「大学病院は無用の長物」とおっしゃる大前研一氏の週刊ポストの2月10日号の記事のつづきです。いよいよ、議論も佳境に入ってきますよ。
「大学病院を廃止するのも1つの手だ。ハーバード大学やジョンス・ホプキンス大学など、海外にも大学が病院を経営している例はあるが、その場合は病院側が圧倒的に優位になっている。日本のように大学側が優位に立つと、医学部生が専門を決める際に医局のパワー争いになり、人員が不足している科だけではなく、ボスの力が強い科に人が集まる、ということが起きる。」
まず、いくらゼロベースでブレーンストーミングすることが大切とは言っても 「大学病院を廃止する」という大前氏の表現は、一般の国民に誤解を与える表現ですね。
”大学病院”というと、皆さんは、どういう病院を頭に思い浮かべますか?大学(医学部)に付属している病院で、医学の教育や研究が行われている高機能な病院、といった感じですかね?
ただ、世界的に見ると、大学が付属病院を所有しているケースもあれば、所有していないケースもあります。人によって”大学病院”の解釈が違う可能性があるので、ここでは、大学の関連施設として医学教育および研究を実施する病院を、欧米に倣って”教育病院”(teaching hospital)と呼ぶことにします。”教育病院”とは言っても、教育だけではなく、通常は多かれ少なかれ研究も実施しています。
この教育病院は、医学の教育や研究を進める上で不可欠のシステムであり、世界中を探しても、教育病院が存在しない国はありません。ただし、その所有形態、あるいは経営形態は、さまざまです。
もし、大前氏のおっしゃる「大学病院の廃止」が「教育病院の廃止」という意味であれば、これはとんでもないことになります。
日本の大学設置基準には、医学または歯学に関する学部を置く大学は附属病院を置くことが基準の一つとなっており、日本の医学部または歯学部を有する大学は、附属病院を法的に所有しています。
一方アメリカでは、基本的には大学が教育病院を所有していない場合が多く、両者間の契約関係で、教育や研究が行われています。その場合、どれだけ大学が病院のガバナンスに関与できるかという点についてはさまざまです。
大前氏は「ハーバード大学やジョンス・ホプキンス大学など、海外でも病院を経営している例はあるが・・・」と書いておられますが、たしか、これらの大学は教育病院を所有していなかったのではないかと思います(もしまちがっていたらごめんなさい)。しかし、アメリカでもミシガン大学のように、付属病院を所有(own)している場合もあります。
このような欧米の大学の教育病院の所有形態の多様性は、歴史的なものであると考えられます。英米では最初に病院があって、そこに後からから医学部がくっついて教育の場とするということが多く行われてきました。
参考までに、アメリカの病院はいわゆるオープンシステムをとっているところが多く、研修医(レジデント)は雇用していますが、必ずしも医師を雇用しているとは限りません。開業医は、自分のオフィスで診た患者に入院や手術の必要性が生じた場合は、契約している病院に入院させて診療し、ドクターフィーを患者に請求します。病院は患者に入院費を請求します。したがって、アメリカの臨床の教授は、同時に開業医であるとも言ええます。だから、日本のように開業医と病院とが競合することは少ないはずです。アメリカの大学と教育病院の関係性にはこのような根本的な医療供給システムの違いも考慮しておく必要があるかも知れません。
いずれにせよ欧米では教育病院の独立性が強いことは大前氏のおっしゃる通りです。
大前氏の「大学病院を廃止する」という趣旨が、具体的にどうすることなのかよく分からない面もあるのですが、いくつか考えられる可能性をあげておきます。
1)大学は所有・非所有にかかわらず教育病院を持つべきではない。
2)大学は非所有の教育病院を持ってもいいが、教育病院を所有してはいけない。
3)大学は教育病院を所有してもいいが、ガバナンスを及ぼしてはいけない。
たぶん、2)か3)をおっしゃりたいのだと想像しています。そうであれば、大学と教育病院との関係性、あるいはガバナンスのあり方の問題であって、これは議論する価値のあるテーマとなります。
先のブログで触れましたように、オーストラリアは医学部は文部省、教育病院は厚生省が管轄していますが、2005年に訪問した時、現地の医学部長にその方式をどう思うのかと尋ねたところ、「厚生省が教育病院を管轄していると医学部での最新の研究成果を臨床に応用しにくく、実は医学部独自で教育病院を所有したいと思っている。しかし、経営のリスクを考えると、踏み切れないでいる。」というような答えが返ってきました。
また、大学と教育病院の関係性については、国際的な研究会をつくって問題点を検討しているとのことでした。http://www.u21health.org/news/docs/U21Univ-Health_system_discussion_paper.pdf
欧米は、大学と教育病院のガバナンスが異なることについて、必ずしもその方式を最善と思っているわけではなく、それゆえに生じる教育や研究が進めにくいというデメリットを克服しようと試行錯誤をしている状況と思われます。
このような状況から、私は、大学が教育病院を所有することによる教育や研究のやりやすさのメリットを生かしつつ、もし所有することによるデメリットがあるとすれば、それを修正するという方策が現実的であると思っています。
また、逆に、日本においても、所有者の異なる病院を大学の教育病院として活用することは、大いに進めるべきであると考えています。実際三重大学では15年ほど前から、数多くの関連病院で、研修医だけではなく学部学生の臨床自習を大々的に行っています。クリニカルクラークシップと呼ばれる臨床実習、つまり学生が診療現場で医療チームの一員となって患者の診療に係る診療参加型の実習を進めるためには、三重大学が所有する付属病院の病床の規模では小さすぎると判断したからです。
そして、関連病院の指導医に臨床教授等の称号を与える制度を当時三重大医学部の教務委員長であった私が発案して文科省に申請をし、認めていただきました。当時日本で最初の試みだったと思います。(臨床教授制度については、他の偉い先生もご自分の発案とおっしゃっているので、私だけの発案ではないかもしれないのですが・・・)
さて、次は、大前氏がこの文章で大学病院を廃止すべき理由としてあげておられることに話を移したいのですが、ブログが長くなりすぎるので、今日はここでいったん置いて、つづきは次回に回すことにしましょう。
次回につづく
(このブログは豊田個人の勝手な感想を書いたものであり、豊田が所属する機関の見解ではない。)