ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

紀の松島巡り

2011-09-12 05:00:00 | 田舎
一ヶ月以上にも及んだ今回の帰省中のお話もようやく今日で以って最後です。9月も第3週になろうとしていますが、今週末には再度田舎へと帰る計画ですから、暫くするとまた田舎の話に戻って、この放浪記を読んで下さってる方々には、大変苛立たしい思いをさせるかも知れませんが、そんなことを頭に描いてこのブログを綴っているわけではありません。

妙法山から無料になったというスカイラインを通って、那智の滝の横を左に見ながら42号線へと下りて来て、勝浦の街で昼食を摂ることに、新宮よりはましですが、勝浦も何も無いところです。

             

紀の松島巡りって、あまり気が進みませんが、そのままホテル浦島の望帰洞の温泉に行くというので、一緒に乗船しました。私は磯釣りで何度か勝浦を訪れており、その際磯渡しの漁船でこの海を随分見てきています。まぁその際はいろんな島の案内などはしてくれませんがね。

             

出発前の対岸のホテル浦島、長男がこちらにやって来ると矢鱈とこの温泉に行きたがります。若いくせに温泉が好きな変人です。勝浦までは遠いんですから串本の浦島で我慢してもらいたいところです。

             

出船しても私はエアコンの効いた客室でじっとしてましたが1時間ほど乗船して、ホテル浦島の船着場で降りました。横着して船上からは1枚も写真を撮っていません。

孫達はプールで遊ぶつもりらしい。磯遊びよりもやはりプールの方がいいのでしょうかね?朝よりは晴れ間も出てきていますが、どうしても靄っています。

             

プールの横にはこのような磯遊びが出来そうなところもありますが、誰も遊んでいません。プールで泳いでも人ばかり、魚は泳いでないし、貝もありません。

             

観光船がやってきたのでカメラを向けましたが、沖に写っているのは山成島だったか・・・船での案内をあまり熱心に聞いてなかったので、勘違いかも知れません。

平清盛の嫡孫・平維盛は父・重盛の死後、侍大将に推されて富士川の戦いや倶利伽羅峠の戦いで惨敗し、平家一族を都落ちへと向かわせてしまいます。維盛は一の谷の合戦前後に陣中から逃亡、高野山に入り剃髪し、熊野三山を詣でてこの那智の海へと漕ぎ出したのでした。

そして山成島に渡り、松の木に清盛・重盛・維盛と三人の名を書き残した後、入水して命を絶ったというのが平家物語。平家の滅亡は重盛の病死に遠因がありそう、重盛が長生きしていたらその後の展開は変っていたように思っています。

那智高原の案内板には、維盛は色川郷に隠棲して機を窺い、五代目の盛氏が南朝側に馳せ参じ、軍功があったようなことも書いてありました。後醍醐天皇から下賜された綸旨や盛氏への軍促状などが残っているそうです。維盛は入水自殺したけれど、子孫をこの地に残し・・・と話をもっていけば整合性がありそうなのですがね。

             

観光船はずっと進んで行き、とある磯の近くまで来て急に進路を変え、沖に向かって行ったのですが、船上ではここで何らかの案内があったのかも知れませんが、あったのかどうかも記憶にございません。

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