白杖のトライリンガル

難聴だけじゃない?網膜色素変性症を併せ持つアッシャー症候群の息子達の日常を母の目からつづります。

ルールだらけの日本、ルールを守る日本人

2010-07-06 21:26:02 | その他
よく「日本は道端にごみなど落ちてなく綺麗だ。」っと言われる。
確かに、これだけの大都市で、これだけの人がいるのにしては綺麗だと思う。
それは、清掃車がひっきりなしに町を掃除しているからではなく、一人一人がごみをポイ捨てしないからだ。

何でもOKのアメリカから来ると、この誰もが決まりを守る日本に驚きを隠せない。
たとえばゴミ。
その日はペットボトルの収集日。
路肩に出された網のに、この辺りに住む人がそれぞれ持ってきて捨てる。
この辺りに住むといっても、アパートやマンションが多くあり、もちろん隣近所は赤の他人。
それでも、ちゃんとルールを守る日本人。
すべて綺麗にすすいであり、ラベルは全部取られてあり、キャップは取られてあり、透明のペットボトルだけが入ったそのかご。


アメリカなんていくら分別用のゴミ箱が設置されてあろうと、誰も気にせず何でも捨てるから、どのゴミ箱も混ざりに混ざって全然分別の効果などない。

ルールを守る日本人はすばらしいなぁ、っと思う反面、久しぶりに帰ってくると、ルールに縛られた生活が窮屈でならない。

子供を連れてプールに出かけた。
お金を払ってチケットを買うと、「11:28までに出てください。」と書いてある。
自分の時計を見ると9:28、たった2時間しかいちゃいけないことになる。
更衣室にはすべての壁に注意書き。
「私物を置きっぱなしにしないでください。」
「ロッカーに入れて必ず鍵をかけてください。」
「時計ははずしてロッカーに入れてください。」
「靴は○○に置いてください。」
「このプールは何歳から何歳用です、小学生は入らないでください。」
など等。

中に入る通路でもあちこちに注意書きがある。
「入る前にシャワーを十分に浴び、化粧や整髪料は洗い流してください。」
「プールサイドでは走らないでください。」
「小さいお子さんをお連れの方は云々・・・・。」

私が青い袋にタオルとカメラを入れて持ち込むと、係りの人がやってきて、
「中が見える袋でなければいけません、これに入れ替えてください。」っと透明のビニール袋を渡す。
カメラをだすと、
「カメラの持ち込みは禁止されています。」
は?子供がプールで遊ぶその姿を撮っちゃいけないの?
「濡れて壊れてしまうので。」っと係員。
そんなの自己責任でしょう。

「プールでは水泳帽を着用してください。」
え?もってきてないわ、って言うかもってもないわそんなもの。
「そしたら外に自動販売機があるので、そこで買ってきてください。」
はいはい。

プールで遊んでいても、ひっきりなしに注意される私たち。
マー君がビートバンで遊んでいると、
「上に乗るなどして水の中に沈めてはいけません。正しく使ってください。」っと注意を受ける。
階段の手すりにつかまって遊んでいると、
「階段付近で遊んではいけません。」
バチャーンっとちょっと勢いよくプールに入ると(もちろん足から)、
「飛び込みはいけません。」

2時間に一度ある10分の休憩時間は、10分間延々と注意事項や決まりごとをを読み上げる。
「何々をしてはいけません。」
「ここでは何々をしましょう。」

あーもういやだいやだ。

1時間45分経過。
余裕をもって早めに出よう。
嫌がる子供を説得してプールから上がり、着替えてロビーへ。
お腹が空いたという子供たちに、少しスナックを食べさせてさぁ外へ。
出るときに
「チケットを見せてください。」っと呼び止められる。

はいはい、っと差し出すと。
「時間が過ぎています、時間内に出るようにしてください。」
え~~?
「過ぎてませんよ、ちょうど11:58じゃないですか。」
「いえ1分過ぎてます。今後は気をつけてください。」
あ、あんたねぇ、少しは融通利かせなさいよ。
なんて思ってはいけないのか。

ちっとも楽しくなかったわ、このプール。

きっと思われていることでしょう。
「あのハーフの子を2人連れてた母親、ルール違反ばかりしやがって、日本のルールが守れないなら出て行け。」

東京生活

2010-07-06 20:58:31 | その他
やってきました、日本というよりは、やってきました東京って感じ。
いやぁ~、東京とは、アメリカとも私の出身地とも似ても似つかぬ特殊な世界だと思う。

いや、東京に住んだことはあるけど、あの時は独身だったし、かなり都心部だったし、あそこに生活の匂いはなく、私の出身地と比べるようなものではなかった。

しかしこの東京住宅地ときたら・・・。

だいたいねぇ、ここ、狭いのよ。
この狭い中に、びーーーーっしり建物が立ち並び、道は狭いし庭もない。


妹の家と隣の家との境はこれだけ。

それにここ、私にとっては迷路以外のなにものでもない。

どの通りも同じように見える。ぱっと目碁盤の目のように見える区画は、実はそうではなく、行き止まりがあったり、隣の通りと平行かと思えばそうでもなかったり、何回歩いても東西南北がわからなくなる。
目印は太陽?
ああ、方位磁石が必要だわ。

家のすぐ横の交差点に立って、これが北。


西









そして少し先に行ってもやっぱり見た目は同じ。



マー君も「なんで道が狭いの?」「なんで歩道がないの?」と私に聞く。
こっちが聞きたいワイ!!!

せっま~い道をバスが無理やり走っていく。

それに、曲者はこの踏み切り。
タイミングが悪いと、開かずの踏み切りとなるのです。




マー君の初登校日、学校は歩いて10分だからと、ちょっと余裕を持って15分前に出た私たち。
しかし、踏み切りにひっかかり、電車が右から一本行ったかと思えば、続けて左から一本。そしてまた右から一本。電車が切れたかと思いきや、踏み切りはあがらず、カンカンカンカン・・・。いっときしてまた電車が一本、反対側からまた一本。そんな調子で足止め15分。

電車好きのマー君は大喜び。
ぴょんぴょん飛んで、「わーい、また来た。」っとおおはしゃぎ。
初日から遅刻はできんと、いらいら来る私。

結局・・・、遅刻してしまいました。

次の日は、踏み切りを考えてさらに15分早めに出たところ・・・、たった3本で踏切が上がり、結局すごく早く着いてしまいました。

電車での移動が便利かも知れないけど、電車以外の移動が、きわめて不便。

子供を前と後ろに乗せて自転車をこぐ、たくましいお母さんの姿をよく目にするのも、車が不便に感じるこの狭い東京ならではなのでは?



親切な日本人

2010-07-06 20:01:35 | 思うこと
友達に「ユナイテッド航空で行くのは辞めとけ。子供二人連れてユナイテッドは自殺行為だ。ANAかJALにしなさい。」とさんざん忠告をうけておきながら、$100ほど安いという理由でユナイテッドを選んだ私。

・ ・・まちがいでした。

前JALで行った時とは大違い。子供がいるからといって、何の配慮もサービスもない。
JALの時みたいに飛行機のおもちゃはもらえなくても、塗り絵くらいはあるでしょう、と思いきや大間違い。
塗り絵どころかお子様ミールすらない。

たい君は前の座席についているテーブルをあげたり出したり、バタンバタンする遊びを発見。いくら止めろといってもやめない。
もちろん前の人(日本人でない)に「ちょっと止めさせていただけません?」っと叱られた。
次は、前のいすをボコンボコン蹴る遊びを発見。
靴を脱がせて「止めなさい」っと叱ると、大泣き。

こまった。
そしたらヘッドホンを見つけたたい君、プラグをさしたり抜いたりして遊びながら、あっちこっちをいじくり回してあそぶ。
「よかった~。」っと思った矢先、ボキっと鈍い音?
え?
あらぁ~、折っちゃった。
ヘッドホンが真っ二つ。
やばい、やばいどうしよう。
取り上げて隠す。

そしたらまた叫びだした。
やばいやばい、黙らせなければ。
っと、私のヘッドホンを見つけたたい君。
それを欲しがる。
もう壊さんだろうと渡した私が馬鹿だった。
5分も経たないうちに、またボキ!

だめだめ、お菓子で黙らせよう、お菓子お菓子。
お菓子を機嫌よく食べているから安心していたところ、ふと見ると、お菓子の包み紙をポーンと前の座席に投げてるじゃないですか。

あ~~~~。

しかも、マー君はなぜかお腹が痛いと15分に一度くらいトイレに行く。
3人で通路を行ったり来たりする親子。

飛行機の中で寝てくれることを祈っていた私。
結局マー君が寝たのは着陸の1時間前。
たい君ときたら、着陸してから眠ってしまった。
降りるとき寝た子を2人抱えていても、もちろん手伝うどころか声もかけないユナイテッドのスチュワーデス。
くっそ~~~。

くたくたになって飛行機を降りたら。
そう、そこは日本。

降りてからは次から次へと人が助けてくれる。
「あら、大変ですねぇ、荷物を持ちましょうか。」

バス停を探していると、「どちらに行きますか?っという私もよくわからないのですが、一緒にお探ししますよ。」っとなんてやさしい。

バスに乗るのも後ろの人が助けてくれて、荷物の心配をする必要はなし。
バスから降りて「公衆電話を探さなきゃ。」っと言っていると、「どうぞ私のをお使いください。」っとご自分の携帯を差し出してくれる人がいる。
待ち合わせ場所のマルイの場所を聞くと、「じゃぁ、一緒に行きましょう。荷物を持ちますよ。」っと助けてくれる日本人。

なんてまぁ親切な人々なんだ。
ユナイテッドのスチュワーデスなんて、こっちが客だというのに完全に無視。それに比べてなんて親切な日本人。
着いて早々感動してしまった私でした。