ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

妙法山阿弥陀寺

2011-09-08 05:00:00 | 田舎
勝浦の街から那智高原への道を辿っていると、所々で妙法山・阿弥陀寺という標識が出ており、最初はそちらに行く気など無かったのに、公園にも道標が立っておりお寺が近そうなので行ってみることにしました。

相変われず天気は良くならず、いい天気ならここからの見晴らしもきれいそう、お寺の前の駐車場から撮りました。誰も居なかった公園とは違って、先客が2組来ていましたが、私たちが来たのと同時に引き上げていくところでした。どう帰るのか見ていたら、公園のほうには向かわず、反対の方へ下って行きます。

             

最初から少々長い階段がありますが、下から歩いて上がってきたわけでもないので、難なく登れます。昔の庶民がこの山にしても那智山にしても来ようと思えば、下の那智勝浦の街から歩いて上がるしかなかったのですね。

歩けば相当な距離があります、その分ご利益も大きいと思われたのでしょうが、現代の人は皆車です。しかも道路は整備されていて、宗教心より観光が目的になってしまってます。そういう私も観光で来ているのですが・・・

             

ここは弘法大師が高野山を開く前の年に修行をした山、阿弥陀如来を本尊としたお堂を建てたそうで、それならここは真言宗のお寺なのか。室町時代作といわれる42歳の時の大師像もあるそうです。参道の左側に建つ石柱、この字はいつも禅寺で見てきました。

             

『禁葷酒』不許と禁、ニュアンスが少し違うようですが、意味合いはだいたい同じようなもの、でも禅寺以外の宗派のお寺では初めてお目にかかるような気がします。

                  

台風12号の災禍で鐘楼が倒れてしまったお寺がありましたが、ここは山の上ですから洪水の影響はありませんが、この辺りは歴史的な雨量が観測された色川の近く、この鐘楼は大丈夫だったのでしょうか。

この鐘は『ひとつ鐘』といわれているそうで、人が亡くなると幽魂は必ずここ妙法山に登り、この鐘を撞くのだそうです。鐘には空海自筆の『南無阿弥陀仏』という文字と『空海』の銘があるそうで、現世の安穏と先祖の菩提のために生前一度は撞いておけといいます。孫達はきっと何も解ってないのでしょうが鐘を撞いていました。私は生来の横着さと羞恥心、そして何よりも信心が無いので撞いてはいません。

             

ようやく本堂に辿り着きましたが、山の中にポツンとあるだけで、他には民家も何にも無いところですから、境内がやけに広いのです。

このお寺は西暦703年、唐の天台山の蓮寂上人が日本に渡ってこの熊野の地に辿り着き、この山が気に入ってここで修行を修めました。山頂で妙法蓮華経を写経して埋め、立ち木に釈迦の像を彫って安置したのが始まりだそうです。それならここは天台宗のお寺なのか。

                  

もっと奥の方へ歩いていくと大師堂があるというので行きかけたら、途中に分かれ道があり約800m歩くと奥の院・浄土堂があるのだそうですが、往復1,6km、時間がかかるので止めておきました。一人だったら行ったかも知れません。

             

しばらく滑りそうな坂を下って、ここが太子堂。散策していると鉄で出来た大きな錫杖が刺さっているのが目に付きました。

                  

太子堂の裏にあった道標、『右 ほんぐう きみいてら みち』と書いてあるようです。本宮は分るとして、きみいてらが紀三井寺のことなら、こんなところに道標を置いても途方もないような気がします。嘉永5年の記しがあります。

             


太子堂の手前にあった納骨堂、平安末期から鎌倉時代にかけて盛んに行われた蟻の熊野詣、庶民は極楽浄土の夢を託して、この納骨堂に髪の毛を納めたそうです。私には納めるほどの毛髪はありません。

太子堂の裏にあった道標、左へ道をとると元の駐車場に戻れると長男は言って、去っていきました。

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