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ペテロの手紙 第一 4章7節(ミカ書6章)

2013年12月01日 08時15分29秒 | 聖書

★  万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために心を整え身を慎みなさい。

■O:今日のコラム

こないだ、ある方の証を聞きました。ある時期に、祈っても祈っても、どうにもこうにも祈れなくなり、祈ってもなんだか天井があるような、異言も出てこないような、霊に蓋をしてしまったような感覚だったときがあったと聞きました。

それが何年も続き、あまりにも辛いので、「あと一ヶ月でなにもわからなかったら、クリスチャンを辞めます」と祈ったそうです。

しかし、その一ヵ月後に礼拝の中のミニストリーで、牧師先生を通して、神様から「わたしはあなたの中学生のときに契約を結んだ」という言葉があったそうです。

そして、記憶を辿ると確かに教会学校の時間に信仰告白を教会学校の先生の言葉のあとについて言っていたことを思い出したそうです。そのとき、その方は自分がいくら離れてしまっても祈れなくても、神様はとことん一方的に自分を覚えていてくださることを知ったそうです。

■A:考えてみよう

今日の御言葉には「心を整え」とありますが、「きちんと身じたくを整え、あかりをともしていなさい。(ルカによる福音書12章35節)」、「朝明けに、わたしはあなたのために備えをし、見張りをいたします。(詩篇5篇3節)」と、花嫁が主人を待つ姿が書かれているルカ12章や詩篇にも「備え」や「整え」といった言葉が使われているのを見つけました。

「あかりをともす」ことや「見張り」が賛美と祈りであるなら、「整え」や「備え」は、感情や気分に左右されてしまう魂をみことばでいっぱいにし、霊と魂ともに主を待ち望むことだと思わされました。

神様がどれだけ遠くに思え、現実がめちゃくちゃな方向に向かっているように見えても、冷静にイエス様が主であること、イエス様が十字架にかかったことですべての罪は許されたこと、

自分の一人子さえ十字架につけるほどに私たちを愛している全知全能の神が今も生きて働いていること、そしてイエス様が花婿として私たちに目を常に向けていてくださっているという真実に、みことばを通して、目を留め続けられることができるように祈ります。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


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