(11月12日)
前回(投稿7、11月10日)の引用の表(本書137頁)に戻ります。
モンマネキの世界です。
自然界の森羅万象を天文(astronoique)、地理(geographique)などと抽出してそれら項目(符丁code)を縦列にとり、列それぞれの横方向はcodeの変遷となります。レヴィストロースはこの変遷をcodageと伝えています。音楽で用いるcode進行のイメージでしょうか。
変遷の様とは経時的にも形態的にも不規則です。あるいは人がその規則性を見いだせないのかもしれない。しかしレヴィストロースは自然の不規則を混乱、混沌とは表現していません。その語を用いれば哲学としては「思考放棄」となる西洋の伝統を受け継いでいます。「自然は連続性を有する」(これが神話学第一巻のLe cru et le cuitのテーマ)と彼は伝えます。
第一列を取るとlune absente……soleil fixeが横に並びます。原初には月はなかった。太陽は気ままで一日中天頂に住むか、すっかり隠れる。この連続性の中で月の満ち欠けが発生し、月と日の規則ある交代が担保された。天文が周期性を獲得し、人が文化(culture)を創造する基盤となった。
婚姻、交流などでも周期性が発生したーモンマネキ(および周辺の)神話がかく語ります。
自然とは盤石、その連綿の中に立ち位置をやっと見つけた文化。しかしもし月が、太陽が消えたら、あるいは消えずに一日中昼(夜)となったらお終いとなる。周期性の分断というくさびを自然に打ったにしても、連続に立ち戻ってしまう。危ういバランスにすくむ脆弱さが内包されている文化。モンマネキ神話の伝える文化観といえます。
モンマネキ世界観も含め、神話上の文化とは「思想」です。目に見え触れる文化とは「それを表象する」物体、火、焼き肉、村落などでできています。レヴィストロースが言語学の意味論から借りた「意味する・意味される」ー2元論でこの関係、思想のそれと物の文化を説明できます。
目の前の四つ足を「イヌ」と断定するときに人はイヌなる思想を頭に持つ。これと同じ原理で文化にも双極性が構造として存在する。神話が伝える周期性、モンマネキ世界は「文化の思考ideologie」です。狩り、カヌー、アサワコとのやりとりなどは物としての文化です。思想と存在の双極性、構造主義による文化の定義は当投稿でこれまで幾度か語たりましたが。よろしくバックナンバーをご検索ください。
レヴィストロースへの批判の多くはもの「双極性=構造主義=」は歴史を語らないにつきると思う。(調べている訳でないが)。
サルトルによる構造主義批判(メルロポンティの現象論批判であるものの、現象論の地平に構造主義があるとレヴィストロースは受け止めた)の一節、サルトルの言葉<<la vraie dialectique qui serait celle des societies historiques, et UNE dialectique repetitive et a court terme, qu’il (Sartre) concede aux societies dites primitives>>(野生の思考la pensée sauvage 296 頁)
訳:真の弁証法は歴史を持つ社会(西洋文明)にのみ属し、いわゆる未開社会のそれは「一種の弁証法」にしかすぎず、短い周期で繰り返すとサルトルは決めつけている。(UNEを大文字にしたのは投稿子)
対してレヴィストロースは<<on laisse echapper la prodigeuse richesse et la diversite de moeurs….; on oublie qu’a ses propres yeux chacune des dizaines ou des centaines de milliers de societies qui ont coexiste sur la terre, ou qui se sont succede depuis que l’homme y a fait son apparition, s’est prevalue d’une certitude morale…後略>>(同)訳;人は(サルトルのこと)豊かで多様な精神性があったことに気づいていない。それは人がこの世に現れて以来の過去、幾千もあった社会のうち幾十、あるいは幾百もの社会が共存し継承していた。その一つ一つで確固とした倫理が主流であったからだ。このことを人(サルトル)は忘れている。
共存と継承を結びつけるcertitude morale倫理、これによって人が現れて以来(西洋社会の遙か以前から)歴史は継続していた。無文字社会の原初はprimitiveであったろうが、長い人類の歴史につながっているし、今のprimitive社会にしても倫理で歴史につながる。
サルトルの「短く繰り返す弁証法」への反論です。
一方で137頁の表は弁証法、歴史のダイナミズム、さらには悲しき熱帯で語った「継承している精神」を示していない(と投稿子は感じる)。
そこでパラダイム変換を試みた。写真をご覧ください。
元の表では縦に並んでいたcode、天文(astronomi)地理(geographie)などを横にとりsyntagmeとした。これらはcodeそのものです。code変遷=codageを縦列にとってparadigmeとした。codageはdialectique(弁証法)でもあります。このパラダイムの場における主題は「自然から文化」、別の用語で「周期性獲得」までの人の試行錯誤。モンマネキの世界です。解説は次回に。
*仏語辞典Le Robertでのparadigmatiqueの意味:etude des rapports entre les termes qui figure en un meme point de la chaine parlee et qui font l’objet d’un choix exclusif>>からtermesをcodesにchaineをcodageに変換して、paradigmeなる定義としている。
レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む9の了
(次回投稿は11月14日予定)
前回(投稿7、11月10日)の引用の表(本書137頁)に戻ります。
モンマネキの世界です。
自然界の森羅万象を天文(astronoique)、地理(geographique)などと抽出してそれら項目(符丁code)を縦列にとり、列それぞれの横方向はcodeの変遷となります。レヴィストロースはこの変遷をcodageと伝えています。音楽で用いるcode進行のイメージでしょうか。
変遷の様とは経時的にも形態的にも不規則です。あるいは人がその規則性を見いだせないのかもしれない。しかしレヴィストロースは自然の不規則を混乱、混沌とは表現していません。その語を用いれば哲学としては「思考放棄」となる西洋の伝統を受け継いでいます。「自然は連続性を有する」(これが神話学第一巻のLe cru et le cuitのテーマ)と彼は伝えます。
第一列を取るとlune absente……soleil fixeが横に並びます。原初には月はなかった。太陽は気ままで一日中天頂に住むか、すっかり隠れる。この連続性の中で月の満ち欠けが発生し、月と日の規則ある交代が担保された。天文が周期性を獲得し、人が文化(culture)を創造する基盤となった。
婚姻、交流などでも周期性が発生したーモンマネキ(および周辺の)神話がかく語ります。
自然とは盤石、その連綿の中に立ち位置をやっと見つけた文化。しかしもし月が、太陽が消えたら、あるいは消えずに一日中昼(夜)となったらお終いとなる。周期性の分断というくさびを自然に打ったにしても、連続に立ち戻ってしまう。危ういバランスにすくむ脆弱さが内包されている文化。モンマネキ神話の伝える文化観といえます。
モンマネキ世界観も含め、神話上の文化とは「思想」です。目に見え触れる文化とは「それを表象する」物体、火、焼き肉、村落などでできています。レヴィストロースが言語学の意味論から借りた「意味する・意味される」ー2元論でこの関係、思想のそれと物の文化を説明できます。
目の前の四つ足を「イヌ」と断定するときに人はイヌなる思想を頭に持つ。これと同じ原理で文化にも双極性が構造として存在する。神話が伝える周期性、モンマネキ世界は「文化の思考ideologie」です。狩り、カヌー、アサワコとのやりとりなどは物としての文化です。思想と存在の双極性、構造主義による文化の定義は当投稿でこれまで幾度か語たりましたが。よろしくバックナンバーをご検索ください。
レヴィストロースへの批判の多くはもの「双極性=構造主義=」は歴史を語らないにつきると思う。(調べている訳でないが)。
サルトルによる構造主義批判(メルロポンティの現象論批判であるものの、現象論の地平に構造主義があるとレヴィストロースは受け止めた)の一節、サルトルの言葉<<la vraie dialectique qui serait celle des societies historiques, et UNE dialectique repetitive et a court terme, qu’il (Sartre) concede aux societies dites primitives>>(野生の思考la pensée sauvage 296 頁)
訳:真の弁証法は歴史を持つ社会(西洋文明)にのみ属し、いわゆる未開社会のそれは「一種の弁証法」にしかすぎず、短い周期で繰り返すとサルトルは決めつけている。(UNEを大文字にしたのは投稿子)
対してレヴィストロースは<<on laisse echapper la prodigeuse richesse et la diversite de moeurs….; on oublie qu’a ses propres yeux chacune des dizaines ou des centaines de milliers de societies qui ont coexiste sur la terre, ou qui se sont succede depuis que l’homme y a fait son apparition, s’est prevalue d’une certitude morale…後略>>(同)訳;人は(サルトルのこと)豊かで多様な精神性があったことに気づいていない。それは人がこの世に現れて以来の過去、幾千もあった社会のうち幾十、あるいは幾百もの社会が共存し継承していた。その一つ一つで確固とした倫理が主流であったからだ。このことを人(サルトル)は忘れている。
共存と継承を結びつけるcertitude morale倫理、これによって人が現れて以来(西洋社会の遙か以前から)歴史は継続していた。無文字社会の原初はprimitiveであったろうが、長い人類の歴史につながっているし、今のprimitive社会にしても倫理で歴史につながる。
サルトルの「短く繰り返す弁証法」への反論です。
一方で137頁の表は弁証法、歴史のダイナミズム、さらには悲しき熱帯で語った「継承している精神」を示していない(と投稿子は感じる)。
そこでパラダイム変換を試みた。写真をご覧ください。
元の表では縦に並んでいたcode、天文(astronomi)地理(geographie)などを横にとりsyntagmeとした。これらはcodeそのものです。code変遷=codageを縦列にとってparadigmeとした。codageはdialectique(弁証法)でもあります。このパラダイムの場における主題は「自然から文化」、別の用語で「周期性獲得」までの人の試行錯誤。モンマネキの世界です。解説は次回に。
*仏語辞典Le Robertでのparadigmatiqueの意味:etude des rapports entre les termes qui figure en un meme point de la chaine parlee et qui font l’objet d’un choix exclusif>>からtermesをcodesにchaineをcodageに変換して、paradigmeなる定義としている。
レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む9の了
(次回投稿は11月14日予定)
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