そむきの罪をおおう者は、愛を追い求める者。
同じことをくり返して言う者は、
親しい友を離れさせる。 (箴言一七9)
私が米国の神学校で学んでいた時に聞いた、ある教授の告白を忘れることができません。その教授は七十歳に近い白髪の方でした。彼がまだ若い駆け出しの大学教師のころ、その大学に、一人の年とった牧師が来て全学の学生の前で話しました。愛に満ちた真実みのある彼の話に、学生たちは大きな感銘を受けました。でも、教養のないこの老牧師は、ところどころで、学問的に間違ったことを言ったのです。若い大学教師は、学生の前でこの老牧師の無教養をあばいて、老牧師を笑いものにしました。ところが家に帰ってから、良心のとがめを感じました。自分の心が何とみにくいごうまんなものかが分かったのです。彼は大決心をして、心からのおわびの手紙をこの老牧師に書きました。すると、しばらくして、返事が来ました。今も、それを宝物のように持っているとのことでした。
Dear Charles,
Forgiven forgotten forever.
Your loving friend, James.
と、たった三行でした。しかしそこには、ほんとうの愛がありました。ほんとうの愛は、背きの罪をおおいます。それは、ゆるす愛ともいえます。素直に忘れて何も言わない愛なのです。
イエスの目には、私たちの偽りやけがれや背きなどの罪は、もう一目瞭然でしょう。しかしイエス・キリストは、何一つ責めず恥をかかせず、その十字架の血潮で、だまって私たちの罪を全部おおってくださいました。その愛によって私も生かされました。あなたも生かされるのです。
自分のことは棚にあげながら、人の欠点や失敗や罪をくどくどと何回も言う人は、愛がありません。そのため、妻や子どもや兄弟姉妹を含めて、親しい友人を失うことになります。