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COMDEXに学ぶ

2017-08-01 04:37:40 | Weblog

 おはようございます。

 皆さんはCOMDEXの名前を聞いたことがありますか。COMDEXをウィキで検索するとその歴史が簡単に分かります。良いまとめだと思います。数字や年度を見るならそちらで見てください。私は私の仕事との関係で覚えていることを書いているので、数字に自信がありません。すみません。

 富士通の小型機の時代、1970年代の後半数年だったと思いますが、NCCは大きくなりすぎてホテルに余裕なく、自然に消滅。同じころラスベガスで11月にコンピュータのビジネスの場としてCOMDEX展示会が開催されるようになりました。ベンチャー企業の一発屋がたくさん参加する会になりました。11月はラスベガスの端境期だったのに。

 1980年代になり、ハノバーメッセと並んで、世界の情報市場の動向はCOMDEXを見ないと分からないと私も日本の情報屋さんも考えたようです。パソコン市場の新製品、Windowsの次期モデル、パソコン通信やネットワークの機器、新しいソフトウェア企業などを知るにはCOMDEX参加は必須でした。そして1990年代後半になり、コムデックスは衰退し始めたのかもしれません。参加者数はしばらく増加し続けていましたが。

 中村師匠と富士通の研修担当の課長さんに教科書を書いて欲しいと言われ、COMDEX訪問記が良いと逆提案、話がまとまりました。この本の出版日は1996年5月となっています。1990年代前半のCOMDEXと1994年と1995年の調査をまとめたものです。

 この本には色々な逸話があります。記憶違いかもしれませんが、その課長さんは翌々年富士通を退職し、起業しました。富士通向けSE教育の教科書も出版していました。悠々自適の仕事だったかも。私のこの本は、当時は最前線、今はすでに古いと思います。でも本の予測通りだと、20年以上推移した今も私は自負しています。なお、ハードウェア版もありました。私は監修を担当しました。こちらは中村師匠はさらに気に入ってくれました。ソフトは良く分かっていたからでしょう。

 ここまでは前置きです。明日から目次を紹介したい理由です。ハードからOS、そしてアプリ、そしてサービスとメンテナンスにビジネスの中心が移るだろうと言う予測が書かれているからです。何故日本メーカは、ハードとOSに拘ったのか、今でも拘っている企業が多いのか、不思議です。

 今後、サービスとメンテナンス市場の行方はどうなるか、日本企業は生きる道は何か、多分ビジネスノウハウがアプリの勝負を決める時代、それは今かも。その先は何が待っているのか。若者の一助になろうと思い、記事を書くつもりです。私が旅立つ頃の新卒者に役立てば嬉しいのですが。

 今日は以上の前置きだけ、ここまでにします。

コメント
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