白杖のトライリンガル

難聴だけじゃない?網膜色素変性症を併せ持つアッシャー症候群の息子達の日常を母の目からつづります。

アメリカに帰れないNo3

2010-07-28 22:39:43 | その他
朝5時起床。
心配で眠れたもんじゃなかった。

アメリカに電話する。
もう夫が帰り着いている頃だ。
夫に状況を報告してさぁ出発。

大使館に着いたのは朝の6時40分。
私は3人目。

必要なものの中に『証明写真2枚』とあった。
もし書類発行になっても、写真がなければ発行できないよなぁ。
10年前大使館に行ったときの記憶をたどると、確か中に証明写真機があったと思う。
「へぇ、こんなところに。」っと思ったのを覚えている。

でも、・・・そんな記憶信用性は薄い。
待っている間にどんどん不安になってきた。
「写真をもって来い。」といわれても、あの虎ノ門でいったいどこに行ったらその写真を撮れるか検討もつかない。

となりの人に聞いてみると、駅で証明写真の機械を見かけたというではないか。
っで、結局列を抜け出して写真を撮りに行った。

でも実は、写真機は中にありました。トホホホホ。


大使館に入る前厳重な持ち物検査を受ける。
そこで、カメラや携帯電話等の電子機器は持ち入れないので、一時的に没収され、帰りに受け取って帰るように言われる。


中に入ったらすぐに窓口に行って、事情を話した。

トランスポーテーションレターの申請用紙と、ただの白い紙を一枚渡される。
その白い紙に申請理由を書けという。
線くらいある紙を使えばいいのにねぇ。
日本にあってもここはアメリカねっ。

グリーンカードのナンバーがあるから、きっとコンピューターで私が何者かはわかるはず。
書類をすぐに発行してくれるかどうかは、相手の判断によるらしい。


頑張って申請理由を書いた。

「カードナンバーがあるんだから、私が永住者だって明らかだろう! コンピューターをたたけば載っているのに、なんでカードの実物がなきゃいけないんだ!ばかばかしい。早く帰らせろ!」っとはもちろん言わず。

グリーンカードをもってくることをうっかり忘れたことにして、自分の不注意を謙虚に反省し、お手数をかけてしまうことをまた平に平に謝り、アメリカの家には幼児が待っていて、しかも仕事でどうしても明日までに帰らなければならないことを述べる。
仕事も公認会計士だということを明らかにして、勤めている会計士事務所や所在地も書き、自分がちゃんと働いているまっとうな人間で税金もちゃんと納めていることを暗に示す。最後にもう一度理解を求めて、感謝の意を述べる。

どうだ、完璧。
どうみても私は誠意のあるいい人間だ。
これを読めば、「あ~、家族と帰れなかったなんてかわいそうに。」っと思うはず。

提出するときに窓口のおばちゃんに言われる。

「発行には数日要する場合もありますが、お帰りになって待ちますか?その場合こちらからお電話差し上げることもできますが。」

「いいえ、ここで待たせてもらいます。」もちろん。
最後の一人になるまで待ってやるわい。

待つこと10分足らず。

「問題なかったので、書類を発行できました。」

は?もう?
結局必要だったのは、パスポートとグリーンカードナンバーと証明写真二枚だけ。(それと手数料ね)

なんだよ、たったそれだけ?
もう、おおげさなんだよ。

しかも、少なくとも1時間って書いてあったのに、10分?
これってもしや私の手紙の効果?
さぁ~~~???

まぁ、でもよかった。
さぁ帰ろう。

次は飛行機。
キャンセル待ちだから、少しでも早く行って自分の名前をリストの上のほうに載せなきゃ。
空港へダーーーーーッシュ。

っで、カメラと携帯を受け取るのをすっかり忘れて帰ってきました。

なははは。
やっぱり抜けてる私。

アメリカに帰れないNo2

2010-07-28 22:26:14 | その他
そういうわけで、かっこ悪いけど仕方なく妹の家に帰った。

あんなに大げさにお別れを言っておきながら、また帰ってくるとはなんと間抜けな私。


さて、大使館で書類を発行してもらえと言っていたけど、その発行手続きにはどれくらい時間がかかるものなんだろうか?
提出書類にはどんなものが必要なんだろうか。
空港で全部聞いたけど、カウンターのねぇちゃんは「知りません」の一点張りだった。

インターネットで調べてみる。

まず大使館のウェブサイトで必要書類をチェック。
書いてあるのは、
「アメリカに忘れてきたのであれば、送ってもらってください。」

そんなことできるかよ。
仕事があるんだからすぐに帰らなきゃ。


大体方法としてトランスポーテーションレターの発行というものがあるらしい。

その書類の発行に必要なものは。。。

・永住権を保持していることを証明できるもの。たとえば移民ビザが捺してあるパスポート。

そんなのアメリカの自宅にあるよ。
っということはどっちにしろ送ってもらわなきゃいけないのか?

もういい、とにかく明日大使館に行ってみよう。

書類発行にかかる時間は、早ければ1時間、でも数日かかることも。っと書いてある。
なにぃ~~~。


インターネットに経験者の声は載ってないか、色々検索してみると、
みんな朝早くから並んだと書いてある。
一日に処理する人数が決まっているから、並んでいても「はい今日はここまで」って打ち切られることがあるらしい。

その人は朝6時半から並んだと書いてある。

そっか、6時半か。
そのときすでに夜の1時過ぎ、よし、少しでも寝よう。



アメリカに帰れない

2010-07-28 22:22:50 | その他
さぁ、長いようで短かった日本での3週間を終え、みんなでまた渡米の帰路についた。
ちゃんと2時間前に空港に到着。空港では千葉に住む伯父さん伯母さんがわざわざ見送りに来てくれていた。

さぁ、先にチェックインを済ませてゆっくりとお話でもしようか、っということでチェックインのカウンターへ。

私のパスポートとチケットを見て航空会社のお姉さんがいう、
「グリーンカードを拝見します。」
「は?クリーンカードなんてありませんけど。」
そこから大変なバトルの始まり。
グリーンカードがなければ帰国用の航空券がないお客さんを乗せることはできないという航空会社側。

これまで何度も日本に帰ってきたけど、今まで一度もグリーンカードなんて持ち歩いたことがない私。

あんたねぇ、突然そんなこと言われても困るのよ。
アメリカに着けば、私のデータは全部コンピュータに入っていて一目両全なんだから、なんでここで足止め食らわなきゃいけないの!

このねぇちゃんにいくら言っても意味がないのはわかっているけど、簡単には引き下がれない私。
「じゃぁどうしたらいいんですか?」
「アメリカ大使館に行って、書類を発行してもらってきてください。」
は?じゃぁ今日は乗れないってこと?
がが~~~ん。

あとで、よくよく考えてみたら、今までグリーンカードの提示を求められなかったのは、私のパスポートに移民ビザのハンコと、永住権保持者であることを証明するハンコが捺してあったからではないだろうか。
グリーンカードそのものは書類が受理されてから、受け取るまで何年もかかるのが普通で、その間「この人は永住権保持者です。」ということを証明するハンコをパスポートに捺してもらう。
でも、私のパスポートは10年過ぎたので新しいのに更新した。それで、もちろんそのハンコもないわけです。
私があほだったと言えばそれまでなんだけど、本当に今までグリーンカードなんて持ち歩いたことがなかったんだもん、考えもしなかった。。。

伯父さんと伯母さんがせっかく来てくれたというのに、すごく待たせてしまった上に、ゆっくりみんなで話す時間もなかった。
すみません。

っで、結局夫と子供だけアメリカに帰り、私だけ日本にとどまることになったわけです。

とほほほほ。

松本城、そして・・・

2010-07-22 22:10:22 | その他
次に私たちが訪れたのは松本。

国宝松本城を見に行きました。




マー君、始めてみる日本のお城に代興奮。
しかもこのお城、石川数正が城主だったころに天守閣などが完成しているらしい。
そうKazumasaは実はマー君のミドルネーム。わ~い、マー君のお城だぁ。

この後は諏訪に向かいました。

諏訪では、あの御柱祭りで有名な諏訪大社にも行って、写真をとりまくったんだけど・・・、とほほほほ、カメラをなくしてしまってここからの写真はありません。

いやぁカメラを失くすいきさつはこの後じっくりお話します。


泊まった宿は元遊郭

2010-07-22 21:52:54 | 家族
今回の旅は、ホテルではなく旅館や民宿ばかり予約した。

まぁ、そっちのほうが安いというのも理由の一つだけど、旅館のほうが日本らしいし、旅館の郷土料理を食べるほうが、レストランに行くより趣がある。
それになんといっても、子連れの私たちにはそっちのほうが楽。
色々な理由で旅館に泊まることにした。

はじめて旅館の客室に入ったときのマー君の一言
「え?なんでベッドがないの?どこで寝るの?」

ははは~、お布団を敷くんだよ~~。

色々泊まった中でも、ちょっと特別だった宿がこちら、


すごく古風な造りのこの宿、なんと元遊郭。


この一角は昔遊郭外だったらしい、今でも当時の建物の外観を残しているのは、この旅館ともう一軒だけで、他はみんな建て替えられてしまったらしいけど、今も遊郭街の面影をなんとなく残している。

中がまた素敵で・・・


見事な和式建築。

これなんだと思います?

2階の客室から見える、松の木。
あまりにも形良く窓枠にぴったりはまっているから、思わず作り物かと思ってしまうけど、窓を開けて下を見ると、ちゃんと地面から生えて2階の高さまで伸びた松の木。


中庭がまた見事で


もちろん鯉が泳いでいます。

そしてここもかかけ流しの天然温泉。


お風呂のあとはもちろん・・・


この辺りも温泉が湧き出ていて、また足湯を発見。


でもこの辺の外湯は地元の人たちしか入れないみたい。

お猿を見に

2010-07-22 21:42:29 | 家族
ここは長野県の地獄谷温泉。
何で有名かというと、あの温泉に入る猿で有名。

みんな一度は見たことあるんじゃないでしょうか、雪の降り積もる中、温泉でゆ~っくりくつろいでいるお猿さんたち。

さて、冬の写真しか見たことないけど、夏も温泉に入るのかしら?
あの猿たちは寒さをしのぐために入っているわけだから、夏は入らないでしょうねぇ。

山の狭い狭い道をどんどん億のほうに入っていく。
外国人の観光客が多いらしいけど、道も全然整備されていなくて、すごく辺鄙なところに来た気分。

車を駐車してからもさらに歩く。

山道だから、たい君はおんぶね。


川沿いを歩いていく。


途中で滝を発見。

うわ~、こんな山奥に、露天風呂つきの温泉宿がある。

なんか、この風景テレビで見たことあるような。。。

お、いたいた猿だ。


あっちにもこっちにもいる。





うわ、橋の下にはうじゃうじゃいる。

すごく近くまで寄ってくる。


赤ちゃん猿がかわいい

そして、温泉には???

お、一匹入ってる。

はは、夏でも入る猿はいるんだねぇ。

お猿をいっぱいみて帰ってきました☆


戸隠忍者村

2010-07-16 23:22:23 | その他
次の日は、野沢温泉から来るまで約1時間の山奥、戸隠に来ました。

昔ここは戸隠流忍者の里だったそうで、今はちょっとしたテーマパークになってます。


本当に山奥にあるの。
この日は平日だし、学校はまだ夏休みじゃないし、人里はなれた山奥だし、っということで、客は私たちだけでした。ははは




アスレチックや、からくり屋敷など、子供たちがすきそうなものがたくさん。
ただ、マー君は忍者を知らない。
う~ん、価値が半減かも。

野沢温泉

2010-07-16 22:47:01 | 家族
2週間遅れてダディーが来ました。
マー君の学校はこれでおしまい。

これから家族4人で、車をレンタルして、ちょっとした温泉旅行。

東京から車を飛ばすこと約4時間。
山間の小さな村、野沢温泉村に来ました。


自然に囲まれたすごくかわいい町。

泊まったのは、アメリカの日本語教室でお知り合いになったお母さん友達の実家。

くつろげる、すごく素敵な宿。
かけ流しの温泉は、家族貸切で使わせてもらいました。最高。


食事はすべて手作り。
山菜をふんだんに使った郷土料理。

おいしそうでしょ~。

村の人口は約5000人。
歩いてまわれる程度の小さな村。
山から流れる水の音が常に聞こえて、すごくすがすがしい。


狭い道で、山の裾野にあるため、坂だらけ。
そこがまたかわいい。
冬は雪が降るため、道には滑り止めが。


あちこちにある小川。
流れが速くて水が澄んで冷たい。


あちこちに、自由に入れるかけ流しの足湯がある。
でも、熱くて入れられない。


ここも足湯


ここも足湯


自由に入れる外湯。
賽銭箱が設置してあって、お金を入れて入る。
温泉がどんどん湧き出ているから、ただ同然。
こんな温泉があちこちにある。


町並みがかわいい。


源泉。90度のお湯で、村の人が野菜を煮たりするために使う台所になっている。
危ないから村の人意外は立ち入り禁止。



温泉卵だ。





丘の上のほうで一枚。
背景の山が綺麗。
ちなみにここも足湯。




背の高い消火栓。
冬には雪が何メートルも積もるため、こんなに高いんだって。


これは地下水からの湧き水。
冷たくてすっごくおいしい。
ペットボトルを持っていって毎朝たくさんついで来ました。

村一番の神社へ。



山の神社ならでわの石段。

見事な欄間

自然との調和がすごく綺麗で、でも写真一枚に入りきれないから、ちょっとビデオを撮りました。




井の頭公園

2010-07-16 22:38:48 | 家族
この日は子供二人を連れて井の頭公園へ。
すごく安いのにびっくり。
子供は入場料無料。
乗り物はどれも100円。
しっかり遊べて、なかなかいい。




モルモットと遊ぶ広場。


マー君、結構運転うまいかも。さすが車好き。




小さい子が乗れる乗り物ばかりだから、小さいお子さんがいるかたにお勧め。


日本最長老のおばあちゃん像、花子。



マー君がダディーにしていた説明では、「あんまり動物がいない動物園で、遊ぶところが多い。」そうです。
しっかり6時間遊びました。
私の方がくたくた。

多摩六都科学館

2010-07-16 22:27:36 | 家族
週末は、妹の赤ちゃんあっ君と一緒に、みんなで多摩六都科学館へ。


妹の赤ちゃんは1歳2ヶ月。
とってもおとなしいいい子で・・・家のやんちゃ息子が大声を出すと、びっくりして泣き出しちゃうの。

科学館は面白い仕掛けがいっぱい。
マー君は夢中。

光を上手に当てると進む、ソーラーエネルギーの車。


自転車をこぐと発電して、模型の町に電気がつく。


映像に合わせていすが動くため、実際に自分たちが動いている気分になる。

楽しかったけど・・・ただ一つ気になったことがある。
この日は日曜日。
お父さんの姿がほとんどない。
これはカフェテリアの写真。

みーんなお母さんと子供ばっかり。
お父さんは家でお昼寝?

アメリカだったら、必ずママとパパは一緒だと思うなぁ。
父親の育児参加、まだまだ遅れているね。

マー君の小学校体験

2010-07-16 21:42:11 | その他

今回帰国のメインの目的だったマー君の体験入学について書きましょう。

アメリカのお母さん友達に散々脅されてきました。
「うまくいけば、日本の子供たちにも先生にも歓迎されて、本人もいい思い出をたくさん作って帰ってくるけど、迷惑がられて本人もトラウマになるほど嫌な思いをして帰ってくることも。
両極端だよぉ~。
さぁ、マー君は吉と出るか凶と出るか。。。」
どうなるんだろう。。。

初日、区役所に手続きに行って、それから学校に向かったために、着いたのは3時間目の途中。
しかもその日の3時間目は授業参観日。
なんでこんなにタイミングが悪いのかしら。
迷惑をかけないようにと一生懸命だったのに、これじゃぁ出だしから迷惑かけまくりじゃないか。

結局、4時間目から授業に出ることに。

はじめの自己紹介を教室の後ろから見せてもらった。
みんな外人っぽい顔のマー君に興味を示すかとおもいきや、みんなの興味は一気に補聴器に。
「ねぇ、耳になにつけてるのぉ?なんでぇ?」っと質問攻め。
少しかわいそうに見えた。

たい君もいるし、さっさと教室を去ることにした。

それから数時間後、学校に迎えに出向く。まだ帰り道がわからないからね。
っで、マー君の初日の反応は。。。
「もう行きたくない!」

ガガーーーン。
こまった、こまった、このまま行ってくれなかったら、この計画が全部台無しだわ。
色々と説得を重ねるものの、マー君は「もう行かない。」の一点張り。

もうだめかとあきらめていたところ・・・
ありがたいことに次の日は土砂降りの雨。
なぜありがたいかというと、妹に頼んで買ってもらっていた新しい傘とレインコートを使いたくて、喜んで登校。

単純です。


待ちきれなくて、朝早くから外に出るマー君とたい君。

この日は一緒に行って先生に事情を話すと、マー君のお世話係として男の子を一人つけてくれた。

この子がまたいいこで、いいこで。
びっくりするほど礼儀正しくて、はきはきと話をして・・・
きっとクラスの中でもしっかり者の優等生をつけてくれたんだわ。

そしてこれまたこの先生が、いい先生で・・・。

たった2週間しかいない子供のために、何をやったって何の評価にもならないだろうに、
ただ余計な仕事が増えるだけだろうに、嫌な顔をするどころか、それはそれはマー君のためにいろいろやってくれて感謝感激。

結局マー君は、行きたくないとぼやいたのは初日だけで、その後は元気に登校。
最後には、「楽しかった、また来るからね。」っと言うほどに。

最終日、わざわざマー君のためにお別れ会までやってくれて、しかも、短い間に文集まで作ってくれた先生。
一人ひとりマー君と一緒に写った写真と、子供たち直筆のマー君へのお手紙。
感動です。

そして、さようならを言いながら、涙を流してくれた先生。
あ~、こんな言い先生に出会えてマー君は本当にラッキーでした。


これが学校。典型的な日本の小学校ね。


学校ではプールの授業も。
こんな写真載せて大丈夫かしら?まぁ、生徒の顔は見えないからいいでしょう。。。はは


アメリカにはない給食風景。先生が撮ってくれました。


アメリカにないものといえば、やっぱり昇降口。
建物の中に入るのに靴を脱ぐのは日本ならでわ。


毎日ランドセルを背負って、たい君と一緒に歩いて登校しました。


お友達と一緒に下校。
子供だけで歩く姿を見て、つくづく日本は安全だなぁっと思いました。

いい思い出ができてよかったね。

貴重な体験をさせていただいて、本当にありがとうございます。

ルールだらけの日本、ルールを守る日本人

2010-07-06 21:26:02 | その他
よく「日本は道端にごみなど落ちてなく綺麗だ。」っと言われる。
確かに、これだけの大都市で、これだけの人がいるのにしては綺麗だと思う。
それは、清掃車がひっきりなしに町を掃除しているからではなく、一人一人がごみをポイ捨てしないからだ。

何でもOKのアメリカから来ると、この誰もが決まりを守る日本に驚きを隠せない。
たとえばゴミ。
その日はペットボトルの収集日。
路肩に出された網のに、この辺りに住む人がそれぞれ持ってきて捨てる。
この辺りに住むといっても、アパートやマンションが多くあり、もちろん隣近所は赤の他人。
それでも、ちゃんとルールを守る日本人。
すべて綺麗にすすいであり、ラベルは全部取られてあり、キャップは取られてあり、透明のペットボトルだけが入ったそのかご。


アメリカなんていくら分別用のゴミ箱が設置されてあろうと、誰も気にせず何でも捨てるから、どのゴミ箱も混ざりに混ざって全然分別の効果などない。

ルールを守る日本人はすばらしいなぁ、っと思う反面、久しぶりに帰ってくると、ルールに縛られた生活が窮屈でならない。

子供を連れてプールに出かけた。
お金を払ってチケットを買うと、「11:28までに出てください。」と書いてある。
自分の時計を見ると9:28、たった2時間しかいちゃいけないことになる。
更衣室にはすべての壁に注意書き。
「私物を置きっぱなしにしないでください。」
「ロッカーに入れて必ず鍵をかけてください。」
「時計ははずしてロッカーに入れてください。」
「靴は○○に置いてください。」
「このプールは何歳から何歳用です、小学生は入らないでください。」
など等。

中に入る通路でもあちこちに注意書きがある。
「入る前にシャワーを十分に浴び、化粧や整髪料は洗い流してください。」
「プールサイドでは走らないでください。」
「小さいお子さんをお連れの方は云々・・・・。」

私が青い袋にタオルとカメラを入れて持ち込むと、係りの人がやってきて、
「中が見える袋でなければいけません、これに入れ替えてください。」っと透明のビニール袋を渡す。
カメラをだすと、
「カメラの持ち込みは禁止されています。」
は?子供がプールで遊ぶその姿を撮っちゃいけないの?
「濡れて壊れてしまうので。」っと係員。
そんなの自己責任でしょう。

「プールでは水泳帽を着用してください。」
え?もってきてないわ、って言うかもってもないわそんなもの。
「そしたら外に自動販売機があるので、そこで買ってきてください。」
はいはい。

プールで遊んでいても、ひっきりなしに注意される私たち。
マー君がビートバンで遊んでいると、
「上に乗るなどして水の中に沈めてはいけません。正しく使ってください。」っと注意を受ける。
階段の手すりにつかまって遊んでいると、
「階段付近で遊んではいけません。」
バチャーンっとちょっと勢いよくプールに入ると(もちろん足から)、
「飛び込みはいけません。」

2時間に一度ある10分の休憩時間は、10分間延々と注意事項や決まりごとをを読み上げる。
「何々をしてはいけません。」
「ここでは何々をしましょう。」

あーもういやだいやだ。

1時間45分経過。
余裕をもって早めに出よう。
嫌がる子供を説得してプールから上がり、着替えてロビーへ。
お腹が空いたという子供たちに、少しスナックを食べさせてさぁ外へ。
出るときに
「チケットを見せてください。」っと呼び止められる。

はいはい、っと差し出すと。
「時間が過ぎています、時間内に出るようにしてください。」
え~~?
「過ぎてませんよ、ちょうど11:58じゃないですか。」
「いえ1分過ぎてます。今後は気をつけてください。」
あ、あんたねぇ、少しは融通利かせなさいよ。
なんて思ってはいけないのか。

ちっとも楽しくなかったわ、このプール。

きっと思われていることでしょう。
「あのハーフの子を2人連れてた母親、ルール違反ばかりしやがって、日本のルールが守れないなら出て行け。」

東京生活

2010-07-06 20:58:31 | その他
やってきました、日本というよりは、やってきました東京って感じ。
いやぁ~、東京とは、アメリカとも私の出身地とも似ても似つかぬ特殊な世界だと思う。

いや、東京に住んだことはあるけど、あの時は独身だったし、かなり都心部だったし、あそこに生活の匂いはなく、私の出身地と比べるようなものではなかった。

しかしこの東京住宅地ときたら・・・。

だいたいねぇ、ここ、狭いのよ。
この狭い中に、びーーーーっしり建物が立ち並び、道は狭いし庭もない。


妹の家と隣の家との境はこれだけ。

それにここ、私にとっては迷路以外のなにものでもない。

どの通りも同じように見える。ぱっと目碁盤の目のように見える区画は、実はそうではなく、行き止まりがあったり、隣の通りと平行かと思えばそうでもなかったり、何回歩いても東西南北がわからなくなる。
目印は太陽?
ああ、方位磁石が必要だわ。

家のすぐ横の交差点に立って、これが北。


西









そして少し先に行ってもやっぱり見た目は同じ。



マー君も「なんで道が狭いの?」「なんで歩道がないの?」と私に聞く。
こっちが聞きたいワイ!!!

せっま~い道をバスが無理やり走っていく。

それに、曲者はこの踏み切り。
タイミングが悪いと、開かずの踏み切りとなるのです。




マー君の初登校日、学校は歩いて10分だからと、ちょっと余裕を持って15分前に出た私たち。
しかし、踏み切りにひっかかり、電車が右から一本行ったかと思えば、続けて左から一本。そしてまた右から一本。電車が切れたかと思いきや、踏み切りはあがらず、カンカンカンカン・・・。いっときしてまた電車が一本、反対側からまた一本。そんな調子で足止め15分。

電車好きのマー君は大喜び。
ぴょんぴょん飛んで、「わーい、また来た。」っとおおはしゃぎ。
初日から遅刻はできんと、いらいら来る私。

結局・・・、遅刻してしまいました。

次の日は、踏み切りを考えてさらに15分早めに出たところ・・・、たった3本で踏切が上がり、結局すごく早く着いてしまいました。

電車での移動が便利かも知れないけど、電車以外の移動が、きわめて不便。

子供を前と後ろに乗せて自転車をこぐ、たくましいお母さんの姿をよく目にするのも、車が不便に感じるこの狭い東京ならではなのでは?



親切な日本人

2010-07-06 20:01:35 | 思うこと
友達に「ユナイテッド航空で行くのは辞めとけ。子供二人連れてユナイテッドは自殺行為だ。ANAかJALにしなさい。」とさんざん忠告をうけておきながら、$100ほど安いという理由でユナイテッドを選んだ私。

・ ・・まちがいでした。

前JALで行った時とは大違い。子供がいるからといって、何の配慮もサービスもない。
JALの時みたいに飛行機のおもちゃはもらえなくても、塗り絵くらいはあるでしょう、と思いきや大間違い。
塗り絵どころかお子様ミールすらない。

たい君は前の座席についているテーブルをあげたり出したり、バタンバタンする遊びを発見。いくら止めろといってもやめない。
もちろん前の人(日本人でない)に「ちょっと止めさせていただけません?」っと叱られた。
次は、前のいすをボコンボコン蹴る遊びを発見。
靴を脱がせて「止めなさい」っと叱ると、大泣き。

こまった。
そしたらヘッドホンを見つけたたい君、プラグをさしたり抜いたりして遊びながら、あっちこっちをいじくり回してあそぶ。
「よかった~。」っと思った矢先、ボキっと鈍い音?
え?
あらぁ~、折っちゃった。
ヘッドホンが真っ二つ。
やばい、やばいどうしよう。
取り上げて隠す。

そしたらまた叫びだした。
やばいやばい、黙らせなければ。
っと、私のヘッドホンを見つけたたい君。
それを欲しがる。
もう壊さんだろうと渡した私が馬鹿だった。
5分も経たないうちに、またボキ!

だめだめ、お菓子で黙らせよう、お菓子お菓子。
お菓子を機嫌よく食べているから安心していたところ、ふと見ると、お菓子の包み紙をポーンと前の座席に投げてるじゃないですか。

あ~~~~。

しかも、マー君はなぜかお腹が痛いと15分に一度くらいトイレに行く。
3人で通路を行ったり来たりする親子。

飛行機の中で寝てくれることを祈っていた私。
結局マー君が寝たのは着陸の1時間前。
たい君ときたら、着陸してから眠ってしまった。
降りるとき寝た子を2人抱えていても、もちろん手伝うどころか声もかけないユナイテッドのスチュワーデス。
くっそ~~~。

くたくたになって飛行機を降りたら。
そう、そこは日本。

降りてからは次から次へと人が助けてくれる。
「あら、大変ですねぇ、荷物を持ちましょうか。」

バス停を探していると、「どちらに行きますか?っという私もよくわからないのですが、一緒にお探ししますよ。」っとなんてやさしい。

バスに乗るのも後ろの人が助けてくれて、荷物の心配をする必要はなし。
バスから降りて「公衆電話を探さなきゃ。」っと言っていると、「どうぞ私のをお使いください。」っとご自分の携帯を差し出してくれる人がいる。
待ち合わせ場所のマルイの場所を聞くと、「じゃぁ、一緒に行きましょう。荷物を持ちますよ。」っと助けてくれる日本人。

なんてまぁ親切な人々なんだ。
ユナイテッドのスチュワーデスなんて、こっちが客だというのに完全に無視。それに比べてなんて親切な日本人。
着いて早々感動してしまった私でした。