歩きぶりの堂々としているものが三つある。
いや、その歩みの堂々としているものが四つある。
獣のうちで最も強く、
何ものからも退かない雄獅子、
いばって歩くおんどりと、雄やぎ、
軍隊を率いる王である。 (箴言三〇29―31)
ここにまた、四つのものをあげています。今度は、堂々と歩き前進する四つのもの、雄獅子・オンドリ・雄山羊・軍隊を率いる王です。「おんどり」は、英欽定訳ではグレーハウンド(猟犬の一種)、日本語文語訳では、戦馬になっています。いろいろ翻訳上むずかしい点がありましょう。
ゆったりと落ち着いて歩く獅子や尾を立てて歩くオンドリ、……どの一つをとっても、その堂々と前進する姿が目に浮かびます。ルカの福音書一三章三三節の「わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません」というイエス・キリストのことばを、私はすぐに思い起こしました。またパウロのことばも、心に浮かびました。「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、……神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです」(ピリピ三13―14)。
堂々たる前進の人生。――それはパウロにとって、第一に、目標がはっきりした人生でした。第二に、人格の完成に向かい、使命の完遂をめざす、成長前進する人生でした。そのために第三として、過去のきずなを断ち切った人生だったのです。
いつまでたっても自分のために生きるエゴイズムの人生、どこまでいっても欲得ずくで、得よう取ろうという人生、自分の肉の力だけをいつも力にする人生を生きるのでしょうか。過去の罪はイエス・キリストの血潮の中に沈めてきよめていただき、過去の栄光を忘れて、ひたすら神の栄光のために愛の道を行くべきです。この永遠の道を、たゆみなく神と共に前進していきたいものです。