白杖のトライリンガル

難聴だけじゃない?網膜色素変性症を併せ持つアッシャー症候群の息子達の日常を母の目からつづります。

幼児からはじめる英語教育の意味

2008-09-23 06:52:27 | その他
友達が、育児系の雑誌を送ってくれた。
彼女はライターさんで、その雑誌の記事を書いている。
その記事に写真を提供したので、無料で送ってくれたわけ。

今回の特集に英語の早期教育のことがかかれてあった。
私が子供のころとは比べものにならないくらいの、英語教育熱にびっくり。
しかも、そのスタート年齢の早いこと!
2歳や3歳から英語塾に通わせている親もいるみたいですねぇ。

自分たちが日本語教育に躍起になっているものだから、反対に英語教育に躍起になっているという話を聞くと少し滑稽に聞こえる。

まぁ、これからどんどんグローバル化が進み、英語は国際言語として使われるだろうから、英語の必要性はますます高まるでしょう。
私が子供のころ、英語といえば受験に必要なもので、しゃべれたらかっこいいけど、特に必要ないものだった。
でも、これからは英語がしゃべれなければ、惨めな思いをしたり、出世の妨げになったりするんだろうと想像がつく。
だから、今親が必死になっているのもよくわかる。

「まずは母語である日本語を確立させるのが先決」などとの反論があるのは知っている。
まぁ、一理あると思うけど、私はそんなにそのことを心配していない。
だって、バイリンガルで大きくなる子供たちをたくさん目の当たりにしていますから。

ただ、早期教育の理由について、その第一に挙げられているのが「発音」というのには、かなり反論したくなる。

なまじ英語圏に住んで、英語を日常使う身としてえらそうな口をきかせてもらえば、
発音なんてどうだっていい!
と私は思います。

英語という言語は、世界中で話されているわけです。
みなさん独特のなまりで、いろんな発音で話されているわけです。
日本人にとってもっともスタンダードとされるアメリカ英語は
イギリス人にしてみれば英語じゃないわけですよ。

なまりは、自分のアイデンティティーを主張するものであっても、恥じるもんじゃない。
日本語訛の何が悪い?

私は毎朝NPRのラジオを聴く。
NPRとは日本でいうNHKのような存在。

特派員とでも言うのか、世界各国にKQEDのリポーターがいて、世界各地から情報を配信している。
その人たちはほとんど現地人。
なぜわかるかといえば、中国なら中国語訛、日本なら日本語訛、中東なら中東訛、ロシアならロシア訛みんなすっげ~なまりでしゃべるから。
英語だから話せる人が多い、英語だから特派員をこっちからわざわざ送らなくても大丈夫、そしてみんな訛のある英語で堂々とアメリカに向けて配信し、多くのアメリカ人が日常に聞いているわけです。
違和感なんて感じないわけです。

訛でしゃべるのはリポーターだけではありません。
現地の人にインタビューをした場合などは、ラジオという性格上字幕をつけるわけにはいかないから、吹き替えになる。
その吹き替えも、中国人にインタビューをすれば、中国語訛で、日本人にインタビューをすれば日本語訛の英語で吹き替えをしてある。
雰囲気を出すという目的もあるでしょうけど、日本人なら日本語訛の英語をしゃべるのは当然で、自然なんだと私は解釈している。

英語は国際語としての立場を確立している。
それは、いろんな訛で話されて当然という意味でもある。

イギリスに行けば訛のある英語を馬鹿にする風潮があると聞いたことはある。
そんなの「ばかやろう」と言ってやりたい。
もう英語はイギリスのものではない。
どんな訛ではなそうと、「通じればいい」それが国際語としての立場だと思う。
イギリス人がイギリス英語を大切にしたいのであれば、どうぞ勝手にすればいい。
でも、国際語としての英語は一人歩きをしている。
もうすでに、いろんな訛で話されていて、それが当然になっている。
それがいやなら、国際語を変えるしかない。

日本人は日本語訛の英語で話せばいい。
それが日本人としてのアイデンティティーの主張でもあると私は思う。

「発音が悪ければ通じないのでは?私は海外旅行にいったとき通じなかったよ。」
っという人がいるでしょう。
確かにカタカナを読み上げるようにしたら、通じない。
R, L, F, TH, V など日本語には存在しない発音が山ほどある。
それには通じるコツのようなものがあって、そのコツさえマスターすれば、ひどい訛でも通じる。
そのコツを身に着けるために、幼少から塾に通う必要はない。
大人になってからでも、ちょろっとそのコツを練習すれば、だれでも通じる発音くらいできるようになる。

私は英語でめちゃくちゃ苦労している。
でも、発音で苦労していると感じたことはない。
発音なんかどうだっていい。

英語で話すといつも聞き返されてしまうというあなた。
それは発音が悪いからではなくて、発音に自信がなくて小さい声になるから聞こえなくって聞き返されている場合が多いのでは?
自信を持ってはきはきとしゃべってみたら、聞き返される回数もぐんっとへるかもよ。

発音、発音、と気にしすぎるから英語がしゃべれないんじゃないかしら。


プチ同窓会

2008-09-20 08:33:20 | その他
夫が昔入っていた「トーストマスターズ」というグループの古い友人に先日お会いしたのがきっかけで、その方が主催するバーベキューパーティーにお呼ばれした。

行ってみてびっくり、大学時代の友人が何人もきている。
まるで大学のプチ同窓会状態。

このグループのみなさんの共通点は、日本語も英語もできること。
どちらも、かなり高いレベルでできる完全なバイリンガルさんたちが多い。
日本人とアメリカ人の比率はだいたい半々くらいかしら。
日本語で話が始まれば、自然とみんな日本語で話に参加してくる。
英語で話が始まれば、これまた自然にみんな英語で話しに参加してくる。

ここで久しぶりに出会った大学時代の友人とは、うちの大学に来ていたアメリカ人留学生たちのこと。

サンフランシスコ州立大学とうちの大学は交換留学の提携をしていた。
国費留学だから、競争率は高かったらしい。

うちの夫もじつはこの交換留学生の一人。
ただ彼は、交換留学生として1年滞在した後、サンフランシスコの大学院を辞めてうちの大学院に入りなおし、2年の修士課程をうちの大学で修了している。

読み書きを含めてかなり高いレベルで日本語ができるアメリカ人ということで、この「トーストマスターズ」の特色とぴったり合い、この顔ぶれになったんでしょう。

みなさんあらゆる方面で、日本語と英語を使って大活躍している。
いやぁ、かっこいいです。

うちの夫の日本語力は、この誰にも負けてはないんだけど、出世という点ではちょっと・・・いや、これ以上言うのは控えることにしましょう。

ちょっとで帰るつもりが、あまりにも楽しくて時間を忘れて皆さんとの会話を楽しみました。





インクを食べちゃった

2008-09-20 08:01:34 | その他
久しぶりにKumiさんと遊んだ。

すっごく久しぶりだったもので、話にも花が咲き、タイ君が何をしているかなんて気づかなかった。

手を見てびっくり。
青いインクで真っ青!

顔を見てもっとびっくり。
その青いインクを食べて口の周りも口の中も真っ青

あ~~~~。

大丈夫、大丈夫。
子供とはいろんなものを食べて大きくなるものさ。
なはははは

子供を守る法律

2008-09-20 07:54:03 | その他
前回の続きっというか、本題に入ります。

以前ここに書いたけど、カリフォルニアでは子供を常に大人の監視下におかなくてはいけない。
だから、学校から帰ってきて、ランドセルを置いて「お友達とあそんでくるねぇ~。」なぁんて子供だけで家をでるなんてことはありえない。
もちろん、「ちょっとそこまでお使い」というのも違法行為なわけです。

子供を誘拐から守るためだとかなんとか、それにしてもこの法律は行き過ぎている!っと私はかなり憤慨しておりました。

子供を守るためだかなんだか知らないけど、自由を与えないことも人権侵害のひとつではないのか?とさえ思う。

この話を日本人にすると、ほとんどみんな例外なく「とんでもないねぇ、それ」っと言う。

でも、Kayoちゃんにこの話をしたとき、彼女は目を輝かせて「それって、すごくいい法律ね! 日本にもそんな法律ができたらいいのに」っと言ったのにはびっくり。
「これのどこがいい法律なのよ!」っと声を荒げてしまったほど。

しかしKayoちゃんの話を聞くにつれ、この法律ができた本当の意味がわかった気がした。

「世の中にはひどい親がたくさんいるのよ。」
Kayoちゃんは、自分の経験談を語ってくれた。
あの炭鉱の町には、あらゆる家庭問題が凝縮されている。

母子家庭なのに、外に男がいて子供を家に置きっぱなしにして夜遅くまで帰ってこない母親の話。
お母さんが帰ってくるまで、家で一緒に待っていてあげたこと。
育児放棄としかいいようのない親の話。

ひどい、本当にひどい。
子供たちがかわいそう。
その子たちを救ってあげたい、助けてあげたい。
馬鹿な親をどうにかしてほしい、罰してほしい。
話を聞いていると、そんな気持ちになる。

それで気づいた、このカリフォルニアの法律の本当の意図を。


二層社会と言われるアメリカは、貧富の差が激しく、私たちの想像を絶するようなもうひとつの世界が広がっている。
そして、アメリカは離婚率が高い。
特に、この層の人たちの間では、たくさんの女性が十代で妊娠出産し、未婚の母も多い。
麻薬もはびこっている。

男と遊んだから子供ができた。
中絶するお金がないから、子供を産んだ。
という、親になる資格のない親がごろごろいるのは想像がつく。
子供の父親は誰かわからない、又は父親が認知しないなんてのはよくある話。

完全に育児を放棄した親のもとで、完全に置き去りにされていた幼い子供たちがたくさんいたに違いない。
だからと言って、行使する法律がなければどうしようもない。

親が子供に食事を与えてないとか、虐待をしているとか、そういうことがない限り、子供を放って親が遊びまわっているからといって、親を罰することも子供を無理やり親から離し保護することもできなかったんだ。

そんな、家にほったらかしにされた子供を救いたいと、関係者は手を拱いていたにちがいない。

きっと、たくさんいたんだ。
そんな子供たちがたくさん、たくさん。

そんな子供を守るためには、「子供だけにしてはいけない。」という法律が必要だったんだ。

そう考えるとこの法律、なんだか許せるような気がしてきた。

う~ん、でも。。。
夜8時以降は子供だけの状態にしてはいけないとか、時間制限をつけてくれたらありがたかったのになぁ。

あ?そんなの邪道ですか?



炭鉱町の今の姿

2008-09-18 14:44:21 | その他
先日、日本から遊びに来てくれたKayoちゃんは、小学校の先生。
実は私の里から、そうと遠くない町で先生をしている。

その町は、半世紀ほど前炭鉱で栄えた。
炭鉱が開発される前は何もないところだった。
炭鉱が閉山されて、また何もない田園地帯に戻った。

でも、100%炭鉱以前に戻ったわけではない。
たくさんの人とたくさんの問題を残して、炭鉱は閉山された。

知る人ぞ知る、炭鉱町に共通する数々の問題点。

もともと炭鉱には、食いはぐれた貧乏で学のない人たちがたくさん職を求めてやってきた。
炭鉱が閉山されてからは、行く当てもなく新しい職もなく、その地に残された。
食べていくためには手段を選ばず、子供に盗みを教えることもあったという。
今でも、昔の炭鉱地は生活保護受給者が多い。

Kayoちゃんはもともとその町の出身者ではないものの、いろいろあってそこで先生をすることになった。
話には聞いていて、想像はしていたものの、現実としてKayoちゃんの前に立ちはだかる問題は、想像をはるかにこえたものだったという。
貧困。
そこには今も貧困がはびこっている。
そして、貧困とほぼ同時に出てくる言葉、「無職の父」「お酒」「家庭内暴力」「虐待」「家庭崩壊」。

去年受け持ったクラスでは40人中実に20人の子が母子家庭だったらしい。

私はその隣町で育ったので、Kayoちゃんが言っている意味がよくわかる。
普通の人には信じられない事実がそこにはある。
しかし、聞いていると、ひどい家庭で育った私でさえ唖然とさせられる。

今回Kayoちゃんと話をしていて、私は大きなことに気づいた。
今まで思いもよらなかった、考えもしなかったこと。

う~ん、ちょっと長くなるから続きはまた今度。

マー君の怪我

2008-09-16 14:25:06 | その他
夫から会社に電話がかかってきた。

「マー君がCEIDで頭を強く打ったらしいんだ。意識はあるけど病院に連れて行ったほうがいいと言われたから、すぐに迎えに行って病院に連れて行ってみるよ。」

え?そんなに強く頭を打ったの?

その電話から、マー君のことが気になって仕事が手につかない。
夫は自分がついているからいいと言うけれど、いてもたってもいられず、会社を早退して帰ってきた。

家に帰ると、夫とマー君も病院から帰ってきたところ、マー君はぐったりして歩くこともできない。


CEIDにはターザンみたいにぶら下がって遊ぶブランコみたいなのがある。
下には落ちても大丈夫なように、ふかふかのスポンジマットが3つほどあるんだけど、
どうやら、そのマットがずれていて、マットとマットの間にちょうど落ちたらしい。
しかも後頭部から。

そこまでひどく頭を打ったらどうなるかなんて私は知らなかった。

マー君は真っ青な顔で、嘔吐の連続。
30分間隔くらいの頻度で、うえ~、うえ~っと吐き続ける。
吐いちゃうから、食べ物どころか水分も体に残らない。

日本だったら絶対に点滴で水分を補給するだろうけど、ここはアメリカだからね。

「長く寝かせないようにしてください。意識を失っているか寝ているかわからないので。」

アドバイスはこれだけ。

後頭部を打ったのに、おでこの方が痛いと頭痛を訴えるマー君。
この30分間隔嘔吐は20時間くらい続き、次の日ようやく収まってきました。

いやぁ、頭を打つって怖いもんですねぇ。
脳震盪というやつなんだけど、もっと怖いのは、時間をあまりおかずにもう一度脳震盪を起こすことならしい。
それで、十分に気をつけるように言われた。

でもねぇ、男の子でしょう。
気をつけたって無駄なのよね。

昨日は猿渡で遊んでいるときに、鉄の棒でゴンっとうち、
今日はジャングルジムで、頭をゴンっとうち、
夕方は、鉄の扉が大きく開くものと飛び込んだところが少ししか開かなくて
また頭をゴンっとうち、
どれも、見事なたんこぶができるほどの派手な打ちよう。

夫は心配して病院に電話。

でも医者は、「たんこぶくらいなら大丈夫。」っとのこと。

元気がいいのはいいけど、ちょっとあんまり心配させないでねぇ。

マー君の問題行動

2008-09-15 14:53:44 | その他
育児書なんかによく載っている。
「兄弟の育て方」

赤ちゃんが産まれると、上の子が嫉妬で赤ちゃん返りをしたり、下の子に意地悪をしたり。
必ず書いてある
「上の子にも十分に愛情を注いであげること。」

私はそれを読むたびに
「当然じゃ~ん、簡単じゃ~ん」
っと思っていた。

兄弟は上手に育てることができると自信があった。

たい君が産まれても、少々わがままになったものの、たい君に危害を与えることはなかったマー君。


し・か・し

たい君がはいはいを始めて一転。

線路を作れば壊され、ブロックを積み上げればなぎ倒され、大好きな車を並べればめちゃくちゃにされる。

「やめて~」っとつい突き飛ばしてしまう。
そしてたい君が「ぎゃ~」っと泣いて、マー君はダディーにしかられる。

そしたら今度は、わざとたい君に意地悪をするようになった。
歩きながらわざとぶつかったり、
飛行機を飛ばすまねをしながら、わざとたたいたり。

「今わざとでしょ?」
っと問い詰めると。

「もうしないよ。」
っという。

でもまたすぐにする。

しかると、泣きながら言う。
「だってぼく、たい君が嫌い!」

この行動は、どんどんエスカレートする一方。

こまったもんだ。

兄弟を育てるのって、口で言うほど簡単じゃない。
どうしたらいいものか。。。

厳格監査とは

2008-09-07 15:29:08 | 仕事
念願だったドラマ『監査法人』をやっと見ることができた。
思ったよりずっと奥が深くて面白かった。
舞台はバブル崩壊後の銀行による不良債権問題から、
ライブドアに象徴されるようなベンチャー企業と時代をそのまま反映させていて、日本の経済そのものを追う構成。

日本の外部監査役は企業と癒着していて、ちゃんと機能していないということは昔よく言われていた。

ドラマでは、厳格監査を目指す若手と、昔ながらのやりかたを通そうとする会計士が対立する。
結局、昔ながらのやりかたで企業の粉飾決算を見逃してきた理事長は警察につかまり退任させられる。
ドラマでは、日本経済が国際的に強くなり、世界の投資家から信頼を得るためにも、
もう以前のような監査をしてはいけないとの趣旨を強調しているようだった。

でも、これまで行われてきた企業癒着形監査を完全に悪と決め付けてないところが面白い。

粉飾決算は絶対に認めてはいけないとの趣旨は一貫しているものの、
監査は厳格にイエスかノーか白黒決めるだけではダメだと暗に示しているところが日本らしい。

私は日本の監査現場で働いたことが無いため、はっきりとしたことはいえないものの、
アメリカの方が厳格監査の追及はもっと厳しいものがあるとおもう。

特に上場企業監査の場合、監査報告書にサインするパートナーは5年ごとに替わらなければならないし、
3年に一度は証券取引委員会からの監査を受ける。

そんなアメリカであっても、監査の世界が正しいか間違っているか、イエスかノーかの世界だとは思わない。
実は最近になって、私もようやくクライアントの立場や意見に耳を傾ける余裕が出てきて、そう感じるようになってきた。
明らかな粉飾決算は別としても、監査をすれば修正が必要な点を必ず発見する。
複雑で、しょっちゅう変わる会計原則を、いちいち調べながら帳簿つけをやっているクライアントなんてほとんどいないし、
中小企業の会計担当者なんて、ちょっと簿記を勉強した程度で、会計原則に精通している人なんてそんなにいるものではない。
監査とは、不正を見つけることよりも、正しく会計原則に沿った決算報告をつくることのほうがメイン業務だと私は思う。
だから、意図的ではない間違いをたくさんたくさん修正するわけです。

今までは、間違いを見つけると仕事をした気分になるし、クライアントが知らなかった会計原則を説明して修正を加えるのは、
自分が知識ある有能な会計士だと証明しているようで満足感のようなものを感じていた。(←性格悪い?)
でも今では、よっぽど額が大きいものでない限り、少々はクライアントの意見を聞いて修正を加えたり、加えなかったりする。
この“大きい額”というのは、監査の世界では"tolerable misstatement"と呼びAudit Standard(という監査法)に基づいて計算された額で、私が適当に決められるものではなく
これを超える額のものを見逃すと、監査人としての責任を問われるのだけれど、逆に言えばそれ以下のものはある程度こちらの判断にゆだねられる。
クライアントにとって都合のいい修正は入れて、都合の悪い修正は入れないなんてことはしょっちゅうある。
人によって意見は異なると思うけど、私はこれって必要なことだと思う。

ドラマは、思ったより単純明解で分かりやすく誰が見ても楽しめるものだったんじゃないかしら。
あら、あなたは見てない?うちにビデオあるから、貸してあげるよん。