奈良市内に、阪奈道路から入って、一直線に東に向う通りが二条大路です。春日大社に突き当たる。
この道沿いにそれはそれは質素なお宮が祀ってある。長屋王を祀る神社です。
奈良の都に、市民や文化財保護の人たちが反対する中、巨大なデパートを計画したものでした。
ところが、基礎工事のときに、広大な遺構が発見され、工事は中断して発掘調査になった。
そして発掘されたものの中に、多数の木簡があった。それらは長屋王の邸宅であったことを指し示しました。
調査の後、デパートは開業しました。しかし、現在はデパートは撤退し、大手スーパーになっています。
口さがない雀たちは、不遇に逝った長屋王の祟りとか言いました。
質素な形だけの社です。

横の由緒書きの立て札は風雨に晒されて読みにくいです。興味のある方は読んでみてください。

彼は、天武天皇(大海人の皇子)の孫になり、心技ともに、位を継ぐ資質は充分であった。
しかし、藤原氏一門の策略で、冤罪を懸けられ、屋敷を取り囲まれて一族全員が屋敷の中で命を絶ちます。その屋敷跡が発見されたのでした。
一部系図をアップしましたが、権力争いが絡むのが多いです。藤原氏は明治に至るまでその貴族として第一等の地位を維持しました。

そのデパートの南側の歩道に、長屋王の紹介があります。それぞれ拡大してアップします。

今年の奈良は、明日香から奈良へ遷都されて1300年と言うことで、4月からはイベントだらけになります。
平城京の配置図ですが、明治までは一面の田畑でした。しかし、心ある人が国に陳情して保護の手が加わりました。前にもアップしたような気もします。
長屋王邸宅は、平城宮の一隅を占めています。

こんな木簡が数万点も出てきたそうです。メモに使っていたようで、要らなくなるとかんなで削って、その上にメモしたり、また、そのまま廃棄したりしたと言います。(薪にして燃やさなかってよかった)

本格的な調査が入り、全容が明らかになってきました。

見えている範囲は、田畑であったので、此処にデパートを建てようとしたと思う。しかし、全部の発掘が終ると埋め戻しビルを建てました。今は、写真で見えている所すべてはスーパーの敷地になってしまった。

発掘調査から類推される、邸宅の想像図です。

この道沿いにそれはそれは質素なお宮が祀ってある。長屋王を祀る神社です。
奈良の都に、市民や文化財保護の人たちが反対する中、巨大なデパートを計画したものでした。
ところが、基礎工事のときに、広大な遺構が発見され、工事は中断して発掘調査になった。
そして発掘されたものの中に、多数の木簡があった。それらは長屋王の邸宅であったことを指し示しました。
調査の後、デパートは開業しました。しかし、現在はデパートは撤退し、大手スーパーになっています。
口さがない雀たちは、不遇に逝った長屋王の祟りとか言いました。
質素な形だけの社です。

横の由緒書きの立て札は風雨に晒されて読みにくいです。興味のある方は読んでみてください。

彼は、天武天皇(大海人の皇子)の孫になり、心技ともに、位を継ぐ資質は充分であった。
しかし、藤原氏一門の策略で、冤罪を懸けられ、屋敷を取り囲まれて一族全員が屋敷の中で命を絶ちます。その屋敷跡が発見されたのでした。
一部系図をアップしましたが、権力争いが絡むのが多いです。藤原氏は明治に至るまでその貴族として第一等の地位を維持しました。

そのデパートの南側の歩道に、長屋王の紹介があります。それぞれ拡大してアップします。

今年の奈良は、明日香から奈良へ遷都されて1300年と言うことで、4月からはイベントだらけになります。
平城京の配置図ですが、明治までは一面の田畑でした。しかし、心ある人が国に陳情して保護の手が加わりました。前にもアップしたような気もします。
長屋王邸宅は、平城宮の一隅を占めています。

こんな木簡が数万点も出てきたそうです。メモに使っていたようで、要らなくなるとかんなで削って、その上にメモしたり、また、そのまま廃棄したりしたと言います。(薪にして燃やさなかってよかった)

本格的な調査が入り、全容が明らかになってきました。

見えている範囲は、田畑であったので、此処にデパートを建てようとしたと思う。しかし、全部の発掘が終ると埋め戻しビルを建てました。今は、写真で見えている所すべてはスーパーの敷地になってしまった。

発掘調査から類推される、邸宅の想像図です。

いつの世も権力争いというのは恐ろしいものですね
長屋王ですか。ものすごく古い時代の
出来事ですね。長屋王の変。
しかし、今年の奈良は遷都1300年の
イベントで盛り上がるんでしょうねぇ。
持統は息子草壁に位を譲りたかった。しかし、彼は早世したので、その子(持統の孫)に譲りたくなった。
そこでは智も武も優れていて、世間は次期を繋ぐ皇子として長屋王がクローズアップされていた。
しかし、ここで策謀を巡らした藤原氏は彼を亡ぼし
、持統の孫文武天皇を位につけ、その后に藤原氏から宮子を当てました。
文武の後継者は更に、聖武に後を継がせようと思ったが、幼少なので、母の元明・その第一皇女の元正天皇が継ぎ、その後、成長した聖武天皇が皇位に付くことになります。
45代聖武天皇の皇后は光明皇后で、藤原氏の出である。
シルクロード博の時はそれほどの盛り上がりはなかったのですが、今回はかなり予算をかけてPRしています。
地味な奈良にしては、人手が多くなることでしょう。
長屋王という方があったのですネ~。
旭川は今年やっと開村120年(明治13年~)です。
記念イベントがいろいろ予定されているようです。
京都とはまた違った古都の味があります。
明日香にあった都が、此処をメインに奈良時代を作りましたね。
旭川120年と言うのも長い歴史を作っていますよ。比布神社を訪ねた時、北海道に文明が訪れた時代のことを、実感しましたよ。
120年のイベントはどんな感じでしょうか。寒さに弱いから身が持つでしょうか。