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エステル1:12(エステル1:10-20参照)

2015年09月23日 06時50分37秒 | 聖書


★しかし、王妃ワシュティから伝えられた王の命令を拒んで来ようとしなかったので、王は非常に怒り、その憤りが彼のうちで燃え立った。

■O:今日のコラム
王妃ワシュティは、王の前に来るようにという王の命令を拒否しました。

そして、王の命令に従わなかった王妃ワシュティの行為は、王を尊敬せず、軽視・軽蔑した行為であったとされ(1:17、20)、ワシュティはアハシュエロス王の前に出てはならないという勅令が出され、王妃の位を取り上げられてしまいました(1:19)。

ワシュティは王の命令、王の願いを拒み、王の言ったことに対して従うことをしなかったのです。
その為、王の前に出ることができなくなってしまったのです。


先日、ある牧師先生がシャローム教会で、素晴らしい神様からのメッセージを取り次いでくださいました。
その中で、「自分の強さ・この世の強さ」とは「恵みを受け取れない強さ」であるということ、「肉の強さ」とは「神様がYesと言っているのにNoと言うこと」、「神様がNoと言っているのにYesと言うこと」であるということを教えてくださいました。

王妃ワシュティは、王に従う心を持たず、王が言ったことに対してNOと言ったのです。
その為に、王妃として王の前に出るという恵みを受け取ることができなくなってしまったのです。

王妃ワシュティにも、王の恵みを受け取れなくする自分の強さやこの世の強さがあったのだと思います。
その自分の強さは、王に対して従わない心、王を畏れない心、不満や不平を持つ心、感謝しない心、喜ばない心、プライド、敬わない心、許さない心、愛さない心...などであったかもしれません。
そして、自分の肉の強さをを持って、王のYESに対してNOと言ったのです。


私たちも、時には気付かずに、主の恵みを受け取ることができない強さ、自分の強さやこの世の強さを持ってしまっていることがあるかもしれません。

神様に従わない心、神様を恐れない心、不満や不平を持つ心、感謝しない心、喜ばない心、プライド、敬わない心、許さない心、愛さない心…など自分の強さの為に、神様の恵みを受け取ることができなくなってしまうことがあるかもしれません。

そして、神様のYESに対してNOと言い、神様のNOに対してYESと言ってしまう肉の強さがあるかもしれません。

私は先日の礼拝の中でも、今日のデボーションの中でのこの箇所を通しても、そのような自分の強さ・肉の強さを持ってしまって、神様の恵みを受け取れなくなっていること、また神様の願い・心を願うよりも自分の思い・感情を強くしてしまうことの為にいつもあるはずの神様の恵みを見ることができなくなってしまっていることに気付かされました。

この自分の強さ、肉の強さを神様に捧げ、神様の恵みを受け取り続ける者いなりたいと願います。

ワシュティのように王に従わず王を畏れ敬わない行為のゆえに王の前に出るという恵みを受け取ることができなくなってしまうことなく、神様の願い・命令に応え、従う者になりたいと願います。

そして、神様が御前に私を呼ばれるとき、自分の思い・強さを脇に置いて、いつもその招きに答えて、主の御前に出続ける者になりたいと願います。

■A:考えてみよう
本日23日は、イスラエルではヨム・キプールの日、神様の御顔を求めて、悔い改めを持って御前に出る日です。

恵みを受け取れなくする自分の強さ、この世の強さが自分のうちにないか、
神様のYESに対してNO、NOに対してYESという肉の強さがないかどうか、
自分の思い、願い、自分の肉によって、主の恵みを受け取れない心、主の恵みに目を留めれない心がないかどうか、
神様に従わない心、神様を恐れない心、不満や不平を持つ心、感謝しない心、喜ばない心、プライド、敬わない心、許さない心、愛さない心…などがないか、
自分の強さの為に、神様の恵みを受け取ることができなくなってしまうことがないかどうか、
自分を吟味して、悔い改めの心を持って、それら全てを捧げて、御前に進み出ましょう。

「私の御前に来るように」という、神様の願い、心に従い、神様を求めて御前に出て、恵みを受け取りましょう。


■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


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