聖ピオ5世教皇
在位1566年-1572年
アントニオ・ギズリエーリは、1504年にイタリアのロンバルディアの貧しい家に生まれた。若いときにドミニコ会に入り、1550年に宗教裁判所長となって異端審問官を長く務めた。厳格で禁欲的な人であり、また、信心深く、臨終の人を慰めたり、施しを求める貧者を家に招いていた。教会に対する大きな愛と、聖母マリアに対する熱烈な信心が、彼の活動のエネルギーだった。
教皇になってからは、教会全体から不道徳を払拭し、トリエント公会議の改革規定の実現に力を注いだ。ローマ・カトリック要理(1566年)を出版し、聖務日課書を改訂し、ミサの形式を確立した。現在行っているミサの形式は、この時代に定式化されたローマ典礼によっている。
晩年は、ロザリオの祈りの形態を定め、トルコ軍の攻撃によって危機に陥ったヨーロッパ・キリスト教諸国のために、マリアの保護を求めてロザリオの祈りを広めたので、「ロザリオの教皇」と呼ばれている。没150年後に列聖された。