカドの跡地、14階建ての集合住宅が建つ予定です。右奥に見えているクレーンがパーキング跡の現場、こことさほど離れていません。ここは一旦工場を更地に変えないといけなかったので、なかなか作業は進んでいません。

             

防音シートから遮視用の塀に変えられていて、ここも中を見ることが出来ません。近辺で三つの大掛かりな工事が進められていますが、皆外から見えないように塀を廻らしています。そうしなければならない何か法律でもあるのでしょうか?

             

ここは朝鮮初級学校があったところ、何になるのかと思ったら、住宅が建つようです。土地は誰のものだったのでしょうね。

             

1軒についてもそんなに広い家ではありません。でも3180万円って、高くないですか?金持ちならこんな狭い家は買わないでしょうし、貧乏人には手が出ません。こんな物件を見てると物の価値が分からなくなってしまいます。

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京セラドームへ行く Ⅱ

2011-09-13 05:00:00 | スポーツ
8月の9日に大阪での最後の記事を綴って以来、ずっと田舎のことばかりを記事にしてきたわけですが、なんとその8月9日の記事は今日と同じ京セラドームでの記事でした。あの日の試合はなかなか点が入らない投手戦で、最後の最後まで予断を許さない、さすがに首位をキープし続けるスワローズ戦だけのことはありました。

この日の試合の相手はダンゴ4兄弟、2~5位の差が5ゲームの中で犇めくうちの一つカープでした。

             

そうそう開幕戦にも甲子園でこのカードを観戦しています。あの時はタイガースが辛うじて勝った試合でした。

この日の先発は能見と篠田、タイガースファンでもない私が野球観戦をするのは、近くの球場である甲子園か京セラドーム、TVもほとんどタイガースの試合を放送しているものですから、自ずとタイガースの選手は覚えるのですが、カープの選手・特にたまにしか出ないピッチャーとなると全然知らん人の名前も・・・この日の篠田も全く知りませんでした。

             

能見はいつになく調子が悪そう、1回いきなり先制点を許します。能見が登板するとタイガースの打線は打てないというジンクスを感じています。

             

1回2回と3者凡退に倒れたタイガース、3回は耄碌じみた金本からでしたが1塁への内野安打、藤井はフォアボール、能見の送りバンド成功で何とか点が取れそうなムードになってき、連打が続きました。止めは4番から6番に降格した関本、珍しく引っ張った当りはレフトポール際へ、観客ほぼ全員立ち上がったので(私は立つなどしませんが)見えなかったのですが、どうやら3ランホームラン、この回一挙7点で試合は決まってしまった感じでした。

野球観戦というより半分以上飲みに行ってる感のある私ですが、それがなければもう帰ってもいいぐらい、関本のホームランは決定的でした。

             

この日7時までに入場するとくれた虎柄の・・・これは何じゃ?頭巾ですかね?防災用に一つ持っておくのもいいかも知れません。タイガースが熱心なのか、ジョーシンが熱心なのか知りませんが、京セラドームではなかなかサービスがよろしい。

             

ドラゴンズやスワローズの試合ではこんなにファンは来ていません。カープは広島じゃけん近いからか、名古屋からもそう遠くはないと思うのですがね。

             

これは何、手に鯉のぼりを持ってるのでカープのマスコットであるのは分かるのですが、イメージとしては怪獣みたい、あまりにもカープのイメージには遠く感じます。

             

7回裏のタイガースの攻撃前のジェット風船、こんな風習など作らんでもエエのにと思ってるのは私だけでしょうか。何とはなく暗いと思っていたら・・・

             

全ての照明を点けているわけではなかったのですね。エアコンもあまり効かせてなかったかも知れません。なんとなくうっすらと汗をかいて暑かったです。いつもより近辺は人でいっぱいだったからかも知れませんがね。

             

さて取らんでもエエ点を重ねて試合時間が長引くばかりの9時前、最終回でピッチャーは西村、前回観戦に行った際に『NISHIMURA』とネームの入った黄色いレプリカを着ている人が居て、西村って誰と思ったのでしたが、最後に登場しました。やはりタイガースの選手だったのですね。

             

投球フォームですが、左膝がもう少し折れるともっと力が入ると思うのですが・・・腰が高いように思いませんか。

                  

次の京セラドームでの試合、10月に入って3連戦です。毎日何かくれるんですね。どの試合に行きましょうかね・・・その日までに優勝が決まってないように、当日に優勝がかかってるような大一番であることを祈るばかりです。

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紀の松島巡り

2011-09-12 05:00:00 | 田舎
一ヶ月以上にも及んだ今回の帰省中のお話もようやく今日で以って最後です。9月も第3週になろうとしていますが、今週末には再度田舎へと帰る計画ですから、暫くするとまた田舎の話に戻って、この放浪記を読んで下さってる方々には、大変苛立たしい思いをさせるかも知れませんが、そんなことを頭に描いてこのブログを綴っているわけではありません。

妙法山から無料になったというスカイラインを通って、那智の滝の横を左に見ながら42号線へと下りて来て、勝浦の街で昼食を摂ることに、新宮よりはましですが、勝浦も何も無いところです。

             

紀の松島巡りって、あまり気が進みませんが、そのままホテル浦島の望帰洞の温泉に行くというので、一緒に乗船しました。私は磯釣りで何度か勝浦を訪れており、その際磯渡しの漁船でこの海を随分見てきています。まぁその際はいろんな島の案内などはしてくれませんがね。

             

出発前の対岸のホテル浦島、長男がこちらにやって来ると矢鱈とこの温泉に行きたがります。若いくせに温泉が好きな変人です。勝浦までは遠いんですから串本の浦島で我慢してもらいたいところです。

             

出船しても私はエアコンの効いた客室でじっとしてましたが1時間ほど乗船して、ホテル浦島の船着場で降りました。横着して船上からは1枚も写真を撮っていません。

孫達はプールで遊ぶつもりらしい。磯遊びよりもやはりプールの方がいいのでしょうかね?朝よりは晴れ間も出てきていますが、どうしても靄っています。

             

プールの横にはこのような磯遊びが出来そうなところもありますが、誰も遊んでいません。プールで泳いでも人ばかり、魚は泳いでないし、貝もありません。

             

観光船がやってきたのでカメラを向けましたが、沖に写っているのは山成島だったか・・・船での案内をあまり熱心に聞いてなかったので、勘違いかも知れません。

平清盛の嫡孫・平維盛は父・重盛の死後、侍大将に推されて富士川の戦いや倶利伽羅峠の戦いで惨敗し、平家一族を都落ちへと向かわせてしまいます。維盛は一の谷の合戦前後に陣中から逃亡、高野山に入り剃髪し、熊野三山を詣でてこの那智の海へと漕ぎ出したのでした。

そして山成島に渡り、松の木に清盛・重盛・維盛と三人の名を書き残した後、入水して命を絶ったというのが平家物語。平家の滅亡は重盛の病死に遠因がありそう、重盛が長生きしていたらその後の展開は変っていたように思っています。

那智高原の案内板には、維盛は色川郷に隠棲して機を窺い、五代目の盛氏が南朝側に馳せ参じ、軍功があったようなことも書いてありました。後醍醐天皇から下賜された綸旨や盛氏への軍促状などが残っているそうです。維盛は入水自殺したけれど、子孫をこの地に残し・・・と話をもっていけば整合性がありそうなのですがね。

             

観光船はずっと進んで行き、とある磯の近くまで来て急に進路を変え、沖に向かって行ったのですが、船上ではここで何らかの案内があったのかも知れませんが、あったのかどうかも記憶にございません。

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妙法山阿弥陀寺 Ⅱ

2011-09-09 05:00:00 | 田舎
昔の人が髪を納めたという納骨堂の横の道を通って帰っていったのは長男親子、私は元来た道を戻って、この広い境内を散策します。といえば聞こえがいいのですが、単にブログのネタ探しなのです。

                  

太子堂から戻る坂道を振り返って写しています。苔生した石畳が濡れていて、登りは心配ないのですが降りは滑りそうな気がしてなりません。木の下右手に見えているのが納骨堂です。

                 

奥の院・浄土堂への上り口に建てられた立札、浄土院の謂れ(昨日既報)と、本尊の解体修理が終わって後世に引き継ぐことができるという報告を平成11年の晩秋にしたためていますが、この辺りでは僅か10年でこのように苔生してしまうのですね。

             

最初の写真の碑文はこうです。『人民解放戦士の碑 この碑の下には、明治の末以来将来にわたる、当熊野地方の先覚者達の氏名を記した玉石を納めます。この方々は時の権力の不当な迫害に屈せず、人民の正義と真理を求め、新しい明日を築こうと命がけで努力した人々です。私どもは地球が明るい方向に廻転していることを信じ、この尊敬する先輩の遺志を忘れず後に続こうという思いをこめて、この碑を建てました。 紀州汨友会』新宮の駅前にも似たようなものがありましたね。こうまであると熊野地方って結構権力に反抗する人が多かったというのは本当なんですね。

             

真ん中にある大きな石碑には『戦士の碑』、左下の小さな黒い板を嵌めてあるのが最初の写真、そしてこちらは苔が激しく、線も細くて詠み辛いのですが、署名の荒畑寒村が読めるので、検索しました。『人のため 世のため 立ちて 戦いて 仆れし友 豈忘れめや』とあるのです。

こういう碑までを境内に置いている阿弥陀寺もたいした度量だと思います。

             

初代紀州徳川家藩主・徳川頼宣が勧請したという荒神堂、屋根瓦には三葉葵の紋がありました。今年は11月23日に三宝荒神憤怒像がご開帳されるそうです。

             

朝来た時は閉じられていた本堂の扉が開けられていました。徳川家の家紋が所々に見られ、このお寺が徳川家との深い関係を持っていることが窺われます。

             

このお寺は天台宗なのか、真言宗なのか、昨日も判断がつきませんでしたが、この線香の灰には『南無阿弥陀仏』の字が・・・つまり浄土宗なのかとも思ったりしてしまいます。真言宗だったら『南無大師遍照金剛』の字が残りそうなものです。

この際チョット調べてみました。徳川家の菩提寺である上野・寛永寺は天台宗、芝・増上寺は浄土宗で、徳川家にして宗旨がバラバラ、このお寺の宗派を見極めるポイントにはなりませんでした。

                  

実はこの妙法山阿弥陀寺は後で調べると、真言宗のお寺なのでした。真言宗だったらここは大日如来か、空海の修行像なのでしょうが、阿弥陀寺故の阿弥陀如来なのでしょうか?考えれば考えるほど難しいお寺です。

             

もうそろそろ帰らねば、こんなところで小学生は何をして良いのやら、何を考えてみるものやら全く分らないでしょうからね、などと思いながら帰りかけていると、左側に開けたところがありました。

             

ここからの眺めも晴れておれば素晴らしかったのだろうと思われて仕方ありません。ただ台風12号が荒れ狂った後の今は、水の被害で道路も寸断されおそらく行くことは叶わないだろうと思うけど、登ってみれば下界の景色は一変しているのかも知れません。

             

そうこうしているうちに「いつまで居るン?」と帰りを促す電話、ケータイっていうのは、便利なのか、逆に束縛を受けるものなのか、私はどちらかと言うと後者の方に感じています。南無阿弥陀仏!

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妙法山阿弥陀寺

2011-09-08 05:00:00 | 田舎
勝浦の街から那智高原への道を辿っていると、所々で妙法山・阿弥陀寺という標識が出ており、最初はそちらに行く気など無かったのに、公園にも道標が立っておりお寺が近そうなので行ってみることにしました。

相変われず天気は良くならず、いい天気ならここからの見晴らしもきれいそう、お寺の前の駐車場から撮りました。誰も居なかった公園とは違って、先客が2組来ていましたが、私たちが来たのと同時に引き上げていくところでした。どう帰るのか見ていたら、公園のほうには向かわず、反対の方へ下って行きます。

             

最初から少々長い階段がありますが、下から歩いて上がってきたわけでもないので、難なく登れます。昔の庶民がこの山にしても那智山にしても来ようと思えば、下の那智勝浦の街から歩いて上がるしかなかったのですね。

歩けば相当な距離があります、その分ご利益も大きいと思われたのでしょうが、現代の人は皆車です。しかも道路は整備されていて、宗教心より観光が目的になってしまってます。そういう私も観光で来ているのですが・・・

             

ここは弘法大師が高野山を開く前の年に修行をした山、阿弥陀如来を本尊としたお堂を建てたそうで、それならここは真言宗のお寺なのか。室町時代作といわれる42歳の時の大師像もあるそうです。参道の左側に建つ石柱、この字はいつも禅寺で見てきました。

             

『禁葷酒』不許と禁、ニュアンスが少し違うようですが、意味合いはだいたい同じようなもの、でも禅寺以外の宗派のお寺では初めてお目にかかるような気がします。

                  

台風12号の災禍で鐘楼が倒れてしまったお寺がありましたが、ここは山の上ですから洪水の影響はありませんが、この辺りは歴史的な雨量が観測された色川の近く、この鐘楼は大丈夫だったのでしょうか。

この鐘は『ひとつ鐘』といわれているそうで、人が亡くなると幽魂は必ずここ妙法山に登り、この鐘を撞くのだそうです。鐘には空海自筆の『南無阿弥陀仏』という文字と『空海』の銘があるそうで、現世の安穏と先祖の菩提のために生前一度は撞いておけといいます。孫達はきっと何も解ってないのでしょうが鐘を撞いていました。私は生来の横着さと羞恥心、そして何よりも信心が無いので撞いてはいません。

             

ようやく本堂に辿り着きましたが、山の中にポツンとあるだけで、他には民家も何にも無いところですから、境内がやけに広いのです。

このお寺は西暦703年、唐の天台山の蓮寂上人が日本に渡ってこの熊野の地に辿り着き、この山が気に入ってここで修行を修めました。山頂で妙法蓮華経を写経して埋め、立ち木に釈迦の像を彫って安置したのが始まりだそうです。それならここは天台宗のお寺なのか。

                  

もっと奥の方へ歩いていくと大師堂があるというので行きかけたら、途中に分かれ道があり約800m歩くと奥の院・浄土堂があるのだそうですが、往復1,6km、時間がかかるので止めておきました。一人だったら行ったかも知れません。

             

しばらく滑りそうな坂を下って、ここが太子堂。散策していると鉄で出来た大きな錫杖が刺さっているのが目に付きました。

                  

太子堂の裏にあった道標、『右 ほんぐう きみいてら みち』と書いてあるようです。本宮は分るとして、きみいてらが紀三井寺のことなら、こんなところに道標を置いても途方もないような気がします。嘉永5年の記しがあります。

             


太子堂の手前にあった納骨堂、平安末期から鎌倉時代にかけて盛んに行われた蟻の熊野詣、庶民は極楽浄土の夢を託して、この納骨堂に髪の毛を納めたそうです。私には納めるほどの毛髪はありません。

太子堂の裏にあった道標、左へ道をとると元の駐車場に戻れると長男は言って、去っていきました。

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那智高原 Ⅱ

2011-09-07 05:00:00 | 田舎
もうお盆も過ぎ、子供連れの観光客や帰省した人も姿を見られなくなった18日、私たち一行しかいないこの広い那智高原公園を隅々まで(西の方だけですが)見て回ると、やけに石碑が多いのに気が付きます。

この案内板にはこの地方のいろんなことが紹介されていて、昨日書いたこの高原を取り囲む山々の名前や大雲取越えの険しさもありました。他にも奈良時代末期から吉野の金峰山と那智山を結ぶ連峰が役行者の開いた、真言・天台両密教修行僧の根本道場であり、那智山の奥に住む『一つたたら』という怪賊を、狩場刑部左衛門という勇士が退治し地元から三千町歩を賜った話、清盛の孫・平維盛がこの地・色川に落ち延びて隠棲したことなどが書かれています。

             

左側の碑はその狩場刑部左衛門を讃えたものですが、『一つたたら』を退治したことより、色川郷にその賜った土地を寄付したことが刻まれています。右は大雲取山林道完成記念のものです。

             

大雲取山から降りてくる道なのでしょう、そんなに景色の良い山なら、涼しくなって天気のいい日に一度大雲取越えを経験してみたいものです。でも車でやって来たら、ここから歩いても峠を越えてしまうわけにはいきません。頂上まで登ったら帰ってこないと車に戻れませんものね。

             

昨日とは逆の表示になっている道標、そりゃ逆のところに立てば表示も反対になります。

             

これが右の碑にあった大雲取山林道ですね。道路の起点に置かれている案内板、この道路は木材搬出用のトラックと造林用マイクロの専用道路、関係者以外の方の通行は遠慮しなさいと書かれているのに、そういう車両と出会ったら速やかに待避しなさいと書かれています。通っていいのか悪いのか、判断がつきません。更に林道を利用するには料金が要り、事前に組合に届け出の上許可証を携帯せよともあります。その上事故があっても組合は一切の責任を負わないとも書かれていて、一般の車が通ってはいけないという風には読めません。

             

午後8時から午前5時までは通行規制になっています。林道物の盗難防止と廃棄物の投棄を防ぐためだとか。写真を撮ってるのが9時半ごろ、これだけだったら昼間は通ってもいいみたいです。
でもここに組合の事務所があるわけでもなく、ここまで来て通行しようとしても許可証を得ることは無理でしょう。

             

林道の入り口から公園を振り返るとこんない暗い、この辺りはこういう天気が多いのか、それとも運が悪かったのか。

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那智高原

2011-09-06 05:00:00 | 田舎
もう9月も1週を過ぎようというのに、しつこく夏休みの話題を追っています。まだまだ今週いっぱいは南紀でのお話が続きます。

私の夏休みも終盤になろうという頃、長男が娘たちを連れて、つまり私にすれば孫を連れてやってきました。去年は北海道とかへ行ってやって来なかった孫たちも来年は中学生、クラブ活動などを始めるとそろそろこちらにやって来る機会も少なくなるというもの、海での経験をいろいろさせてやりたいと思うけど、父親はそんなことは考えて無いようです。

17日の早朝に発ったという一行は彼方此方に立ち寄って、夕方こちらに着くという連絡だったので、朝から私は釣りに出かけました。それから羊羹を買って帰ったのがお昼前、昼食をとってその日の画像をUPしていると、もうやって来たのです。長時間の旅程で疲れてるだろうし、私も少々疲れていたのですぐには遊びには行きませんでした。

小一時間ほど経ってから川へ泳ぎに行くと言い出す長男、私は翌日はこのブログにアクセスできないと思い、釣りの記事を綴っていて後から追いかけていくことに、ぼたん荘の前の月野瀬辺りで遊んでいましたが、どうやら彼らはそこが好きなようです。川から上がればすぐに温泉に入れますものね。

             

翌日こそは海で遊ぼうと思っていたのに、長男は「晴れたら富士山が見える」という那智高原公園へ行くと言います。それから勝浦の温泉に行ってプールで泳ぐと言うのです。なんとアドベンチャー精神のない奴やと思いましたが、たまの連休ですからリクエストにお応えして私の車で那智高原へ、今回の台風で大雨だった色川方面を経て高原へと辿り着きました。

残念ながら曇り空、遠くを遠望できるような天気ではありません。写っているのは多目的球技場とか、富士山を拝むにはもっと高いところへと登らなければなりませんが、この天気じゃ望める可能性はありませんから、止めておきました。

             

大きな石碑が建っていて『みんなで育てる みどりの郷土』と記されています。昭和52年に植樹祭が催されたようで、このような碑も建てたのでしょうが、植樹したその木だけでいいような気もします。

             

ここは烏帽子山、光ヶ峰、船見峠、大雲取山、妙法山に囲まれた吉野熊野国立公園の一角、熊野古道の要衝です。30分も歩くと那智山、那智大社と青岸渡寺があります。

                  

どうやら那智の滝方面へは下り坂のようです。ここまでの大雲取越えが大変らしい、その分景色も良いのだとか・・・

             

子供たちはというとローラースライダーなる滑り台で遊んでいました。300円も払って(何度でも滑れるのですが)、全長133m、高低差24mの滑り台で遊ぶなど、私からすれば勿体ないと思うのですが・・・最初喜んでいた子供たちも途中にあったクモの巣にはびっくりしたらしい、お金取るんだったらその辺りも万全にしておかなければなりません。如何にこの地にやってくる人が少ないかという証明ですね。

             

ローラースライダーの終点、方角によっては今にも雨が降りそうな雲が出ています。

             

下の方にはこのようなアスレチックもありました。ここは無料で遊べるようでした。

             

那智山の周辺図が配置されていましたが、これで見ると富士見台へ行くより、那智大社へ行く方が近いようです。そうだとすると往復1時間以上もかけなければなりません。せっかく登って行ったのに富士山は見えなかったでは、くたびれもうけだけになってしまいます。

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串本病院

2011-09-05 05:00:00 | 田舎
金曜日から接近していた台風12号は、西日本の彼方此方に水害の爪痕を残しました。特に紀伊半島南部は台風が過ぎた後も雨が降り続き、大きな川も決壊して3月の北関東大津波とは比べものにはならないものの、死者や行方不明者を多数出しました。幸い私の住む大阪市の南部は降雨量も少なく、金曜日の帰宅時も傘は必要なかったし、土曜日も夜だけ雨が降ったので台風はどこ吹く風状態でしたが、一日中TVを点けていたので台風の被害は目の当たりにしていました。被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

さて、ダイワロイヤルホテルのある高台へ住宅地を見に行ったついでに、もう少し高いところへと行く道がついていたので、進入禁止と書いてあったけど車で登ってみました。

そこは住宅を建設しているのではなく、一つの大きな建物を建てていました。すでに看板が立っているのですぐに何か分かりました。串本病院です。もう外観はほぼ出来ていて、ヘリポートなる文字も見えます。約一月前に撮った写真ですから、現在はもっと進んでいるものと思われます。

             

建設中の病院と道を隔てた反対側、何を造るつもりなのか、未だ土地を平らににしている最中でした。

             

現在の串本病院は旧のフェリー乗り場の横にありますが、あまり利用している姿を見かけることはありませんでした。果たしてこの4階建ての新しい病院にどれくらいの需要があるのか、私などは歳も歳ですからおそらくお世話になるのでしょうが、器を新しくした限りは診察機材も最新のものに、先生も実力のある人を連れてきて貰いたいものです。

                  

一角には串本温泉貯湯槽なるタンクがあり、その下に溝があって水が流れていたので、触ってみたけど温くはなかった。このタンクとは関係無かったのか、それにしてもこの温泉水を治療に使うのでしょうか?

             

道が奥へと繋がっていたので見に行ってみたら、ここでも造成中の現場があり、いったい何処まで広げるつもりなのかとは思うものの、道路はくじの川や姫川の村落に繋げてあげれば奥の人も便利になるなぁ。

             

太平洋側の景色もなかなかですが、こちら裏側の景色もなかなか美しい、緑がきれいので田に稲が茂ってる季節限定かも知れませんね。

             

2年前のGWにはこの下の道を歩いて、下からこちらの方向を見て何を造っているんだろうと思っていました。この鳥居のあるところへも行きましたよ。

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紅葉屋本舗

2011-09-02 05:00:00 | 田舎
セミの鳴き声も尼崎では一昨日まで、代わりにコオロギの鳴き声が聞こえ始めました。一昨日はこのgooのブログはメンテナンスのため8時まで使えませんということでしたが、急に10時まで使えないなどと言い出す始末、急にそんなことをされるとこちらの予定が狂ってしまいます。使って貰ってる全ての人に迷惑をかけるようじゃ、一人前の企業とは言えません。

さて、捜し求めていたこの紅葉屋なるお店、17日の釣りを終えてもう一度探してみることに、今度は車で駐車場まで行ってみると・・・私は駐車場にいます。手前右手の家の玄関の扉をよ~く見つめると、何やら掛けてあります。

             

最初訪れたときは、上のピンクの看板しか目に入りませんでした。ここまで来ても扉に何か掛かっているとは気付かない人もいるのではないかと思います。

             

正面まで来ると『紅葉屋』の文字が確認できました。でもこれは分り難い、ネット上でチラッと見た店はもっと古くて伝統のありそうな構えでした。もう全く雰囲気が違いますやん。おそらく創業当時の店の写真を載せたのでしょうが、やってくる人はそれを見てると思ってくれなきゃ・・・いくら探しても見つけられない筈です。

             

玄関で呼鈴を押すと奥さんらしき人が出てきて、中へどうぞと言われるままに私も着いて庭に入れてもらい、屋敷の中へと案内されて・・・これ、相手がオッサンやったらチョット怖いですよ。

             

家の中はモダンな雰囲気、さすが羊羹屋だけあって、洋館風の造りです。

パンフレットを出されて、「どれにするか選んでおいて下さい、試食品を持ってきますから」と言われて独りぼっちにされ、パンフレットを見ずに部屋の中を見回します。

ややあって冷たいお茶と一緒に出されたのが一枚目の写真の羊羹、7種類全部あります。ちょっと面食らいましたね。

外はカリッと中は柔らか・・・小城羊羹のような宣伝文句ですが、味は濃い目かな、私はもっとあっさりしている方が好きです。

             

メダルや賞状もいっぱい並んでいます。これを見せんがためにわざわざ家の中まで招き入れてくれたのかも知れません。

モンドセレクション金賞なる栄誉を得られたそうなのですが、モンドセレクション自体どういうものか解ってない私ですが、どうも金賞なる賞を乱発しすぎているのではないかと思っているのです。富田の水もそういう賞を貰っていました。

             

明治神宮からの感謝状まで届いていて、どれ位の分量を奉ったのか知る由もありませんが、賽銭を奮発しても知らない顔の神様が、感謝状をくれるのですからその量を訝しみます。

             

折角行ったからには1本だけ買うのも勿体無い気もするし、あれだけ試食をさせて貰ったのですから1本だけ買うのも気が引けますし、モンドセレクション金賞なる『本練』と『柚子』と何も賞を貰ってない『塩羊羹』を買いました。1本1000円ってネットに書いてあったけど、来てくれた人には900円ですって・・・・納得です。

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高いところに住むべきか

2011-09-01 05:00:00 | 田舎
南紀に住むようになれば一番の問題は次に起こる東南海地震による津波の被害にどう対応するかということでしょう。今年の3月に起こった東北地方の津波による惨状は、あぁいう被害は必ず起こり得ると考えておかなければならないし、いくらなんでも同じような津波が押し寄せてくることなど無いだろうと高を括ってはいけないと思うのです。

今住まいのある姫の家の付近、42号線の海抜は約7m、海林寺のあるところで約10mになっています。要するに7m以上の津波でなければ姫付近は大丈夫だろうと思うのですが、次の津波が7mを超えないという保証はありません。

             

ここはダイワロイヤルの横に建ち並ぶ住宅地、もうかなりの人が住んでいて、空いている土地は残り僅かです。少し低くなりますが、この下にも宅地を造成中です。この高さなら津波も心配はなさそうですが、崖際なので地震による地盤が崩れないかが心配です。いやここに家を建てると決めたわけではありません。

             

大島を一望でき、景色はなかなかのものですが、少し土地が狭い感じがします。

             

こちらは潮岬、西側の信号を曲って馬坂を超え、灯台の手前に潮岬の村落に入っていく道、木立に囲まれてなかなかいい雰囲気です。奥には灯篭跡があり潮御崎神社への参道だったのかも知れません。

                  

これだけ木が立ちこんでいると、かなり涼しく感じます。抜けるとまた暑いのですがね。

             

住民用の道路を走っただけですが、こちらは空き地がたくさんあります。でも売地になっているところは少ない。でも売地を一つ見つけました。200㎡はあろうかと思われる土地、ケータイから不動産屋に電話してみると、一坪12~3万円もするとのこと、田舎やのに結構高いんですね。

             

農地を住宅用に利用するには役所の許可がいるんですね、知りませんでした。

             

大阪市の市長と同じ名前の地名の辺り、道が狭くなったので車は停めておいて、歩いて見て回りました。ホントに空き地は多いのですが、売地にはなっていません。でも新しく建てられたと思われる家も少なくありません。

             

これは貯水塔、海抜何メートルかは分かりませんが、かなり高いところにあるので、このような設備も必要なのでしょう。

             

家や土地を見ながら歩きましたが、実はこの看板のお店も探していたのです。駐車場は見つかったのにお店が何処にあるのか分からず、帰った次第です。

他に古座の上野山の方も見てきましたが、まだまだ土地は残っているようでした。一坪8万円ぐらい、でもチョット見晴らしが良くないし、買い物も不便なようです。

姫の家が売れれば、新しいところに建てるのも一案ですが、思うようには売れないでしょうし、海抜7mを信じて今の家を建て替えるのも一考かと考えています。


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