蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

親族の基本構造11社会学からの説明(1)

2021年03月01日 | 小説
(2021年3月1日)レヴィストロース著「親族の基本構造Les Structures Elementaires de la Parente」の紹介を続けます。
前回まで「導入章Introduction」から「自然と文化Nature et culture」、「近親婚の問題Le probleme de l’inceste」を紹介してきました(ブログ投稿は1月8日から2月12日全10回)。最終の10回目で取り上げた心理学的説明(フロイトなどの精神分析手法)は「近親婚禁止を説明できない」と切り捨てた背景を紹介した。
理由として「母との婚姻を希求する個人=精神分析学でオイデプスコンプレックスに類型される」は糾弾され、社会制裁を受ける。しかしその逆(母でない女との婚姻は糾弾されない)への説明はない。
それでも精神分析手法の幾分はマシな点を展開を見せている。
近親婚の禁止は人類にあまねく広まる。この汎人類性(universite)を彼らは注目して、同じく「汎人類的」である深層心理を持ち出した。個別が一般を説明できないから、この論理手法は正しい。こう考えれば第1の説明生物学遺伝劣化に比べて半分だけマシと言えます。何が半分かは後述。
レヴィストロースの指摘は、
「憧憬、希求なる心理作用による婚姻願望は様々な男女関係で発生するが、近親関係にのみ禁止され、実践した個人に掣肘が与えられる」。禁止の汎人類性に注目するが、特殊性(いつでもどこでも厳格に=これをして禁止の三角関係とする)には考察が至らなかった訳である。これ故に心理説明は理由付けにならない。
この状況をかみ砕いて説明すると(近親ではない)隣村のアキコチャンと結婚を希望する若者に「好きだから結婚したいとは不届きなヤツ」なる罰は課せられない。「laisser faire好きにしなさい」(自由経済の標語、資本主義勃興期に流行)とおおかたは無関心である。一方アキコチャンが近親だったら制裁される。同じ好き (心理学) でも一方では勝手にしたら、近親だったらダメ!社会の対応がことなる。すると好き嫌いの(心理)前に「社会制度での範疇分けが」入ってくる。これをオイデプスコンプレックスなる心における「汎人類」を持ち込んだ精神分析、心理学は説明していない。

第3の社会学的説明に入ります。
<Les explications du troisieme type presentent ceci de commun avec celle qui vient d’etre discutee pretendent , elles aussi, eliminer un des termes de l’antinomie. En ce sens , elles s’opposent toutes deux aux explications du premier type, qui maintiennent les duex termes , tout en essyant de les dissocier.(22頁)
第3の説明はこれまで紹介してきた2の説と共通の要素を持つ。(他の説明に見られる)論理矛盾は排除したと主張している点である。第3の説(社会学)は第2説(心理分析)と相まって、矛盾を内包しながらもそれを何とか克服したいとした第1(生物学)とは異なる。

若干の寄り道を許せ。
第1説の生物学説明は再生産される世代に遺伝劣化(化け物)が生まれる故に禁止と説く。この論の第1矛盾は「人類遺伝子の均質性からその危険性はない」し、そうした実態(遺伝劣化、怪物)が報告された事実もない(言い伝え、迷信は採取されている)。第2の矛盾は部族社会の多くで婚姻の禁止対象は遺伝的に関係のない姻族をも含む。すなわち遺伝劣化の危険が起こりうる筈のない関係をも禁止している。と言うことは族民も生物学的事由による禁止を信じていないと言える。この2点(実態が無い、禁止する内実が理由とするところと離反している)に矛盾が生じている。
3の説明、社会学的説明は先住民観察などの成果を元にしているから、第1説の1の陥穽から(実態がない)からは免れている。また遺伝的遠近にたいしての中立については社会学的観察に基づく説明であるから、この項に関しても齟齬はないと主張する(であろう)。
主張は2のグループに分けられる。
1 Frazer(1854~1941英国)、Morganら。Exogamie(族外婚)の遺構として。またMcLennan(1827~1881英国)らが族外婚と「略奪婚」を融合させた仕組みが社会の古典的形態であり、ここに近親婚の禁止が始まるとしている。(レヴィストロースはFrazerとMcLennanを分けているが、小筆は一括りとした)
2 Durkheim(1858~1917年フランス)ら。族外婚にトーテム信仰、「血の原理」を加え近親婚禁止を説明する。


EmileDurkheim(写真はWikipedia)

フランス社会学の祖、方法論的集団主義とされる(Wikipediaから)。コント実証主義を引き継ぐ、よってレヴィストロースの思弁的カント主義とは融合しない。柳田国男の一世代前にあたるけれど、印象は随分と古い。早死(没は57歳)が理由かもしれない。活躍したのは20世紀初頭。レヴィストロースが引用を重ねるのは著作出版時(1947年)にはそれなりに影響力が残っていたからか。

レヴィストロースはこれら2説も、それぞれ論理の落とし穴が見られるとしている。その一文を、
<La force de cette interpretation provient de son aptitude a organiser, dans un seul et meme systeme, des phenomenes tres differents les uns des autres et dont chacun , pris a part , semble difficilement intelligible>(24頁)
つじつま合わせ急ぐあまりこれら解釈は、それ自体に、それが向かう流れにも、雑多な事象のつなぎ合わせのあまり、それら事象のいちいちが理解不能に陥っている。
上訳は分かりにくい。意訳すると;
まず結論ありきの無理技で説明している。関連のない事柄をつなぎ合わせて、論理手順からして無理筋となっているが、力業で辻褄あわせを試みているだけである。
レヴィストロースにかかればFrazer、Durkeimであろうと辛辣批判に曝される。そこまで彼が強気なのは、前の2の説明(遺伝劣化、心理学)批判で強調した「禁止の汎人類性universalite」と特殊性(三角関係)との整合が取れないからである。
すなわち;
「社会学的説明に立脚すれば、観察された社会事象は部族的でありそれらは個別的となる。汎人類に演繹するには別の次元での検証が必要となる。個別の観察事例から近親婚の禁止という一般事象と掣肘の特殊性(いつでもどこでも厳格)を説明することは出来ない」に尽きる。
個別の報告例をもってして汎人類現象を説明できない。論理の進め方が生硬過ぎるとの指摘。Frazer、Durkheimなど業績を残した先達もレヴィストロースにかかっては形なしだった。
ここで(蕃神個人的関心なるが)興味深いのは、レヴィストロースは事実の正偽をもとに批判しているのではなく、彼ら論理の筋立てにおける「錯誤」を衝いている点である。この志向は彼の著作に必ず見られる。代表格は「歴史弁証法におけるサルトル批判」。レヴィストロースの思索方向をより知るためにも、上記2の紹介とあわせ、レヴィストロース指摘と批判の道筋をたどろう。続く
親族の基本構造11社会学からの説明(1) 了

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