徒然にふる里を語る

 一市井の徒として、生まれ育った「ふる里」嬬恋村への思いをつづります。

母親

2021-01-23 08:49:54 | Weblog

 パソコンのファイルを整理していると、廃止したホームページ「嬬恋物語」に、病に伏した母親を見つめる記述が何篇か出てきた。十数年経って読み返してみると、長い間反発していたことが申し訳なかった、そんな気持ちになる。

 私の母親は、口うるさく、負けず嫌いで世話焼きだった。母親には子供の頃から「勉強しろ、勉強しろ」と言われた。小学生の頃、通信表が良いと欲しいものを買って貰えた。弟や妹が羨ましがったが、この2人には勉強しろ言ったのを聞いたことが無い。

 戦中、私から見れば伯父に嫁いで、伯父が2人の娘を残して戦死し、母は幼い娘や嫁ぎ先を守るために私の父と再婚し、私が生まれた訳だ。母親にとって、私は家を守ったことの最大の証だったのかも知れない。子供の頃から、お前は長男だから、と言い聞かされた。

 そんな口うるさい母親に反発したのは、自然の成り行きだった。中学に上がる頃は、一日でも早く家を出たいと考えていた。それは叶ったが、家を離れて約10年、帰省するたびに年老いていく母親を見ると、反発の気持ちが少しづつ萎え、結局、ふる里に戻ることになった。

 肺炎で入院した前橋から、家に戻りたがっていた母親だったが、それは叶わず92才で旅立った。私の初めての選挙の2カ月後だった。機会をみて「母親編」として、私の思いを綴った物語を掲載したい。

 親戚の田植えの手伝い。かしこまっている。

 

 


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