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1ヨハネ1章 :7~10節

2016年11月05日 07時39分12秒 | 聖書


★しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。
もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。

■O:今日のコラム
私達の魂はただ一度、十字架の上で成された主イエス・キリストの完全な贖いと、十字架の上で流された主イエスの血潮による継続的な聖めを必要としています。

ヨハネは手紙に「 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し」と書いています。ここにある「罪を赦し」と言う言葉はただ一度完全な赦しを与えて下さると言う意味です。

しかし、続く「すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」と言う言葉は「継続して聖め続けて下さる。」と言う意味です。

ただ一度の罪の赦しと、継続的な聖めを受ける為の重要な秘訣は、私達が自分の罪を言い表す事です。

罪を言い表し、主イエスの血潮を告白して祈る時、今もなお生きて働く主イエスの血潮が私達の罪を洗い、完全な聖さを与えて下さるのです。

そして、血潮により聖められた私達の魂は良い地となり、主の御言葉の実を豊かに結ぶ様になります。しかし、私達が悔い改めや罪を告白する事を拒むなら私達の魂は頑なになり、御言葉の実を結ぶ事が出来なくなります。「もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。」(10節)

日々、悔い改めと血潮の告白により主を愛し、主に従順する柔らかな心を受け取り続けましょう。

■A:考えてみよう
悔い改め、主イエスの血潮を告白して祈る時を持ちましょう。


■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


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