白杖のトライリンガル

難聴だけじゃない?網膜色素変性症を併せ持つアッシャー症候群の息子達の日常を母の目からつづります。

原爆に対する意識の違い

2010-08-17 01:23:41 | 思うこと
8月6日、「今日は原爆記念日だ。」の私の言葉から、ちょっとした原爆議論が始まった。

「原爆を落とされたのは、戦争をやめない日本が悪かったんだ。さっさと降伏しておけばあんな目にあわずにすんだものを。アメリカは戦争を終わらせるに原爆を落としたんだ。」っというのが彼らの意見。
まぁ私が原爆を落とした理由を、「第一に実験目的、第二にアメリカの強さを世界(特にソ連)に見せ付けて戦後処理をアメリカの優位に運ぶのが目的だったわけで、戦争を終わらせるという目的は、罪悪感を紛らわすための口実であり、戦争はもう終わっていた。」と言ったから、彼らもかっとなったんでしょうけどね。(私も相変わらず口減らずなもので)

それでも原爆のことをこうも堂々と正当化するところに、わかってはいたけど腹立たしい・・・というか、人類の危機を感じた。

これは誰が悪いとか、自業自得だとかそんな次元の問題ではない。
こんな爆弾を作ってしまったこと、そして使ってしまったことを人類史上最大の過ちとして、後の世代に引き継いでいかなければならないものだと思う。

私たちは子供の頃からいやというほど、原爆の話を聞かされ、吐き気を催すような写真やビデオを見せられてきた。
私の妹は、あの写真やビデオがこわくて、8月6日の出校日は泣いて登校をこばんだものだ。

でも、原爆を落としたアメリカを非難したり、アメリカを憎めという教育を受けた覚えはない。
どちらかというと、こんな悲惨な戦争を起こしたことを非難し、もう二度戦争を起こしてはいけないというのが、一貫したメッセージだった。
そして広島・長崎の悲劇は、人類が犯した最大の過ちとして絶対に忘れてはいけない、どんなことがあろうとも絶対に二度と繰り返してはならないと、あの平和教育を受けてきた私たちは心に刻み付けてきた。

日本は何度もアメリカでの原爆写真展示会の催しを提案したが、アメリカ政府は頑としてそれを受け入れようとはせず、未だに実現していないらしい。

あの写真やビデオを見たら、どんな大義名分をならべたてても、絶対に正当化できるものではないとわかってしまう。
そして、それは都合が悪い。
原爆は意味のない戦争を終わらせるための手段だったという理由で、正当化し続けなければならないからだ。

この国の人が、事実を直視し、広島と長崎の経験を人類の過ちと悔いないかぎり、地球上から核がなくなることも、戦争がなくなることもないだろう。