蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

悲しき熱帯(レヴィ・ストロース著)の真実 3

2019年04月21日 | 小説

(平成31年4月21年)
始めに;2017年7月から「猿でも構造悲しき熱帯を読む」を連載投稿した。読み返し不満(総花的で紹介になっていない)が溜まり、今回書きなおししたら、全くの別作品となったので、ここに連載する。いずれ「猿でも。。。。。」は削除する(投稿子蕃神)。

レヴィストロース25歳がサンパウロ大学教授に選ばれた経緯、フランスに戻り第二次大戦に巻き込まれアメリカ亡命を果たした裏話をこれまで(1,2回で)投稿した。
いずれも非熱帯フランスでの出来事です。
非熱帯なれど人物、逸話が滑稽でなぜか悲しく感じられます。しかし本書の主題は「悲しき熱帯」なので、緯度0度近辺での悲しさを取り上げます;

民族学、社会人類学の若き研究者としてレヴィストロースは、ブラジルマトグロッソ先住民のCaduveoカデュヴェオ族Bororoボロロ族、Nambikwaraナンビクバラ族、Tubikawahibチュビカヴァヒブ族を現地調査している。
部族名の地図(写真)を載せる(本書から)。

図:マトグロッソとボロロ族の位置。本書から。

教授職赴任の際に推薦者Bougle(高等師範学校長)が保証した「街中に原住民があふれかえっている。週末の余暇をうまく采配して調査できる」は真っ赤なウソだった。西欧化していない先住民の住む地は近くても「マトグロッソ」(ブラジル中央部の高地帯)。1930年代には整備された道路など期待すべくなく、それなりの装備、補充の手だて、員数を確保したキャラバン隊を組まなければその地には接近できなかった。例えば食料は基本自給なので20頭の牛を先行させる。牛飼い、牛泥棒よけの護衛、銃器も省けない。キャラバン隊をまとめる過程、馬の選定の逸話、そして旅程も詳しく記述されるが、ボロロ族の民族学の調査の様を取り上げる。
(注:民族学は族民の習俗、慣行、信仰などが研究課題。社会人類学は族民に限らず、有文字文化にも対象を広げ、課題も社会体制、宗教などにも広がるーと小筆は区別する。文化人類学とは形質人類学(骨、DNAなど)と対比する語で、社会人類学と同一)


ボロロの記述は興味深い、理由は2点ある。
1 マトグロッソでも最深部、峻厳な崖に囲まれた孤立地に彼らが住む。民族誌的には宣教団体サレジオ会の報告が残るものの、民族学者からの報告はなかった。学術として不明の部族。
2 レヴィストロース自身も貴重な情報を採取し、祭儀の場にも立ち会った。族社会が受け継ぐ信仰、言い伝えは豊かであると同時に、独自性が残る。「生と調理」で始まる神話学4部作には700を超える新大陸神話が引用されているが、ボロロ族の「鳥の巣あらし」神話が全ての基準(=M1)と位置づけられた。

写真:ボロロ族民、中央のレヴィストロースは沐浴中、幼児少年少女を追い払うわけにもいかず照れ気味の哲学者

紹介する章の構成は;
1 村落への接近と遠望した印象、そして感激
2 村の構成、住居、什器、被服など物質面の紹介
3 死者と霊のあり方を通して精神面の解析
に分かれる。

1から始める;
本書XXII章(249頁)の副題はBon Sauvage。この原義に則れば訳は「良き野蛮人」。しかしsauvage野蛮は「未開、乱暴」を伝える侮蔑語である。野蛮sauvageに「良い」を被せたら2の語をまとめる意味が通じない。主体と形容が含意するそれぞれが噛み合わないから。これを文法でoxymore (矛盾形容法oxymoronとも)とする。異質の組み合わせが思いがけない効果を生み出すけれど、そのきわどさは文学作品であれば許せる。<le soleil noir de melancolie>=物寂しさに黒く輝く太陽=は一例(Nerval)。
本書は哲学者の綴る人類学の著作であるから、かような「大向こう受け狙い」は不適との非難を受けた(とある講義で聴いた。1954年なので検証できない)。かまびすしい論難に反論せずレヴィストロースは謙虚に受け止めた(と粧った)10年の後、神話学第3冊「食事作法の起源Origine des manierres de table」(1967年)でBon Sauvageを再び用いた。Arapaho族村を月の神が訪れた。人のざわめき、犬の吠え、芳しい風の通りの良き有り様をこれぞ「idyllique牧歌的」と神は感動して、ついでに村娘に恋心を抱いてしまう。村人村娘が「良き野蛮人BonSauvage」であるとレヴィストロースは語る(Origine des manieres de table177頁)。
sauvageだってbon、若者はかっこいいし、娘は綺麗だ。
(部族民をして論理、倫理、美学的に劣るとする風潮がかつて西欧にあった。レヴィストロースは文明人も未開人も論理能力は同じとする主張を展開するが、倫理にも美学的にも彼らの卓越さにも言及している。その一発言としてBonSauvageを理解して頂きたい)

さて;
高地を下に望む稜線にたどり着いた。レヴィストロースは遙かな視野の先にBororo村を望めた;
<apres des heures passees sur les pieds et les mains a me hisser le long des pentes, transformees en boue glissante par les pluies : epuisement physique, faim , soif et trouble mental, certes ; mais ce vertige organique est tout illumine par des perceptions de formes et de couleurs(248頁)
訳;歩きずくめの幾時間、這いつくばい両の手を坂に突いても支える身が苦しくて、その急坂をやっとの事でよじ登る。長雨、ぬかるむ表土は何ともきつい。疲れ、空腹、渇きとくじけ、果てに目眩に襲われた。それは困憊のせいかと思った、しかしそれではなかった。村、建物の形の整い、色の鮮やかさを目の前にし光の天啓、そのおかげの目眩と知った。

写真:男屋の茅葺き構造。男達、族民は死者の儀礼にかかりきりである。

解説;
<illumine照らされる>を使っている。
かの国では「光りlumiere」は恩寵、神と関連づけられる。 照らされるillumineは光線であるが、神のご加護を示す。(Lumiere, c’est le Dieu, la Verite, le Bien=光は神、真実そして財産である=辞書GR)
光も輝くボロロ村を遠望できた。祝福と感激し村に入る;

<habitations que leur taille rend majestueuses en depit de leur fragilite, mettant en oeuvre des materiaux et des techniques connues de nous par des expression naines : car ces demeures , plustot baties, sont nouees, tressees....>
訳;住まいとする建物は彼らの身長に比較し巨大で、脆弱さにかかわらず「小人の」と伝えられる技術を生かした作品である。すなわち建物は建造しているではなく結われている、織られている....
木、芦、茅、紐で織り上げられる家屋、そこにまとまる村落風景とは見慣れた西欧のそれとは大きく異なる。村の一隅に居を構える。

什器、生活道具、被服、楽器など物質的文化を語る。特に注意深く観察し報告したのは村の「構造」である。
ボロロ村落は必ず川に面する。川は東西に流れるを規格とするが、自然なので南北側に傾く場合もある。近辺土地の衰退により20~30年で村毎、部族総出で引っ越しする。
古き村、新しきも必ず川の流れ筋と垂直に交わる(仮想)線を引き、上流と下流側とに2分割する。
2分割はcera部、tugare部と称される。
中央に男の集合小屋を囲んで、同心円状に小屋が配置されそれぞれの小屋に女達、女系の親族が住む。2にわかれた部は、内部で4の支族に細分される。都合8の支族が固有の名称をち、円周状に配置される。さらにそれぞれの支族は、上中下のカーストに分割される。すなわちボロロ族の村落は2の部、8の支族、24のカーストに分割される。

図:村の実測図。本書から

この構造は彼らの精神と生活に影響を与える。本書BonSauvage章の記述をもとに以下にまとめると;

1 川。沐浴を日常の習慣とする彼らに川は欠かせないが信仰の支えとして必須である。なぜなら輪廻は魚から始まる。魚から人、オウムにと霊の個体が変身する。
<Les Bororo considerent que leur forme humaine est transitoire : entre celle d’un poisson et celle de l’arara (sous l’apparence duquel ils finiront leur cycle de transmigmation>(271頁)
訳;ボロロ族は人の姿は輪廻の一通過点と考えている。魚(特定の種類)から人、そしてarara金剛インコに変身して、その生を終える。(transmigrationを輪廻と訳したが、魚=>インコの一巡りでお終いなら、変身が正しいか)

2 部族の部と支族にはそれぞれ社会地位、祭儀での機能が特定される。部、支族の長にはそもそもの社会地位が備わり、地位に即した儀礼での着衣、冠(金剛インコの尾羽)、腕輪が規定されている。その規定が個人の「豊かさ」となる。
3 婚姻の規定。cera部の男はtugare部の特定の支族の娘と婚姻を結ぶ。族として族内婚であるが部と支族としては族外婚である。かつては支族が3のカーストに分割されていた。特定の支族の同カーストの娘と婚姻していた。人口減少のためか、1936年(調査の年)にはカーストの機能は薄れている。
4 成人した男は生家を離れ男屋に住む。婚姻の対象となつ支族に適齢の娘がいれば成人儀礼を通過しての後、婚姻関係を結ぶ。実際は該当する娘が生まれた時点で、男(少年)の未来嫁は特定される。家屋も耕作地も女(嫁の母親)が所有する、婿は女小屋に昼にのみ「下宿」する。時たまの仕事は狩りにでて、獲物を運ぶ。嫁の家での居心地は総じて良くない。不満で実家に戻るも、姉妹の婿(別の部)がそこに居続けると一息つけない。
5 男小屋は住まい兼祈りの聖堂です。来世の無事転生を祈る。

図はボロロ族の理想村落図である(282頁)。

図:ボロロ族が頭に描く村。前の実測図を参照を。

ボロロはこの形態の理想として頭に描き、実際の村落(254頁)に、この思想を実現せしむと願っている。思想と実体、この構図は<Les strucures elementaire de la parente親族の基本構造1950年>にて解説した交差いとこ婚の実体と思想の相関と同じである。この相関関係は、彼の主張する「構造主義」に立脚する。

悲しき熱帯(レヴィ・ストロース著)の真実 3 の了

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