ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

果たして大学病院は無用の長物か?(その5)

2012年02月13日 | 医療

(このブログは豊田の個人的な感想を述べたものであり、豊田が所属する機関の見解ではない。)

 前回は、大前研一氏の週刊ポスト誌(2月10日号)に対するコメントに関連して、私が関係していた三重県の尾鷲総合病院の産婦人科医師確保問題についてお話をしましたね。では、先をいそぎましょう。

 「とはいえ、文科省が医学部の権益を手放すことはないだろう。その場合、厚労省には選択肢が2つある。1つは、自分で”医師養成学校”を作るという方法だ。そしてもう1つは、「大阪都」のような自治体に委託し、地方が必要とする医師の養成は地方に任せるという方法である。

 橋下徹・大阪市長と松井一郎・大阪府知事は大阪市立大学と大阪府立大学を統合して教育学部を新設し、大阪が必要とする教員は大阪が自前で養成するという構想を発表したが、その医学部版を認めるのだ。自分の地域で必要な医師は、中央のコントロールを受けないで自分たちで育成する、という理想的な形である。

 そもそも日本医師会が主張しているような人口減少による医師過剰の懸念は、日本の医師の能力が高いのならば杞憂である。海外に行って稼ぐことや海外からのメディカル・ツーリズムで稼ぐことができるはずだからである。」

 前回までに、大前氏の主張しておられる医師の地域間および診療科間の偏在対策としての経済的インセンティブや規制的手法については、すでに政府や地方自治体もその一部を実施しているところであり、経済的インセンティブや規制手法の実現は、厚労省が医学部を管轄する・しないとは関係がない、ということをお話しましたね。

 したがって、「とはいえ、文科省が医学部の権益を手放すことはないだろう・・・」以下の文章は、私にとっては無意味ということになってしまうのですが、一般の皆さんの誤解をできるだけ少なくしたいという主旨から、大前氏のいろいろなアイデアについてコメントを加えさせていただくことにしましょう。

 「その場合、厚労省には選択肢が2つある。1つは、自分で”医師養成学校”を作るという方法だ。」

 医師の偏在解決のための経済的インセンティブや規制手法を実施するためであれば、わざわざ厚労省が医師養成学校を持つ必要はないと思うのですが、この記事の後の方を読むと、大前氏は、経済的インセンティブや規制手法による医師偏在対策以外の理由も考えておられるようです。この点については、後日のブログで議論することしましょう。

 次に大前氏が主張しておられる

 「そしてもう1つは、「大阪都」のような自治体に委託し、地方が必要とする医師の養成は地方に任せるという方法である。」

という部分ですが、大阪市はずっと前から、大阪市立大学に医学部をもっていますね。ですから、「大阪都」が新たな医学部を作る必要はないと思われます。

 このような公立の医学部は現在全国に8つあります。大前氏の主張しておられる自治体立の医学部が、既存の公立の医学部とどうちがうのか、この文面からは良く分からない面があります。

 「自分の地域で必要な医師は、中央のコントロールを受けないで自分たちで育成する、という理想的な形である。」

書いておられることからすると、中央のコントロールを問題視されているように思えます。しかし、もし公立大学が(あるいは国立大学や私立大学でも)、地域に必要な医師養成や医師偏在の解消に徹すると宣言すれば、中教審が大学の機能分化を提言していることもあり、文科省としてはむしろ歓迎するでしょうね。

 ただ一つ、国が医学部に厳しくコントロールしていることとして、医学部の学生定員があります。他の学部と違って、医学部の学生定員の変更には、財務大臣、総務大臣、厚生労働大臣、文部科学大臣の署名が必要なのです。このために、医学部の学生定員だけは、つい最近まで低く抑えられてきたのです。この点は、大前氏のおっしゃるように、地域に必要な医師養成を地域が自由にできなかった面がありますね。

 もし、大前氏の問題視される中央のコントロールが国による医学部学生定員の制限を指しているのであれば、議論をする意味が出てきます。

 大前氏のおっしゃるように自治体が独自の医師養成学校を作っても、国のこの制限が適用されるのであれば意味がないことになりますね。逆に、この制限さえ撤廃していただければ、必ずしも自治体立である必要はないかもしれません。

 最近は、医学部学生定員増という方針が、それこそ政治主導で決められましたので、国公私立大学とも定員を増やしましたね。平成19年度から23年度にかけて、国立大学は4090⇒4843人、公立大学は655⇒817人、私立大学は2880⇒3263人に増えています。今回、公立大学は、地域に必要な医師数を自らの意思で増やすことができたはずです。

 実は三重大学医学部の前身は三重県大学医学部で、1972年に国立に移管されています。県立大学から国立大学へ移管された医学部は他にもありますが、私はそれを県立に戻して欲しいと要望する自治体はたぶんないのではないかと見ています。

 ただし、国と自治体と大学の間に、緊密なコミュニケーションがとれるということが前提でしょうね。私は、今回の地域医療崩壊問題をきっかけにして、国と地域と大学のコミュニケーションや連携がずいぶん進んだのではないかと感じています。この3者の連携を、今後いっそう緊密にしていく必要があると思います。

 「そもそも日本医師会が主張しているような人口減少による医師過剰の懸念は、日本の医師の能力が高いのならば杞憂である。海外に行って稼ぐことや海外からのメディカル・ツーリズムで稼ぐことができるはずだからである。」

 ここで、大前氏は厚労省管轄や自治体立の医学部を造ることによる医師数増に対して起きるかもしれない日本医師会の批判に対して、あらかじめ反論しておられるものと考えます。

 私は、医師数増に対する反対者として、日本医師会以外に厚生労働省もあげておくべきだと思います。

 厚労省は、1983年の厚生省保健局長吉村仁氏のいわゆる医療費亡国論に象徴されるように、一貫して低医療費政策、そして医師数抑制政策を堅持してきました。

 厚労省の「医師の需給に関する検討会」は概ね5年ごとに、常に医師過剰となる推計を出してきました。三重県の尾鷲総合病院の産婦人科医師問題に始まる地域医療崩壊が全国的な問題になってからも、2006年7月28日の医師需給に関する検討会報告は、医師が過剰になるというものでした。

 当時NHKテレビで地域医療崩壊問題がとりあげられ、どうして医師を増やさないのかという市民の質問に対して、当時の厚生労働次官は、医師が過剰になるので増やさない、もうしばらく我慢していただければ医師は充足すると答弁しておられました。NHKはその報告書を批判的に報道したことを思い出します。

 当時、私も知り合いの厚労省の医系官僚に、医師を増やすべきである思うと申し上げたら、とんでもないという返事が返ってきました。当時、三重県選出の川崎二郎衆議院議員が厚労大臣になっておられたので、三重の首長たちはこぞって医学部定員を増やして欲しいと陳情に行きました。私も意見を求められたので、医師を増やすべきであると申し上げました。

 この頃、さすがの日本医師会も、医師を増やすべきであるという見解を発表しています。

 そんな状況で2006年8月31日に、川崎大臣のもとで、新医師確保総合対策が打ち出されました。10県10大学で10年間10人医学部学生定員を増やすというもので、その結果、もし、地域に医師を確保できない場合は、逆にその大学の医学部学生定員を現行よりも10人減らす、というひどい付帯事項がついていました。しかし、ともかくもこの対策が、その後のさらなる医学部定員増に結びつく第一歩となりました。

 新医師確保総合対策で、医師数の少ない県の10大学で2008年から10人医学部定員が増やされることになったのですが、その時、川崎大臣から私に電話が入り「豊田学長、三重大が10大学の中に入ったから、しっかり頼むよ。地域枠をぜひとも増やしてください。」と言われました。

 その後、舛添厚労大臣がさらに医学部定員増を実施し、民主党政権においても医学部学生定員を増やす方針がとられ、現在に至っています。

 三重大は医学部学生定員を100人から125人に増やし、地域枠35人という対応をしています。ちなみに地域枠入学者は2010年の時点で全国で1171名になっています。

 これ以上医学部学生定員を増やすべきかどうかについては、議論のあるところです。現在、これ以上増やすと医師過剰になるので、このあたりで留め置いた方がよいという意見が多いようです。

 大前氏の

 「人口減少による医師過剰の懸念は、日本の医師の能力が高いのならば杞憂である。海外に行って稼ぐことや海外からのメディカル・ツーリズムで稼ぐことができるはずだからである。」

という反論は、現下の歯科医師の過剰問題の解決に全く役にたっていない現状からは、日本医師会を納得させるような理由とはならないと思われます。

 実は何をもって医師が過剰なのか不足しているのかを判断することは、たいへん難しいことなのです。私は文科省の官僚からも、日本の医師数がOECDの人口当たり医師数の平均の3分の2ということ以外に、ほんとうに不足しているという根拠はあるのか?不足ではなく偏在だけではないのか?と何回も聞かれました。

 私は、真の偏在というのは、一方が不足で他方が過剰の場合をいうのであって、現在の状況は、一方が不足しているが他方は過剰ではないので、これは真の偏在ではなく不足であると申し上げました。また、若手医師の流動化、つまり医師需給の自由市場化が地域での医師不足の原因になったことは、自由市場のもとでは医師が不足していたことの証であるとお答えしました。

 5年ほど前にオーストラリアへ行った時には、オーストラリアも医師不足と判断して急速に医学部学生定員を増やしていました。その時にどうして医師不足であると判断したのか聞いたところ、オーストラリアでは、公的医療を行っている医師に、診療行為の一部に自由診療を認めるようにしたところ、医療保険会社のカバーする予定価格よりも、高い値段を患者に請求していたことから、医師不足であると判断したということでした。

 不足・過剰の判断を市場メカニズムから判断するというのは一つの方法ですね。計画経済で需給の過不足を判断して調整するというのは、本来たいへん難しいことです。

 一方、医学部以外の学部では、規制緩和で文科省が大学設置をかなり自由に認めるようになったので、市場メカニズムで需給が調整されるようになりました。その結果、さまざまな分野で大学の過当競争が起きていますね。人材育成にはかなり長い年月がかかるので、市場の調整にも時間がかかり、特につぶしのきかない専門職養成では、せっかく長い年月をかけて取得した資格が使い物にならないという悲劇が学生にも降りかかり、その調整に伴うコストには、大きいものがあると感じます。

次回につづく

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

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