座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

◆富・名声・愛顧

2016年08月25日 07時37分35秒 | 聖書

名声は多くの富よりも望ましい。
愛顧は銀や金にまさる。       (箴言二二1)
 
ここには、「富・名声・愛顧」の三つの価値が並べて書かれています。
「富」は望ましいものです。しかし、富だけをたよりにすることは、どんなに愚かでむなしいものでしょう。これは、昔スペインで起こったことだそうです。金貨をためこむことにただ執念を燃やしていた男がいました。日に一度、金庫室の中で金貨を数えるのが唯一の楽しみでした。ところが、この男が行方不明になりました。八方手を尽くしたが分かりません。何年もたって、この男の財産がすべて人手に渡った時、秘密の金庫室が発見され、その中で白骨死体となっていた男が発見されました。どうした不注意か、自分で自分を金庫室の中に閉じこめていたのです。どんなにわめいて助けを求めたか、分かりません。しかし、金貨はピカピカ光るだけで助けてくれなかったのです。
「名声」も望ましいものです。ヘブル語で名(シェーム)とは、人格のことです。人の言うことや人の評判ばかりを気にしていたら、人生、わなに陥ります。しかし、長い間に、多くの人々がその人を見る目は、そんなに問違ってはいません。多くの人々に「ああ、あの人は人格者だ」といわれるような人格を持つこと、これは富よりも一段と価値が上でしょう。
しかし聖書は、一番価値のあることは、神の「愛顧」を得ること・神の恵みを受けること・神に喜ばれることだと言います。極端にいうならば、神に目をかけていただく、神にえこひいきしていただくことです。神の一番きらいなことは、偽ること・高ぶること・神などいらないという心です。神の一番好きなことは、素直に罪を悔い、くだかれた魂になって、神の愛の中に飛びこむことです。神の愛の中に飛びこんで、愛し仕えることを学ぶ時、人格も富もぞろぞろ従ってくると、イエス・キリストは言われました。
 
 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。