ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

大学改革の行方(その9)

2012年09月30日 | 高等教育

 前回のブログでは、僕の「マネジメント改革」についての講演から、PDCAという、耳にタコができるくらい聞かされている当たり前のことを、徹底して実行することの大切さをお話しましたね。

 実は僕のいっぱしのマネジメントの経験は、1997年(平成9年)~1999年(平成11年)に、当時は法人化されていない三重大学附属病院で、「節約委員会」という委員会があって、その委員長を務めた時からです。その時は、帝人という会社の改善活動や方針管理(TQC)を立ち上げた義父が存命しており、義父からマネジメントの手法をいろいろと教えてもらい、それを、病院に応用したんです。

 三重大学病院の医業収入に占める医療材料費の比率が高いことを、文科省から指摘されてさんざんおこられていたので、それを低くすることが「節約委員会」の役目でした。

 看護師さんたちの協力を得て、病院全体で改善提案活動を展開して医療材料費の節減に取り組み、それまでどうしても低下しなかった医療材料費比率を2年間で2%低下させ、当時医業収入年110億円の三重大学病院で、2年間6億円限界利益を増やしました。

 当時は、稼いだ金はすべて国へ直接行ってしまうので、全くインセンティブの湧かないシステムでしたが、改善活動を組織的に展開することで、それなりの経営改善がなされたことになります。

 2004年(平成16年)に三重大学長の仕事をお引き受けした時に、どのような管理技術やマネジメント手法を応用しようかちょっと迷ったんです。巷には、それまで日本の企業がやってきた改善活動(TQC, TQM)以外に、balanced score card (BSC)や、高度なところではearned value management(EVM)などの新しいマネジメント手法が溢れていましたしね。

 そんな時に、知切四書さんという、日本IBMの現職から三重大学に初代監事として来ていただいたproject managementの専門家がおられて

「大学のレベルでは高度なマネジメント手法を適用することはとても無理ですよ。いろんな手法に目移りするのではなく、まずは、PDCAをきっちりと回すことを徹底されたらどうですか。」

とアドバイスをいただいたんです。

 それで、PDCAという誰でも知っている、もっとも基本的なマネジメント手法を徹底することにしたんです。この、アドバイスはほんとうに適切なアドバイスだったと思っています。

 さて、次は、マネジメントでも少し話題を変えて、「ガバナンス」や「リーダーシップ」というテーマについてお話しましょう。今回の6月に出された文科省の「大学改革実行プラン」においても、大学のガバナンス改革が強調されていますね。

 考えてみれば、大学ほどマネジメントが難しい組織はないと思います。教員のヒエラルキーは希薄ですし、部局長は現場が選挙で選び、学長の決定権は実質上ありません。つまり、ヒエラルキーの断絶が起こっている組織です。

 また、大学には複数のヒエラルキーに属する職員が現場で一緒に働いていることも、他の組織ではあまり見られない構造ですね。

 たとえば、附属病院では、医師、看護師、技師などの専門職が、それぞれ別個のヒエラルキーを作っていますが、病棟ではいっしょに働いています。企業で言えば、常にプロジェクト・チームが活動していることになりますね。

 

 僕が学長になって間もなく、ある私立大学の学長さんが挨拶に来られました。その学長さんがおっしゃったことは「人事権や予算権が与えられていない学長のいうことを、教員は聞いてくれない。理事長の権限を兼ね備えている国立大学法人の学長がうらやましい。」ということだったんです。

 これは、僕にとってはちょっとおどろきでしたね。私立大学は民間的発想で経営をしているわけですから、国立大学よりも、はるかにトップダウンで、ガバナンスがなされていると思い込んでいましたからね。

 法人化によって、国立大学の学長は、法律上は、学長の権限と理事長の権限が与えられ、オールマイティの存在になりました。ただ、国立大学の学長の現時点では実質上の権限は小さく、それを振りかざして、教員を動かすことは困難です。

 そんなことで、現時点では国立・私立に関係なく、学長には人事権や予算権に頼らずに組織を統率できる卓越したリーダーシップとマネジメント能力が要求される、ということでしょう。

 

 僕は三重大学長時代に地域の商工会議所などでお話する機会があった時に「果たして企業の社長に大学の学長が務まるか?」というテーマでしゃべったことがあるんです。その時の僕の結論は「人事権や予算権に頼らずに組織を統率できる卓越したリーダーシップの持ち主であれば可能である。」というものでした。

 実際、前静岡産業大学長の大坪檀さんは、元米国ブリジストン経営責任者でした。「大学のマネジメント・その実践-大学の再生戦略―」という素晴らしい本をお書きになっていますね。大坪さんもブリジストンでやっておられた方針管理(TQM)を大学のマネジメント手法として用いておられますね。

 大坪さんは、ご著書の中で大学のガバナンスについて、たとえば以下のようなご意見をおっしゃっています。

「トップダウンでなければマネジメントはできない。

日本の学長の役割は曖昧。単なる対外的な顔⇐学長の人事・予算に関する権限は限定的

教授会と学部長の位置づけは明確にしておかねばならない。意思決定機関なのか、審議機関なのか、意見具申機関なのか?」

 僕も、大坪さんのご意見に賛成です。

 ちなみに海外の大学では、部局長を教授会の投票で選ぶ大学はほとんどないと思います。どうも日本だけの特殊な慣行のようです。

 欧米の大学でも、学長や学部長の資質として、構成員の支持が得られる人物であることは非常に重要な評価項目になります。しかし、投票という方法は、アカデミックな組織としては好ましいとは思えない政争をしばしば生じてしまうことになりますね。この前、アメリカの大学理事会協会の会長さんにお会いしたのですが、日本の大学のトップは“有能な政治家”である必要がありますね、と笑われてしまいました。

 一方、密室で、どういう基準なのかよくわからない選考がなされるのも困りものです。どうしてこんな人物が選ばれたの、とがっかりすることがありますね。もっとも、投票で選ばれた場合も、がっかりすることがありますが・・・。

 構成員からの支持を得ているかどうか、あるいは外部の候補者ならば、構成員の支持を得られる可能性があるかどうかを評価することができ、なおかつ政争引き起こさない選考方法が理想です。

 今回の文科省の大学改革実行プランで大学のガバナンス改革が強調されているのですが、日本の大学の部局長等の選考の慣行を問題にしているように感じられます。法律上は、せっかく国立大学の学長をオールマイティの存在にしてトップ・マネジメントをやりやすくしたのに、なぜ、いまだに学部長を選挙で選ばせているのか?という政府関係者の声が聞こえてきそうですね。

 ただし、「トップダウン」というと、強く反発する皆さんがいらっしゃると思うので、「ワンマン」との違いについて追加をしておきます。

 今の日本の大学のシステムでも、いわゆるワンマンの学長で困っている大学もあります。民間企業でもワンマンの社長でつぶれたところはたくさんありますね。トップダウンをワンマンであると誤解するトップは困りものです。

 一方、部下にまかせっきりのトップも困りものですし、実質上組織を動かすトップが別に存在するような組織も困ります。やはり、トップがしっかりとリーダーシップをとって、重要事項についての最終的な意思決定を自分の責任で行うトップダウンが必要です。

 僕が学長になるに際して参考にしたリーダーシップ論は「EQリーダーシップ」という本でした。世の中には数多くのリーダーシップに関する書物が出ていますが、いろいろ読んだ中で、僕の感覚に一致するのが、この「EQリーダーシップ」でした。EQとはemotional quotientの略で“感情指数”と訳されています。IQ(intelligence quotient)つまり“知能指数”と対比される言葉です。

 EQとは一言で言えば、周囲に共感・共鳴を巻き起こす能力であるとされています。

 ワンマンのトップには、あまり共感・共鳴を感じませんよね。また、名誉欲の強い人や、自分の利益だけしか考えない人にも、共感・共鳴を感じません。IQが高くて論理で言い負かされてしまう相手にも、こんちきしょうと思いこそすれ、共感・共鳴はあまり感じませんね。IQも大事なのですが、IQだけではダメでEQが必要ということでしょう。

 次は、以上のようなマネジメントの方針でもって、三重大学の学長という役職に臨んだ結果が、果たしてどうだったかというお話です。すべては結果ですからね。

(このブログは豊田の個人的な感想を述べたものであり、豊田が所属する機関の見解ではない。)


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