蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

レヴィストロースを読む 神話と音楽 第二楽章良き作法のソナタ3

2017年11月03日 | 小説
(11月3日)

レヴィストロースの文章の特徴とは特殊な用語がポツリと、行に埋もれる様で出てきて、解説もなしに先に展開する。その概念は何かと、見切り発車でも考えなくては、前も後も、理解できない。構造主義=structuralisme=との言葉が出ても意味する処を語らない。背景を彼なりに以下に説明しています;
<Le savant n’est pas l’homme qui fournit les vraies reponces; c’est celui qui propose les vraies questions> (本書Le cru et le cuit 序曲15頁)
訳;学者はあらゆる正しい答えを用意する人ではない、それはあらゆる正しい質問を提案する人なのだ。
訳注。学者(savant)にしても人(homme)にも、答え質問(複数)にも定冠詞(le)がかぶさります。全ての名詞に定冠詞を付けるとは、全てに断定していると読める。そして文意は「学者は答えない」と。普通は質問するのが弟子で、学者先生は答える。故にこの文は反語です。フランス語の文章書きとして定評あるレヴィストロースは、評判とおりに反語を多く用いるのですが、このケースは学者は「彼自身」と捉えると、反語の落としどころが創作でき、後々が分かりやすい。引用文の正しい訳は「私が問いかけるから、答えは自分で考えてくれ」

前回(11月1日良き作法のソナタ2)は嫁のやり取りを巡る軋轢の話でした。良き作法を守り相手にも礼儀正しさを要求する側に対して、作法を踏み外した側は野生豚に変身させられる筋でした。これら3(M16,18, 20)の神話にはelements/propriete(神話要素と属性)の共通性から伝播(transformation)が明確とレヴィストロースはしている。しかし最後(M20、ボロロ族)には特異性が目立ちます。
「非礼側が礼儀遵守側に大勝利する」、M20はM16,18と正反対です。
噛み合わせの不整合、それをあえて伝播していると並列表示した真意は、学者savantの「問いかけ」です。何故かは自身で考えてくれとの。

投稿子(蕃神)としての答え、その鍵はボロロ族の社会制度にあります。
ブラジル、マトグロッソ・アマゾニアの原住民はほとんどが母系社会、引用される神話には採取した部族名が記載されますが、sherente族(ジェ語族アマゾニアに住む)のみが父系とされる。ボロロ族は母系(matriarcal)かつ母系居住(matrilocal)、厳格にこの風習を受け継いでいる。(レヴィストロースの現地調査は1935年、kejara邑自体の存続とあわせ、この風習を現在も維持しているかは疑問)
ボロロ社会での男の地位をみると、母系ゆえの「父」の厳格な否定です;
社会は2の部、8の支族で構成されると前の投稿で述べました(10月10日)。男がボロロに生まれたとすると;
生まれをcera部のbokodori支族、その中層(上中下の階層がある)とする。成人の通過儀礼をへて生家(母の家)から離れ、男屋で活動、寝泊まりする。婚姻の相手は(対向する)tugare部arore支族に属する中層の娘と決まっている。そして対向するaore支族の男にして、boodori支族に婿入りする。婚姻関係はかく、相互依存(endogamie)となる。
女屋に「婿入り」するが、自分が住む場はそこに無い。女屋には娘の母、叔母、時には祖母、姉妹、未成年の男子など母系集団が生活する。夜にも夫婦での生活は満足に送れない。子が生まれても父と所属する部が異なるから「母の子」であり、父権はない。
動産、不動産なる価値を所有し相続するのは女であり、母から娘へとつながる。
彼が所有するのは儀礼に用いる飾り、装飾法、弓矢などの飾り付け、それらの模様のみである。より正確に述べれば、飾りの形態(特に金剛インコの尾羽の数や高さなど)、手足などをどの様に塗るのか「規定の相続」だけである。(=悲しき熱帯、Bororo章を参照した)

写真:ボロロ族壮丁の表情、尾羽の数、高さから権力者と推定できる。厳しい表情である。(同氏の著作からコピー。10月20日に掲載した全身者と同一)

M20ではdonneur(嫁の贈り手)は金剛インコである。prenneur受け手はインコから妻のみならず、相続となる規定(尾羽の数など)も受け取っている。全人格、財産を金剛インコに負う関係になっている。
prenneurはこの一方的な依存関係を終局させて、相互依存の新たな関係を構築するため、恩のある規範を踏み外してもいないdonneurを殺戮した。相互依存による新たな関係とは、レヴィストロースが観察したボロロ族の社会、邑落の構造に他ならない。
M16,M18にはこの一方的依存は認められない。M20だけの変形、乖離をレヴィストロースはかく語る;

(102頁)
訳;M20を分析すると、私(たち)の仮説を肯定する方向で、この神話はジェ語族、チュピ語族の同等の神話(例:M16,M18)が用いる符号(code)を採用していると確信するが、メッセージの伝え方にある種のねじ曲がり(distortion) の代価を払っている。
このねじ曲がりが「嫁と文化を負う」彼らを火刑にする忘恩の仕打ちである。
読者は投稿子の前投稿、(ボロロ族の歌4 10月20日)で「贈り物が少ないとは、弱小(の支族)なのでボコドリ(殺戮者)が期待する質と数をまとめきれなかった」ため皆殺しの引用をいれた。贈り物が少なくとも、多くても火刑に処するやっかいな部族がボロロなのだ。

神話と音楽第二楽章良き作法のソナタ3の了

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