広大な淡水のバイカル湖。
赤いラインが、シベリヤ鉄道で左端がイルクーツク。
そこから西へ出ているのが「アンガラ河」で北極海に流れる。バイカル湖から流出する唯一の河である。
赤い線の中央にある㉛のマークの上にある街が「URAN-UDE」(ウランウデ)。飛行場もあるようだ。
南から上がってくる鉄路があり、これが中国に繋がる線路である。
イルクーツク駅舎。シベリヤ鉄道の駅は、すべて地域から飛び抜けるような豪華な駅舎ばかりだった。
市内散策をしていると教会のある公園があった。
キリスト教でも、派閥の異なる教会だそうだ。
シベリヤ開拓の困難を耐えていられたのは宗教だった。
左:このようなキリストのイコンを持って東へと進んだと言う。
右:教会の僧が、自らの間違いを正す為に自分で、1週間以上は身に装着したと言う責め具。重い。
氷結したバイカル湖
波打ち際はシャーベット状だけれども、板の橋を渡ると氷の上に出て写真が撮れる。
観光客用の屋台が並ぶ。
値切っている。
ここで買ったのは紫色の石。マトリューシュカは、ウラジオストックで手に入れたもの。
アンガラ河はこの水量のままで、決して凍らないと言う。北極海まで。
すぐ近くのバイカル湖は凍っていても、ここは明るい日差しである。
ホテルバイカルで宿泊。
シベリヤヤマネコの剝製。
木造家屋博物館を訪ねる。板でこの屋根の曲線がよく出るものだ。
開拓村の風景ですね。
帰途、ウラジオストックまでの飛行機。ツボレフだろうか。
赤いラインが、シベリヤ鉄道で左端がイルクーツク。
そこから西へ出ているのが「アンガラ河」で北極海に流れる。バイカル湖から流出する唯一の河である。
赤い線の中央にある㉛のマークの上にある街が「URAN-UDE」(ウランウデ)。飛行場もあるようだ。
南から上がってくる鉄路があり、これが中国に繋がる線路である。
イルクーツク駅舎。シベリヤ鉄道の駅は、すべて地域から飛び抜けるような豪華な駅舎ばかりだった。
市内散策をしていると教会のある公園があった。
キリスト教でも、派閥の異なる教会だそうだ。
シベリヤ開拓の困難を耐えていられたのは宗教だった。
左:このようなキリストのイコンを持って東へと進んだと言う。
右:教会の僧が、自らの間違いを正す為に自分で、1週間以上は身に装着したと言う責め具。重い。
氷結したバイカル湖
波打ち際はシャーベット状だけれども、板の橋を渡ると氷の上に出て写真が撮れる。
観光客用の屋台が並ぶ。
値切っている。
ここで買ったのは紫色の石。マトリューシュカは、ウラジオストックで手に入れたもの。
アンガラ河はこの水量のままで、決して凍らないと言う。北極海まで。
すぐ近くのバイカル湖は凍っていても、ここは明るい日差しである。
ホテルバイカルで宿泊。
シベリヤヤマネコの剝製。
木造家屋博物館を訪ねる。板でこの屋根の曲線がよく出るものだ。
開拓村の風景ですね。
帰途、ウラジオストックまでの飛行機。ツボレフだろうか。
現在だと経済発展して少しは変わっているんでしょうか
飛行機も軍用機を改修したような室内で、座席などは、パイプ椅子の長椅子という感じでした。客が降りると、椅子の背もたれを、皆、前に倒して広い空間が出来たりする。
貨物機にもなる時もあるでしょうね。
カメラはフィルム36枚撮りのレンズシャッターの時代でした。最後の日は,フィルムが無くなり、帰途の機に乗り込んでいるタラップの為に、最後の一枚を残していた一コマでした。
かさばらなくて。
石のおみやげは重くはなかったですか…。
一つ間違えば、逮捕されかねないと言う時代でしたね。