座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

◆マルタは、

2018年01月24日 16時30分13秒 | 聖書
いろいろともてなしのために気が落ち着かず……。(ルカ一〇・四〇)
彼女が仕えていたことが悪かったのではない。しもべの状態にいることは、すべてのクリスチャンにふさわしいことである。「私は仕える」とのことばは、すべての天の貴族のモットーでなければならない。また「いろいろと」忙しくしていたことも彼女の落度ではなかった。主に仕えるのであれば、どんなに忙しくしてもよい。私たちは、できるだけのことをしようではないか。頭も、心も、手も、主の御用のために使おうではないか。このように尊い客をもてなす機会を与えられたマルタは、幸福である。そして身も心もそれに注ぎ込んだのも幸いであった。彼女の誤りは、「もてなしのために気が落ち着かず」主を忘れ、奉仕にのみ心が引かれていたところにある。彼女は奉仕によって、主との交わりさえ踏みにじってしまい、目前の義務のために、はるかに奥深いものを犠牲にしてしまった。
私たちはマルタとマリヤを兼備しなければならない。多くの奉仕をなすと同時に、よく霊の交わりをもたなけばならない。このために、私たちは大いなる恵みを必要とする。交わりよりも奉仕のほうが容易である。
ヨシュアはアマレクとの戦いに疲れることがなかったが、モーセは丘の頂にあって祈る時、両手を支える二人の助け手を必要とした。私たちのなすことが霊的になればなるほど、私たちは疲れるものである。珍しい果実ほど育てるのが困難である。最も聖なる徳は、養うのが最も困難である。
愛する者よ。私たちは外のことを無視するわけではなく、外のこともよいのだが、イエスとの生きた個人的な交わりを常に保っていなければならない。主の用をしているとの表面的な口実があったとしても、救い主の足もとに座ることを怠らないように注意せよ。自らのたましいの健康のためになすべき第一のこと、神の栄光のための第一のこと、そして私たちが用いられるための第一のことは、主イエスと不断の交わりを保ち、私たちの生きた信仰の霊性が、世の一切のものを離れて養われていることを知ることである。
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「それは人にはできないこと... | トップ | 1月24日(水)のつぶやき »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

聖書」カテゴリの最新記事