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「イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。

2014年12月25日 17時03分11秒 | 聖書

主が彼を祝福してくださったのである」(創世記26:12)

「先の飢饉とは別に、この国にまた飢饉があった」との状況にあり、飢饉の中で、イサクは種を蒔いたのだ。
作物が育つどころか、どんどん枯れて行く状況での種蒔きだ。
外側を見ると、作物が育つような状況では全く無かった。
何のために蒔くのか。蒔いても種が無駄ではないか。
飢饉のまっただ中で何が望めよう。
しかし、その地に種を蒔いた。
イサクには信仰があったからだ。
見た目の状況ではなく神を信じたのだ。
そうでなければ、種を蒔くことなど出来ない。
見えるところは、種も無駄、労力も徒労だ。
しかし、百倍の収穫を得た。
「主が彼を祝福して下さった」通りに神の一方的な祝福だ。
私達も信仰によって進む時、大きな祝福を見る。
しかし、もしイサクが蒔かなかったらどうだろう。
「パンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、それを見いだそう」
「雲を警戒している人は種を蒔かない」
「朝のうちに種を蒔け。夕方も手を放してはならない」
神は祝福して下さる。しかし、私達の側ではなすべき事をする必要がある。
忠実に種を蒔く事が大切だ。
状況を見ていたなら決して蒔けない。
見えるところでなく信仰によって歩もう。
豊かに蒔く者が豊かに刈り取る。
あなたにも、今なすべき事が示されているだろうか。
蒔かない限り、刈り取りは無い。
蒔いて祝福を刈り取ろう。
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自分の思いや気力なら、恐れや不安で蒔く事は不可能にしかみえないだろう。
しかし蒔かない種に実は成らないのだ。
主に助けられ、励まされ、祝福を信じて蒔き続けよう。


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