中国語に熱中しだして、早一年半になる。
まぁ、ここ数ヶ月は仕事が忙しくて、全然やってないんだけど、それでも周りに中国人や台湾人が多くいるものだから、使う機会は結構ある。
独学をしていて困るのは、質問があるとき。
「この言葉は、こういう風にも使えるのかしら?」っとか「こういう言い回しってOKかしら。」っとか。
覚えたらすぐに使いたい私としては、例文の応用をしたくて仕方がない。
それを教えてくれる人が身近にいたらいいのにぃ~。っとよく思う。
今までは同僚の台湾人に聞いていたけど、さすがに回数が増えると面倒がられる。
それで去年の秋ごろ、中国語日本語の言語交換ウェブサイトを見つけて、日本語を教える代わりに中国語を教えてくれる友達募集をしてみた。
連絡をくれたのは約20人。
みんな、すっごく日本語が上手だけど、外国人が書いているとわかる。
そのなかで、日本語がパーフェクト、っというより今の若い日本人よりよっぽどきれいな日本語のメールが届いた。
「1972年生まれ。台湾人男性。」へぇ~、私と歳近いじゃん。
全部読み終えて、「ちょっと待った、この人本当に台湾人?日本語がうますぎる、っていうか自然すぎる。」っと思ってもう一度読み返してみた。
あ~~~、1972年だと思ったら、よく見ると1927年生まれとある。
この人82歳のおじいちゃんだ。
あ~、なるほど日本統治下のときに、日本語教育を受けたんだ。
このおじいちゃんに決めた!!!
それで始まりましたおじいちゃんとのE-メール文通。
それが楽しくて楽しくて。
日本統治下での話しや、公用語が突然中国語に変わってからの苦労など、いろいろ教えてくれる。
もう全然中国語の質問なんて忘れて、おじいちゃんが日本人じゃないことも完全に忘れてしまっている私。
もちろん日本語ばっかり。
台湾は植民地だったといっても、日本がとった政策は「同化政策」台湾を完全に日本に変えてしまおうという政策だったらしい。
徹底した日本語での教育もその一つ。
このおじいちゃんと文通をしていて思う、彼にとって母語は日本語だ。
まぁ、最近忙しくて、メールをもらってばかりであんまりお返事書いてないんだけど、今後もずっと続けていく予定。
日本語での教育を受けた最後の世代のおじいちゃん。
私は貴重な体験をしているような気がする。
まぁ、ここ数ヶ月は仕事が忙しくて、全然やってないんだけど、それでも周りに中国人や台湾人が多くいるものだから、使う機会は結構ある。
独学をしていて困るのは、質問があるとき。
「この言葉は、こういう風にも使えるのかしら?」っとか「こういう言い回しってOKかしら。」っとか。
覚えたらすぐに使いたい私としては、例文の応用をしたくて仕方がない。
それを教えてくれる人が身近にいたらいいのにぃ~。っとよく思う。
今までは同僚の台湾人に聞いていたけど、さすがに回数が増えると面倒がられる。
それで去年の秋ごろ、中国語日本語の言語交換ウェブサイトを見つけて、日本語を教える代わりに中国語を教えてくれる友達募集をしてみた。
連絡をくれたのは約20人。
みんな、すっごく日本語が上手だけど、外国人が書いているとわかる。
そのなかで、日本語がパーフェクト、っというより今の若い日本人よりよっぽどきれいな日本語のメールが届いた。
「1972年生まれ。台湾人男性。」へぇ~、私と歳近いじゃん。
全部読み終えて、「ちょっと待った、この人本当に台湾人?日本語がうますぎる、っていうか自然すぎる。」っと思ってもう一度読み返してみた。
あ~~~、1972年だと思ったら、よく見ると1927年生まれとある。
この人82歳のおじいちゃんだ。
あ~、なるほど日本統治下のときに、日本語教育を受けたんだ。
このおじいちゃんに決めた!!!
それで始まりましたおじいちゃんとのE-メール文通。
それが楽しくて楽しくて。
日本統治下での話しや、公用語が突然中国語に変わってからの苦労など、いろいろ教えてくれる。
もう全然中国語の質問なんて忘れて、おじいちゃんが日本人じゃないことも完全に忘れてしまっている私。
もちろん日本語ばっかり。
台湾は植民地だったといっても、日本がとった政策は「同化政策」台湾を完全に日本に変えてしまおうという政策だったらしい。
徹底した日本語での教育もその一つ。
このおじいちゃんと文通をしていて思う、彼にとって母語は日本語だ。
まぁ、最近忙しくて、メールをもらってばかりであんまりお返事書いてないんだけど、今後もずっと続けていく予定。
日本語での教育を受けた最後の世代のおじいちゃん。
私は貴重な体験をしているような気がする。