白杖のトライリンガル

難聴だけじゃない?網膜色素変性症を併せ持つアッシャー症候群の息子達の日常を母の目からつづります。

ドラマ「官僚たちの夏」

2009-09-26 07:51:52 | その他
この数日は毎日寝るのが遅かったせいでお肌が荒れてしまった。。。

何をしていたかと言うと、ドラマにはまって夜遅くまで一人で見ていた。

ドラマの名前は「官僚たちの夏」最近日本で放送されたものだと思う。

日本のドラマを見るには中国語のウェブサイトが一番。
日本のウェブサイトは、著作権などが厳しいのか、海外からのアクセスがだめな場合が多いし、
ドラマやアニメは古いものしか見れない。

それに比べて中国語のほうは、がんがん日本のドラマを盗んでは適当な字幕をつけて載せている。
世の中には頭のいい暇なやつがいるもんだと関心。

http://www.tudou.com/programs/view/5e4C7S4-o8U/

このドラマは、戦後の日本の復興を通産官僚の目から描いたもの。
いやぁ~久しぶりに面白いドラマを見た。

このドラマを見つけてくれた、台湾人の友達と「何話まで見た?」
っと話しては、その時代の日本や世界経済、アメリカの態度などについて議論した。

彼曰く、
「日本はすごいと思う。何もないゼロからここまでなったんだから。すごいのは、あらゆる分野でトップに躍り出たことだよ。台湾、韓国、香港、シンガポールなど、アジアの竜と呼ばれる国々は、日本が歩んできた道をまねしてたどってきた。でも小さい得意分野でしか成功は収めてない。台湾で言うなら半導体産業は大きいけれど、結局はコンピューターのパーツでしかなく、台湾の企業名でのロゴはのらない。それに比べて日本は研究開発から、部品、エンドプロダクトまですべてを作る。業界も重工業、軽工業、金融、文化、すべてにわたって世界のトップレベルだ。」


最終回まで見終わったときに、彼はしみじみと言った。

「君は幸せ者だね。誇れる国があって。そのうち台湾は中国に吸収されて、台湾が存在したことすら忘れられる日が来るさ。俺たちの帰る国は、、、ない。」

私は必死に何かを言おうとした。
「台湾は台湾よ、立派な国よ。中国の一部なんかじゃない。日本政府が台湾を国と認めてないのは、中国のご機嫌を取るためだけ。世界中の国がそうだと思うよ。」

そう言いながら、自分がアホっぽく見えた。
あまりにも言っている内容が軽薄すぎる。
でも何もいえない、だってそんなこと考えたことがなかったから。

日本にいたとき、自分には愛国心なんてないと思っていた。
日教組の先生ばかりの学校で育った私は、どちらかというと左翼的な考えが強かった。

でも台湾人を前にして、自分がどれだけ日本を誇りに思っているか、自分がどれだけ恵まれているか感じずにはいられなかった。

私は無意識のうちに、あのドラマを通して自国を自慢していたように思う。

彼は自慢だとはとってないみたいだけど、私はすごくうしろめたい気持ちになった。

どんな国の人も、自国を想う気持ちがある。
当然だよね。

不景気の波

2009-09-19 03:06:41 | その他
不景気の波を感じずにはいられない。

数ヶ月前うちの会社でもリストラがあった。
監査部からは、若い方から2人切られてしまった。

その後もなかなかクライアント獲得ができずにいるようだ。
しかも、わが社第二位の大口クライアントが合併によって他の会社の傘下にはいることになり、
この第三四半期が終わると、親会社の監査人に引き渡すことになる。

絶対にもう一回リストラがあるだろうと見ている私たち。
さて、次は誰だ?っとみんなびくびくしている。

いや。。。あんまり「びくびく」でもないかも。
なにせ私以外みんな20代という若いひとたちなもので、とくに家族を養う責任もない。

「会社を首になったら、俺はタイに行って半年くらいのんびり暮らすよ。」
「おれは、修士課程に入ってもうちょっと学を着ける。」
なんて話で盛り上がったり。。。

私は?
「私が首になったら、もう一匹つくろうかなぁ。ベイビー。ふふ。」

いつ首になってもいいように、荷物をまとめて私物はせっせと家にもって帰る。
私の前に座っているWはもうすでにキャビネットの中も、引き出しの中も空っぽ。

おいおい。

まぁ、冗談はおいといて、どうなるんだろう。。。
今から履歴書をいろんなところに送ったほうがいいかもしれない。

厳しい世の中ですね。

マー君の学校が始まりました

2009-09-15 03:41:19 | 難聴・手話
マー君の学校がスタートした。

アメリカではキンダガーテンは義務教育の一年目で、小学校の中にキンダーの教室がある。

マー君の学校はバークレーの中でも富裕層が住む高級住宅地にひっそりとたたずむかわいい学校で、一クラス20人の2クラスという小さめでちょうどいいサイズ。

バークレーではもっとも人気が高く、なかなか入れないらしい。

この学校には難聴教室が併設されているため、学区外であるものの入ることができた。

この学校には他の障害を持つこのための特別教室はなく、あくまでも難聴に焦点を置いている。
全校生徒はみんな簡単な手話を学び、先生方も手話ができる人が多い。


マー君は難聴教室ではなく普通教室に入ることになった。
っとはいっても、クラスの中にマー君も含めて4人の難聴の子がいる。
そのうち3人はCEIDからのもちあがり、心強い。


マー君の担任の先生はこの学校に21年勤めているベテランの先生。
キーワードに手話を交えながら話してくれる。

先日お会いしたときに、「一日目はまず補聴器の説明をするんです。残りの16人の子は補聴器を見たことも聴いたことも触ったこともありませんからね。みんな『うわ~かっこいい~、私も欲しい。僕もつけたぁ~い。』と大変なんですよ。」っと元気に話していらした。


学校には難聴教室の担任の先生の他にも、難聴教育の専門家や手話通訳が常在していて、一般教室を回っては、難聴の子をサポートしている。
マー君のクラスを担当しているのは日系アメリカ人の鈴木先生。
彼女もこの道20年以上のベテラン。
日系人にしては珍しく日本語もできる。すごくうれしい☆

アメリカの学校では普通担任の先生と、アシスタントの先生と、ボランティアの親たちが教室で子供たちと一緒になって学び遊んでいる。
だから『難聴教育の専門家による見回り』なんて仰々しい名目があっても、鈴木先生が自然に教室に溶け込んでいる姿が目に浮かぶ。

教育委員会との話では、「とりあえず普通教室に入って、もし必要であれば難聴教室にも行きましょう。」ということになっている。
でも先日鈴木先生にお会いしたときは
「マー君は全然問題ないですよ~。みんなとあっという間にお友達になって、積極的に発言もするし、ワンダフル、ワンダフル。」っとおっしゃっていた。


結局日本行きを躊躇したもうひとつの理由は学校。
日本語を学べるのはうれしいけれど、今せっかくいい学校に巡り会ったのに、それを捨てるのは惜しい。
それに難聴という点を考えると今以上にいい環境になるとは思えない。

私はどうしてもマー君を「自分だけ特別だ、自分だけが損をしている劣っている。」という気持ちにさせたくはなかった。
身近に同じ難聴の子がいる環境で育てたい、そう思ってきた。
20人中4人が難聴なんて最高の環境じゃないですか。


マー君はスクールバスも、スクールランチも、アフタースクールケアも大好き。

ただ・・・スクールバスがあと15分早く来てくれたらありがたいんだけど。
毎日遅刻なのよねぇ、今の時間だと。。。

日本かアメリカか

2009-09-08 14:29:39 | その他
日本行きの話で一番ネックになっているのが私の仕事。
日本に行ったからといって、今の仕事をあきらめたくはない。
せっかく土台ができたのだから、私のキャリアにブランクをつくりたくはない。

そこでリクルーターに履歴書を送ってコンタクトを取ってみた。
コンタクトを取ったのは全部で3つ。
どれも外資系又は英語ができる人を扱う専門のリクルーター。
私はもちろんUSCPAとしての仕事をリクエストした。

三者三様いろんなことを言ってたけど、結局たどり着いたところは、
「残業が多くて当たり前。7時前に退社できるところなんてほとんどない。」
っということ。
しかも子供がいるから保育園に迎えに行かなきゃいけないなんて言うとまず雇ってもらえないらしい。


日本に行けば子供が日本語を学べる。
日本の生活を体験できる。
それが一番の利点。
日本に行きたい理由の90%がこれ。

それにもう一つ、アメリカにいれば英語ができなくて苦労している私でも、日本に行けばとたんに英語が強みになる。
毎日毎日英語のせいで肩身の狭い思いをし、涙をこらえて仕事をしてるから、一度でいいから「できる」気持ちを味わってみたいと言う、ばかげた発想も無きにしも非ず。

でもね、小さい子供がいながら、親が二人ともフルタイムで働いて、残業だらけで、しかも東京で通勤もあるし、そんなことを考えると単純に「無理」という答えにたどり着いた。
少なくとも、もっと調査が必要。
どんな保育園があって、どんな仕事が可能で、どんなところに住んで、などなど。

今の段階ではそれが何もわからない。
ただわかっているのは、キャリアを追求しながら5時半に退社なんてほとんどありえないこと。
日本で既婚子持ち女性がキャリアを持ち続けるのが難しい意味が良くわかった。

それで、少なくとも一年転勤の話は見送らせてもらうことにした。
今動くのはリスクが高すぎる。
せっかくうまくいっている今の暮らしを犠牲にする必要はない。
そう判断した。