(このブログは豊田個人の勝手な感想を述べたものであり、豊田が所属する機関の見解ではない)
前回までのブログについて、いくつかのご意見をいただいたので、今日はそれに対する答えです。つまりQ&A。
まず、Aさんのつぶやき。
「ただ、個人的にはあまり中身のない論文書いても、論文出版するのにもお金はそれなりにかかるわけで、それこそ税金の無駄だと思う。要するに単に数の問題だけじゃじゃない。」
まったく、その通りですね。今回は「なぜ論文数を増やす必要があるのか?」というタイトルにしましたが、ちょっと誤解を招く表現だったかもしれません。
まず、「なぜ、質(あるいは注目度)の高い論文数を増やす必要があるのか?」というふうに”質(あるいは注目度)”という言葉を入れると、多少誤解は少なくなるかも。
私がアメリカのバンダービルト大学に研究留学していた時のボスは、河野哲郎という方で、インスリンの作用の研究では有名な研究者でした。実は、彼の論文数は他の研究者に比べるとかなり少なかったんです。でも、彼の論文は、追試が100%可能ということで、他の研究者から一目置かれていましたし、彼も、他者から絶対の信頼を抱かれる論文を書くことを信条としていました。
トムソン・ロイター社などの学術論文データベースが整備され、私が教授になった20年前の日本にも、インパクト・ファクターや被引用数という”ビブリオメトリクス(bibliometrics)の手法が紹介され、大学の理系の教員選考では、たとえば有名な学術雑誌に掲載される英語の論文数の多寡が大きく影響するようになりました。これは、ある面では教員選考に客観的な資料を提供する手段となりましたが、一方ではその行き過ぎも反省されるようになっていると思われます。
私の知っている臨床医学の先生で、英語のファーストネームの論文を圧倒的にたくさん産生している方がおられました。だいたい月1回のペースで論文を書いておられたかもしれません。非常にまじめで、夜中も3時~4時まで研究をしておられました。しかし、彼は結局、教授選考で落とされました。彼の努力を知っている私としては残念に思ったのですが、同じような研究ネタで、少しだけやり方を変えては論文数を増やしているというふうに受け取られて、マイナスの評価になったのだと思います。
あくまで、”論文数”は研究成果の一つの指標であり、このように”論文数”を増やすことだけが目的化してしまうとおかしなことになりますね。しかし、”論文数”は、研究活動を推測する上で重要な指標であることには間違いないと考えます。
そもそも数値目標というのは、多かれ少なかれそういう面をもっていると思います。数値だけが目的化してしまうと、おかしなことになりますが、適切な数値目標を設定して、その裏にある真の目的を見誤らずに使えば、目的実現のための有効な手段になるのではないでしょうか。そして、完璧な数値目標というものはありませんが、目的を実現する上で、最も誤差の少ないと思われる数値目標がKPIということになるのでしょう。
私は、学術やイノベーションの国際競争力について、国としての数値目標を設定するべきではないかということを新聞にも書きました。そして、いくつかの指標がある中で、”国民一人あたりの質(または注目度)の高い論文数”がKPIの候補になりうるのではないかと思っています。それを、まず、台湾並みの1.5倍にしてはどうか、というのが、最近の私のブログで書いた主張でしたね。
そしたら、Bさんから、”では、国立大学全体の目標を質の高い論文数を1.5倍にすることにして、それを、各大学に割り振りましょうか。”というご意見をいただきました。それを聞いていたCさんからは、”そんなことをしたら、大きな大学で外部資金を多額に獲得できる大学は可能かもしれませんが、地方大学ではとても無理なのではないですか?”というご意見もいただきました。
いわゆる、数値目標のノルマ的な割り振りですね。これでは、現場が疲弊するだけで、目標達成は不可能でしょう。
最近ではあまり言われなくなりましたが、企業の管理技術にTQC(total qulity control)というものがあり、その中核をなすのが”方針管理”とされています。”方針”というのは目標+方策というふうに理解しています。この方針管理においても、まずトップが大きな方針を決めて、それが各部署に振り分けられて展開されていきます。ただし、方針(目標+方策)の展開であり、成果目標だけではなくプロセスも展開されていくので、いわゆる数値目標のノルマ的な割り振りとは違う面をもっています。
先のブログでも書きましたように、論文数を増やすための方策としては、まず人的インフラとして研究者×研究時間を増やすことが必要であり、これを1.5倍にする必要があると思います。そして、そのためには、国による支援をどれだけするべきか、現場の大学の自己努力をどれだけするべきか、ということになるんだと思います。また、国及び大学現場の双方に、構造改革が必要になると思います。
”論文数も金次第”ということを申し上げましたが、基本的にお金を削減して論文数を増やすことは困難であると考えます。国としては数値目標実現のためには、それなりの予算を確保する努力が必要でしょう。
現場の努力としては、たとえば教員の研究時間をできるだけ多く確保すること。そのためには、教員の雑用を減らしたり、会議の時間や回数を減らしたりすることも必要になりますね。経営努力によって剰余金が出そうであれば、極力教員や補助者の数を増やすことに使うべきでしょう。もちろん、優秀な教員を確保できる選抜方法や人事制度・評価制度の改革も必要です。
国家公務員の人件費削減改革を、そのまま国立大学法人や研究機関に適用していては、どうしようもありませんね。
附属病院ですと、医学部予算や交付金で措置されている教員の診療負担に病院の経営をたよるのではなく、診療の収益の中で医師の人件費をカバーすることができるような経営効率化をめざすべきですし、そのためには病院の再開発についても、高機能を保ちつつ、できるだけコストカットをする努力をするべきでしょう。ただし、このような経営努力をした大学への交付金を削減しているようでは、とても実現は不可能です。経営努力で浮かしたお金は、すべて論文数1.5倍増という目標の達成につぎ込まれるべきです。
Dさんからの質問
「私が誤解していたのは、大学の研究は民間に比べて、当然基礎的研究であると思っていました。従って、比較的お金を要しない、しかし長時間かかる研究と言う認識でした。従って、全分野の論文の数と、お金がかかるということには、勿論お金が必要な研究はあるでしょうが、若干抵抗を感じますが如何でしょうか?やはり分野別とか、基礎研究と応用研究が分けられたような表現が必要ではないでしょうか?(明確な分類は困難でしょうが)」
Dさんのおっしゃるように大学や公的な研究機関の研究は民間に比べて当然基礎研究主体です。ただし、基礎研究も相当お金がかかりますけどね。ノーベル賞につながったスーパーカミオカンデによるニュートリノの検出にはかなりのお金が使われています。
文科省科学技術政策研究所の科学技術指標2011によれば、性格別研究開発費について以下のように記載されています。
「性格別研究開発費とは、総研究開発費を基礎、応用、開発に分類したものであるが、日本は自然科学分野のみの研究開発費を分類している。
○2009 年度の日本の性格別研究開発費のうち基礎研究の割合は全体の15.0%、そのうち大学部門が占める割合は51.3%と多い。
○各国の最新年の性格別研究開発費のうち、基礎研究の割合が大きい国はフランスであり、全体の25.4%である。一方、一番小さい国は中国で、全体の4.7%である。また、基礎研究費の使用部門別内訳を見ると、大学部門が最も大きいのはフランス、米国、日本であり、公的機関部門が最も大きいのは中国であり、企業部門が最も大きいのは韓国である。」
また、Dさんがおっしゃるように、分野別でもお金のかかり方は違いますね。先ほどの宇宙やロケットの打ち上げ、あるいは素粒子の研究などには、1件あたり多額の研究費がかかる基礎研究がありますね。もちろんお金のそれほどかからない研究もあるわけですが。
お金のかかる研究をやめてお金のかからない研究をやれば、当然少ないお金で、論文数が多くなるわけです。以前のブログでお示ししたように、研究費あたりの論文数を計算すると、旧帝大よりも地方大学の方が多くなります。これは、地方大学では1件あたりのお金のかからない研究を多くやっているので、そういう結果になっているのだと思います。では、地方大学だけの研究でいいのかというと、そういうことにもならないと思います。
また、注目度(質)の高い論文は、大規模な研究体制で生まれる確率が高く、お金がたくさんかかっているというデータがあります。
論文に影響する因子は複数あるわけですが、お金は、その因子の大きな部分であり、データで見る限り、大枠では、特に注目度(質)の高い論文数はお金に左右されます。もちろんお金のかからないように努力するべきですが、お金をかけずに、質の高い論文数を増やすことは、言うはやさしくして実際には困難であると考えます。
今のわが国の国立大学での論文数の減少が、研究者×研究時間という人的インフラのダメージによるところが大きいというのが私の見解ですが、この人的インフラの回復にはお金が必要です。(お金を国から支援してもらうか、自己努力で稼ぐか、構造改革で他の部分を削って研究にお金を回すかは別にして)
お金を減らしつつ論文数を増やせというのは、竹やりで外国と戦えといっているのと同じで、お金を確保していただいて、その上で最大限の効率化や構造改革の努力をして、質の高い論文を増やす努力をしないと、現場が疲弊をするだけで、外国には勝てないと思っています。
Dさんからは、他にもたくさんの質問をいただきました。今日はこのくらいにして、また、順次お答えしていきたいと思っています。