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◆私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。

2016年09月14日 17時09分44秒 | 聖書
私は申しました。「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。(詩篇三二・五)
 
ダビデは自分の罪にたいへん苦しんだ。その結果は肉体にも及んだ。彼の骨は「疲れ果てた」、彼の「骨髄は、夏のひでりでかわききった」とある。それをいやす道はなかった。ついに彼は天の恵みの御座の前に、腹蔵ない告白をなすに至った。彼はしばしば沈黙を守ったが、彼の心はより深い苦悩に満たされていた。出口がふさがれた山の中の湖のようにたましいの中には、悲しみの奔流があふれたのである。
彼は口実を考えてまぎらわそうとした。しかし、それはむだであった。腫れ物がうむように、苦悩は増大し、彼が告白というメスを用いようとしなかったので、その霊は苦悩に満たされて安息を得られなかった。
ついに彼はへりくだり、罪を悔いて神のみもとに帰るか、それともその場で悶死するかのどちらかであることがわかった。それで彼は、急いで恵みの御座に行き、すべてをご存じであるお方の前で、自分の悪の巻き物を広げ、これまでのすべての邪悪を、詩篇五一篇、その他の詩篇にあることばをもって告白した。このことをなし終えると(これは非常に簡単なことだが、高慢な者にはこの上なく困難である)、彼はすぐに神の赦しのしるしを受けた。彼の砕かれた骨は喜び、彼は密室を出て、咎を赦された者の祝福を歌った。
恵みによってなす罪の告白の価値を見よ! それはすべての価値にまさって尊ぶべきものである。いやしくも、真実の、幸いな告白がなされるところ、あわれみは自由に与えられる。悔い改めと告白に、あわれみを受ける価値があるからではなく、ただキリストのゆえに与えられる。神はほむべきかな。砕かれた心のあるところ、必ずいやしがある。私たちの罪をきよめる泉は絶えず流れている。
おお、主よ。まことにあなたは「赦しの神」であられます。それゆえ、主よ。私たちは自分の罪を告白します。
 
 

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