ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

果たして大学病院は無用の長物か?(その9)

2012年02月21日 | 医療

 今日は、大前研一氏の週刊ポスト誌2月10日号の最後に近い部分についてです。

「かねてから大学病院は「白い巨塔」と呼ばれ、患者よりも学会で発表することを優先している、と批判されてきた。大学病院はインターンを薄給で雇えるため、どうしても経営が甘くなりがちである。

 一方、患者は学会で治療や手術の事例を発表するためのモルモットにされる、というきらいがある。それがなければ医学の進歩はないという側面もあるが、そういうことは研究所の役割にして、大学は病院を経営せず、学生の教育に徹するべきではないか。患者の位置づけが不明確な日本の大学病院は、もはや無用の長物になったと言わざるをえないだろう。」 

 「大学病院は白い巨塔」、「大学病院はもはや無用の長物」という、過激な表現の節にやってきました。いよいよ、クライマックスに近づいていましたね。

 これまでは、地域や診療科間の医師の偏在問題の解決のために「大学病院を廃止」するべきという論旨でしたが、この一説では大学が病院を経営することの弊害をあげて、医師の偏在問題の解決以外の理由によっても、「大学病院を廃止」あるいは「大学は病院を経営するべきではない」と主張しておられます。

 大学が病院を経営することの弊害として、大前氏がここであげておられることとしては

1)     患者よりも研究が優先される。

2)     病院の経営が甘い←インターンを薄給で雇える。

の2点です。

 そして、それを解決するための大前氏の提案は、

1)     大学病院で研究せず、研究所で研究をする。

2)     大学が病院の経営をやめる。

の2点です。 

 まず、大学病院における「研究」についてです。 

大前氏がかねてから大学病院は「白い巨塔」と呼ばれ、患者よりも学会で発表することを優先している、と批判されてきた。とおっしゃっているように、実際に患者よりも学会で発表することを優先してきたかどうかは別にして、そのように批判されてきたことは事実ですね。また、以前はそのように批判されてもやむをえない面があったと思います。

しかし、今では、さまざまな制度改革や改善により「患者よりも研究が優先される」ことは基本的にありえません。 

ヒトを対象とする研究は、世界的なガイドラインに従い、事前に倫理委員会の審査を経ないと認められませんし、患者さんに十分な説明をして、同意をいただくことが前提です。また、患者さんはいったん同意した研究協力をいつでもやめることができます。もちろん、研究に協力しないことで、診療上の不利益を被ることもありません。 

また、医学の研究には、大きく分けて、研究所で行う基礎研究と、病院で行う臨床研究あるいは治験、そして、基礎研究と臨床研究の橋渡しをする研究、などがあります。大前氏は、研究は研究所の役割にすべき、とおっしゃっていますが、研究所で可能な研究は、基礎研究と、橋渡し研究の一部であり、臨床研究や治験は病院で行われます。

そして、病院において患者さんにご協力いただく臨床研究は、医学の進歩に欠かすことはできません。 

実は日本の臨床研究は、欧米諸国、そして、最近ではアジアの国に対しても、大きく後れをとっているのです。たとえば、日本の製薬メーカーが新薬を開発した場合には、まず、海外で治験を行うことが普通になっています。日本では、ご協力をいただける患者さんを集めることが難しく、治験体制の確立が遅れたこともあり、時間もかかるのです。日本で承認されるのは、海外で販売された後になることが多くなっています。これは、治験の空洞化問題と言われていますね。 

最近、日本の医学研究の論文数が減りつつあり、欧米やアジアの国に対する日本の国際競争力が急激に低下していることは、この大学病院シリーズのブログの直前の論文シリーズのブログで、ずいぶんと書かせていただきました。

 

大前氏のご提案のように、大学病院での研究をやめて、研究所だけで研究をすることにした場合、日本の医学は惨憺たることになるでしょうね。もっとも、大学病院で研究をしなくても、大学病院以外の病院で研究をするという手もありますが・・・。 

実は、大学病院以外の病院でも、臨床研究や治験はさかんに行われているんです。たとえば、私が学長をやっていた三重大学が中心になって造った「三重治験医療ネットワーク」のHPを覗いてみましょう。http://www.mie-cts.net/ 

 「みえ治験医療ネットワークは、県内全域で迅速かつ効率的な治験を実施するために、三重大学病院と地域の基幹病院(25病院)が中心となって取り組んでいます。ネットワークでは、事務局機能を担う組織として、平成1511月にNPO法人みえ治験医療ネット(以下、「みえ治験医療ネット」)を設立しました。順次、中小規模病院やクリニックもネットワークに参加しており、県医師会、郡市医師会の協力を得て、幅広い領域の治験を実施できる体制の整備を進めています。 

 

三重治験医療ネットワークには、大学病院どころか、三重県内25の基幹病院が参加し、そして、医師会、つまり開業医さんまで参加していただいているんです。

欧米やアジア諸国に負けないように、臨床研究や治験をメディカル・イノベーションやライフ・イノベーションに結び付けようと思えば、大学病院だけの規模では全然足りないんですね。大前氏の提言のように研究所だけの研究に制限したら、それこそとんでもないことになります。 

もう一つ、解説を付け加えておきましょう。これだけの規模の病院ネットワークを束ねて、治験を効率的に実施できるシステムを作り上げることは、そう簡単なことではないんです。三重治験医療ネットワークにご協力いただいている25の基幹病院は、実は、三重大学が医師を派遣している病院がほとんどです。

つまり、50年来批判され続けてきた「医局」がネットワークの基盤になっています。各病院は三重大学との長い付き合いがあるからこそ、治験にもご協力いただけるのです。 

医局には弊害もありますが、そのパワーを上手に生かせば、創造的な事業もできるという事例だと思います。 

以上から、大前氏の大学病院における研究についてのご意見

「大学病院では患者よりも研究が優先される。」

「大学病院で研究せず、研究所で研究をするべきである。」

に対する私のコメントとしては

「大学病院では患者よりも研究を優先することはない。」

「大学病院ばかりでなく、他の多くの病院も巻き込んだ臨床研究体制を進めるべきである。」

ということになります。


 次に、大学病院の経営問題に話を移します。

大前氏が「大学病院の経営が甘くなりがち」とおっしゃっているのは、しばらく前まではその通りだったと思います。ただし、経営が甘くなる理由としてあげておられる「インターンを薄給で雇えるため」ということについては、それも一因であったかもしれませんが、違う見方もできるように思います。

国立大学病院においては、2004年の法人化を契機に、相当な経営改善努力がなされています。それまで国立大学病院へ支給されていた国からの交付金のかなりの額が削減されるとともに、国の特別会計の中で措置されていた病院再開発に係る借入金を、法人化後はほとんど自力で償還しなければならなくなったからです。

 病院現場の懸命の経営改善努力の結果、大学病院の患者数、手術件数は増加し、平均在院日数は短縮され、経費率も下がり、病院の収益は約1.4倍に増えました。平成21年度の42国立大学の病院収益は約7800億円に上っています。ただし、これで利益が増えたというわけではなく、交付金減額と償還金の償還への対応で、ぎりぎりの経営を余儀なくされました。

 一方、病院収益増に伴う負荷は、若手医師流動化と相まって、研究活動の人的インフラである〔研究者数×研究時間〕を減少させ、臨床医学の質の高い論文数は激減して、学術の国際競争力が急速に低下しました。つまり、研究機能を犠牲にして、病院の経営を改善したわけです。

 国立大学病院で経営が甘かった理由としては、法人化前の予算主義、つまり、毎年大学病院に国から予算が来て、現場はそれを一銭も残さずにきっちりと使い切ることが善とされ、一生懸命お金を稼いでも、自分たちで使えずにすべて国に納入されるというインセンティブの湧かない制度が、最大の要因だったと私は考えています。これは、法人化という構造改革によって、まだ縛りは残されているものの、かなり改善されました。

 「大学病院はインターンを薄給で雇える」ということについてですが、まず、インターン制度は、日本では学園紛争により1968年、つまり44年前に廃止されています。その後、研修医制度が始まり、それなりの給与が支払われるようになりました。

ただし、民間の病院の研修医の給与に比較すると安い状態が続いています。それで「若手医師を薄給で雇える」というふうに言い直させていただきます。一概には言えませんが「若手医師を薄給で雇える」という現状は、国公立大学だけではなく、私立大学病院でも似たり寄ったりの状況だと思います。

 実は、大学病院では、若い医師ばかりでなく、指導医の給与も、民間病院や自治体病院や国立病院の医師よりも格段に安いんです。同年齢の医師に比べてだいたい2分の1くらいかもしれません。

 現時点では、給与が安くても、なんとか医師を確保できているので、これを、大前氏がおっしゃるように、経営が「甘くなる」理由としてあげることもできますが、見方を変えれば、人件費を安く抑えて、厳しい経営をしているとも言えるわけです。

 ただし、個人的には、大学病院の医師給与をもっと上げるべきだと思います。

平成20年度の国立大学病院の病院収益に占める人件費の割合は47%で、これはたとえば自治体病院平均の54%(平成17年度)と比較して、かなり低い値となっています。一方、最先端の高額医療機器については一般病院よりも数多くそろえて、国民や地域の皆さんの高度医療に対する期待に応えているわけです。

実は私の所属するセンターは、国立大学病院に対して、再開発や高額医療機器の購入に必要な資金を融資しており、現時点での貸付残高は42の国立大学に対して約87百億円にのぼっています。 

このように、経営という面でも、大学病院は大きく、そして、急速に変化しています。もちろん、さらにいっそうの経営改善努力が必要ですが、大学病院の経営は甘くないレベルに達していると思います。

ただし、大学病院の教育、研究、高度医療、地域医療への貢献といった、国民や地域の住民が期待する公的な使命については、きちんと公的に支援をしていただく必要があります。この支援を削減して診療報酬で賄えと言われても、ただでさえ長時間労働をしている医師たちが、それこそ疲弊をしてしまいます。 

 以上から、大前氏の大学病院の経営に関するご意見

1)病院の経営が甘い

2)大学が病院の経営をやめる。

に対する私のコメントとしては

1)大学病院の経営は大きく改善しており、甘くないレベルに達している。(ただし、公的使命の部分については公的にきっちりと支援していただく必要がある。)

2)いっそうの経営改善努力は必要であるが、もはや経営の甘さは、大学が病院の経営を止める理由にはなりえない。


次回につづく

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