座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

「父なる神は、あなたがたがお願いする先に、

2015年10月31日 19時08分34秒 | 聖書

あなたがたに必要なものを知っておられる」(マタイ6:8)

偶像を見つつ育って来た日本人は、くどくどと唱え、量を多く祈れば答えられると勘違いする。
数珠を繰りながら唱えたり、とにかく毎日時間をかけて祈る姿を見聞きするので、熱心にさえ祈るなら聞かれるというのが、潜在意識にあったりする。
そして、神よ、ああして、こうして、あっちへ行って、こっちへ来て式の指図の祈りをする。
願いが聞かれないなら神を捨ててしまう。そんな神は要らないのだ。
欲しいのは自分に都合のよい神だ。
都合の良い願いを聞いて欲しい。
つまりは、自分に都合良く人生が回って欲しい。
人生途上で神に出会ったクリスチャンも、長年培われた価値観が潜んでいて、あくまでも自分のために神があり、祈りですら神を利用する。
ところが、祈る先に必要をご存じの神だ。
祈りは何のためか。あたかも神が状況に無知かのように、くどくどと説明する必要はない。
すでにご存じとは、何と感謝で嬉しい事だろう。
熱心に祈って、祈りを手段として、祝福をもぎ取るのではない。
あなたよりも、本当のあなたをご存じの神が目の前におられ、その方は御子を殺すほどに愛して下さったお方だ。
親は子が心配する前に、必要を心配し整える。
私達は自分にとって何が本当に必要で、良いのかがわかっていない。
それを教えてくれるのが祈りだ。
祈りの中で自分が変えられ、真の必要がわかり、それを求めて行く。
お願いする先に必要をご存じ、「だから、祈りなさい」だ。
------------------
いま自分に本当に必要なものは何だろうかと素直に聞く祈りをして行こう。
必要をご存じの神様の前に、まずありのままを認める態度で祈って行かなければ、大切なものは何も受け取っていないのではないだろうか。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。