おはようございます。
第1章第3節の題名は、すでに始まっているエレクトロニックコマース。前節と矛盾している題名のように感じました。サイバーモールは仮想の商店街であり、具体的であり、自然な仮想化の考え方ですが、失敗が続いているとの説明は良いですが。
ECは極めて抽象的な言葉であり、銀行のATMですらその範疇に入れられないことはないし、インターネットを利用した実際のビジネスデータの処理のシステムならすべて包含する魔法の言葉としても良いだろうと言っています。なるほどと言いたいところですが、まさに詭弁だと思いました。
ここで少し脱線。詭弁を説明すると、2、3回の記事ができる文字数が必要になるでしょう。文字が多く、分かりにくくなり、余程の文章の達人でない限り、単に哲学オタクを自慢した嫌味な奴と捉えられてしまうでしょう。自慢できる趣味を持つことは大事ですが、それは自分の人生のためであり、人様に自慢することではありません。
私はこの情報と教育の創造性のブログが多くの人に役立って欲しいため、説明に困る時が多々あります。多くのブロッガーが感じていることかもしれません。ですから、この節の説明をコメントするのは難しいと思いました。曖昧にいろいろな可能性を述べていて、プレゼン講習で生きる説明を書きたかったからです。本が曖昧では一般書店で売れません。でも、これは講習会の本。私は今勉強になりました。
以前から、サイバースペースゲーム、MUDやMOOをアメリカの有名大学などの、UNIXやAIの研究者が遊んでいました。日本人はすぐアメリカの研究者を真似します。シャープの研究者も昼休みに遊んでいました。この現象を参考にすべきと書いています。趣味の世界だけでなく、社会の生産性に寄与するビジネスゲームを開発すべきと、です。
確かにゲームソフト市場は凄い将来性がありました。情けないぐらいにです。実は上辺はへらへらでしたが、MUDをしている部下を私は苦々しく見ていました。この説明にはその嫌味が入っているようです。他人に本の中の嫌味は分かりません。下手以下の文章でした。今となれば、恥ずかしい。
私が嫌いだった、会社員のネットワークゲームやゲームソフトがバカ売れの時代を予測できていたように取れる文章です。今は電車の中でおじさんもおばさんもスマホゲームをしています。でもこの本の著者の願望は全く逆でした。流行って欲しくなかったのです。ゲームばかりしていては、ゲーム好きの頭脳になり、生産性を低下させ、国や国民を劣化させるだけと思っていたからです。生産性が低い人を高額で雇う会社は例外の危ない会社かも。
頭脳は可塑性です。やればやるほど、その行為や思考に合わせ、最適な構成がなされます。南無大師金剛遍照の外は、私はもう何も言えません。
今日はここまでにします。