蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

歴史と弁証法Histoire et Dialectiqueサルトル批判3

2021年03月24日 | 小説
(2021年3月24日)原点1の「理性」を前回まで(批判の1,2で)解説していた。本投稿は原点2「世界観、歴史とは」を取り上げます。ヘーゲル弁証法では理性の自律運動がモノである歴史に反映される( le reflet de l’automouvement personel=前出)。頭の中の観念と宇宙の森羅が一の原理で同期し、その主体は理性である。<La Raison, pour Hegel, n’est pas seulement une qualité de l’esprit humain : plus radicalement, elle est ce qui anime l’ensemble du réel - << tout ce qui est rationnel est réel tout ce qui est réel est rationel>>(Dictionnaire philo. Nathan)
理性は、ヘーゲルにとって人精神の一つの資質のみならず、より過激的に,、現実の総体を活動さしめる根源である。理性なるもの全ては実際であり、実際なるものはすべて理性である。
一方、マルクス弁証法は、
唯物弁証法を真理とする思想である。ヘーゲルの思弁的弁証法をマルクスが「モノの活動」として取り込み、歴史経済の動きを説明する資本論を発表した(1867年)。歴史を究明する学とする見方から紹介する。
<Chez les Marxistes : adaptation de la conception hégérienne au matérialisme de Marx , Hegel étant idéaliste , attribue le procesus dialectique à l’idee. Marx et Engels voient les processus dialectique dans la matière dont la pensée ne constitue qu’un reflet ; c’est fondamentalement dans la matière que s’opposent les contraires et que se réalise la conciliation.( Dictionaire de la langue philo. Puf)
観念論者のヘーゲルは弁証法の論理展開を観念の中に置いた。唯物論者マルクスはヘーゲル論法を物質の自律運動の説明に取り込んだ。もはや思考は物質の反映でしかない。対立が生じ解決に向かう(弁証法の)工程は基本的には物質の中に起こる。
もう一文、

<Marx et Engels acceptront cette dialectique hégélienne comme méthode mais ils en inverseront le sens, en la faisant "descendre du ciel sur la terre" pour appliquer à l’étude des phénomènes historiques et sociaux, fondamentalement aux facteurs économiques : ce n’est plus l’esprit ou l’idée qui détermine le réel, mais le contraire et les maxistes ultérieurs élaborent en système rigoureux ce matérialisme dialectique>(同)
マルクス・エンゲルスはヘーゲル弁証法の工程を引き継いだ。しかし「方向」を逆にした。歴史と社会、特に経済現象に応用するため、ヘーゲル弁証法を「天から地に降ろした」のである。もはや現実を規定するのは精神でも思考でもない、その反対である。マルクスを引き継いだ共産主義者(レーニン、毛沢東)は唯物弁証法を厳格な(支配)システムに練り上げた。(この引用文での動詞は「未来形」、予測を含むから断定していない。そのように思うのだが-の言い回し)
皆様お気づきかと、精神かモノか、選択した主体は両者で分かれたが、真理は常に一方にしか存しない。故に片割れ側は、弁証法的動きを見せるのであるが、それは他方(主体側)の反映(reflet)でしかないとしている。精神の弁証法とモノの弁証法が並立するなどとは決して諭さない。なぜなら哲学だから。
サルトルは世界観(歴史)においてはマルクス理論を導入した。歴史において弁証法は神の理論と位置づけ分析理性(人の理性として)を排除しているから、マルクス史観を全面的に受け入れているところは間違いがない。
しかし理性においてはヘーゲル流の弁証法を採用している(部族民の解釈)。その証左が個(soi)の精神活動をintérioriser(内証化)、extérioser(外在化)、totaliser(統合)と、ヘーゲル3段階をなぞって説明している。ここのintéri/extéri…には明確に理性活動が認められる。己の原点、実存主義の基底「個が存在を知り自由(理性)を得る」をサルトルが弁証法に合わせたのだ(ここも部族民の解釈)。「知る」とは個の理性が認識する過程である。個が知った存在は機械的な「外部の反映」ではない。マルクスは個が外部(弁証法の)解釈に己の都合(分析理性)に合わせて取捨選択などしてはならないと教える。そうした世界をマルクスが描いたけれど、サルトルに映る世界には人の理性が残っている。
サルトルの「intéri/extéri…」を前にして弁証法理性が活動すると感じる。彼内部では2の弁証法が並立している。この組み合わせに矛盾が出ないだろうか。この点こそレヴィストロースが指摘した「神の理論を人の分析思考(raison analytique)で説明している、これが誤り」に当てはまるのである。
歴史手法とは地理的制約を受けず経時的につながる逸話を統合する。そして民族学は地理的に接合し共時的に採取される逸話を統合する。事象を分析する手口は歴史と民族学では対称的であるともしている。民族学文献が民族学者の「思想」であると同じく、歴史は歴史家の「思想」とレヴィストロースは規定します。歴史を形作る事象、語り伝えは地理的に限定され散発する逸話である(anecdotes)。それらは形でありモノだが、ある思想のもと機動因を一にしてそれら融合し、「思想化」を探るのが歴史家であるから、歴史は「思想」である。彼の論点です。
歴史がモノである立場とは。
マルクス主義の継承者、旧ソ連現中国、北朝鮮でこの宇宙論(モノが理性を支配する)は教条として金科玉条、政治と国民統治に利用されている。例証としてルイセンコ(似非)遺伝学を挙げよう。「獲得形質は遺伝する」これは明らかに誤謬であるがスターリンが支持し、共産党のお墨付き学説と祀り上がったからには「異論を唱える生物学者」は銃殺か獄死、シベリア送りにされた(被害者は3000人Wikipedia )。香港民主派がオルドス刑務所に送られる理由は「神の弁証法(毛沢東主義)に異論」をはさんだから。


党大会で演説するルイセンコ、後列に立ち上がって獲得遺伝を支持するスターリン。自由意見を弾圧する共産党の行動を強圧と見るは誤り。マルクス史観では「唯物弁証法」は神の論理、人の理性をも支配する。弁証法史観に従わない者は宇宙摂理への反逆者であるとマルクスが預言しているのである。写真はネット採取


マルクスが告げた「地上に降りた神」の弁証法が歴史を造り理性を支配するとは、社会なる「神」がそこらに立ちはだかり民衆の理性を支配する強圧と同じ機動因である。それがあってはならないという立場です。
脱線したようだ、
脱線ついでに本投稿の最後の一文、
<Le Marxisme n’est pas seulement une théorie du socialisme , c’est une conception du monde achevée, un systeme philosophique d’où découle narturellement le socialisme plorétarian de Marx. Ce système philospphique porte le nom de matérialisme dialectique. Pourquoi? Parceque sa méthode est dialectique et sa théorie matérialiste>
マルクス主義は単なる社会主義理論ではない。それはやり遂げた(究極)世界の概念でありプロレタリア社会主義を生み出す哲学システムでもある。この哲学体型は唯物弁証法との名を持つ。なぜか?なぜならそれは弁証法の手順を取り、唯物論の理論を抱くからである。

共産主義の教条をあからさまに表現した一文、そのはずスターリン著「無政府主義対社会主義」の第1巻序文である。究極のプロパガンダ(Dictionaire de la langue philo. Puf孫引き)。スターリンに「歴史は思想」などと反論するとシベリアに送られる(前述ルイセンコ粛正以外にもソルジェニーツインなど列挙するにも紙が足らず)。「歴史が神、個の理性は神の反映」が共産主義社会に出現していた、今も残る。
歴史と弁証法Histoire et Dialectiqueサルトル批判3 了(2021年3月24日)
第4回(3月26日を予定)で未開社会論および3原点のまとめを投稿します。
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