ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

果たして大学病院は無用の長物か?(その4)

2012年02月12日 | 医療

(このブログは豊田個人の勝手な感想を述べたものであり、豊田が所属する機関の見解ではない)

 さて、前回は、たいへん長文のブログになってしまいましたね。今回はあまり長くならないように気をつけます。

 では、大前研一氏の週刊ポスト記事へのコメントをいそぎましょう。ちょっとだけ、前回のブログでご紹介した記事の文章とかぶりますが・・・。

 「そのように地域と専門分野に給料や授業料などでインセンティブを与えれば、医師の最適配分が可能になるはずだ。地方の公立病院の中には、産婦人科医を破格の待遇で迎えているところもあるが、これは人の命にかかわることだから、民主党政権は本来、子ども手当や高校無償化よりも優先し、国の重要政策として実行すべきことである。」

 ”産婦人科医を破格の待遇で向かえているところ”というのは、私が関係していた三重県の尾鷲総合病院のことだと思いますので、ちょっと詳しくコメントしておきます。

 私が、2004年に三重大学の産婦人科教授から、三重大学長となり、後任の新しい産婦人科の教授が赴任しました。

 三重県の南部、つまり、紀伊半島南部の三重県側に、尾鷲総合病院と紀南病院2つの病院があり、それぞれの病院へ三重大の産婦人科から2人ずつ、2~3年のローテーションで産婦人科医が派遣されていました。

 しかし、それぞれの病院から一人ずつ、つまり二人の産婦人科医が同時に開業等で辞める(医局の人事の枠外になる)という事態が起こりました。医師を一人のまま置いておくと、負担の大きさや医療事故のリスク等から、一人で残された医師がまた辞めるという悪循環が起こるので、地域の産婦人科の医療体制を維持しようと思えば急いて補充しないといけません。

 しかし、大学には医局に入る若手医師が少なく派遣する医師が足りない状況でした。おまけにちょうど2004年から開始された新医師臨床研修のために、少なくとも2年間は新たな若手医師が医局に入ってこないという状況がありました。

 一方で、2000年頃から新たに産婦人科医になる若手医師については、全国的に女性が男性を上回る状況となり、三重大の産婦人科でも若手医師は女性医師が大半となっていました。遠隔地の病院に2人体制で産婦人科医師を派遣していても辞める事態になるわけですから、特に若い女性医師を派遣することを考えると3人体制にする必要がある。

 加えて、現場の医師にとって不満の残る体制を放置しておくと、新たな入局者が減って、さらに地域医療の維持に悪循環が生じる可能性があります。2004年の新医師臨床研修の導入により、医学部卒業生は、研修医として各診療科の良いところも悪いところもすべて見たうえで、最終的にどの診療科に入るのか決めることになりましたからね。

 後任の産婦人科教授は、二つの病院のどちらかを医師3人体制にして、分娩や帝王切開を一つの病院に集約化し、もう片方は外来診療だけを大学から医師を派遣してカバーし、その地域全体として、産婦人科の医療体制を維持しようと決心しました。

 そして、尾鷲総合病院か紀南病院のどちらに分娩管理を集約化するのか、関係市町で決めていただくように要請しました。しかし、関係市町間では決めることができず、最終的に三重大学の教授の判断に一任するという結論になりました。

 教授は大学からあえて最も遠い紀南病院に分娩管理を集約化することにより、その地域の産婦人科医療を責任をもってカバーしようとしました。これは、おそらく尾鷲市が予想していた結論と反対の結論であったと思われます。普通は、大学から近い病院を選ぶだろうと考えますからね。

 尾鷲総合病院の産婦人科が外来だけとなり、分娩管理ができなくなるという事態になりかけたので、当時の尾鷲市長は猛然と署名活動を展開され、紀南病院に分娩管理を集約化する決定を覆すことを求めて、6万人の署名を持って学長室にこられました。尾鷲市の人口は約2万人なので、実にその3倍の署名をお集めになったことになります。

 私は、たいへん苦しい判断を求められたわけですが、産婦人科教授の下した決定を支持しました。ただ、医局の枠外にある医師にも範囲を広げて、尾鷲総合病院の産婦人科医師の確保に協力することをお約束しました。

 尾鷲市は、医師紹介業者も介して全国から産婦人科医師を確保する努力をされました。そして、最終的に三重県津市で開業していた医師が行くことになりました。彼は、私が若かりし頃に三重大でいっしょに研究をした仲間でした。その時の提示金額が約5千万円ということで、これは全国的に話題になりましたね。

 しかしその後、5千万円はあまりにも高額ということで尾鷲市議会で問題になり、最終的にその医師は1年程度でやめました。その後、給与を約2800万円程度に下げた上で、別の津市で開業していた医師が勤めています。実は彼も私が若かりし頃に三重大でいっしょに研究をした仲間でした。

 尾鷲総合病院の産婦人科医の問題は、全国的にも有名になりました。しかし、それは三重県だけの問題ではないことが、つぎつぎと明らかとなって地域医療崩壊が表面化し、2006年の新医師総合確保対策、その結果として2008年からの医学部学生定員増につながることになります。

 大前氏の主張されている経済的インセンティブの重要性には私も同感です。ただし、経済的インセンティブの原資をどこから確保するかという問題もあり、また、経済的インセンティブだけでも解決しないことは、このブログでご紹介した三重県の産婦人科医療の一例をとってみてもお分かりになると思います。経済的インセンティブを上手に使いつつ、さまざまな対策を組み合わせて実施する必要があるということですね。

 また、第三の医師の偏在、つまり「病院・診療所(開業医)」間の医師の偏在」については、大前氏はまったく触れておられませんが、前回ご紹介した2009年の財政審建議では、病院医師と開業医の収入の差を少なくするために、病院の診療報酬を高くするという経済的インセンティブが提案されていますね。ほんとうは、健康保険財政に苦しむ国としては、病院の診療報酬引き上げの原資を、開業医の診療報酬の引き下げでまかないたいところだと思うのですが、医師会は到底受け入れられないでしょうね。

 私は、地域医療に対しては、自民党政権、民主党政権の両方とも、地域医療再生基金などの政策も含めて、それなりのご支援をしていただいているのではないかと感じています。今後とも、いっそうの支援の継続を期待しています。

 次回につづく

 

 

 

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