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◆主の植えたレバノンの杉の木……。

2016年08月13日 07時16分18秒 | 聖書
(詩篇一〇四・一六)
 
レバノンの杉の木は、主によって植えられたという点においてクリスチャンを象徴する。これはすべての神の子どもにとって真実である。彼らは人によって植えられず、自ら生えず、ただ神によって植えられたのである。ご自身で準備された心の畑に、聖霊が見えない手をもって生きた種を蒔かれた。天国の真の相続者はすべて、偉大な農夫である神によって植えられたのである。
さらにレバノンの杉の木は、人の手によって水を注がれなくてもよい。それらは高い岩の上に立ち、人の手で灌漑されることはない。私たちの天の父がそれを潤してくださるのである。信仰によって生きることを知ったクリスチャンも同様である。彼はこの世のことについても人に頼らない。彼は生きるための養いを主なる神に、ただ神のみに求めるのである。天の露は彼の糧であり、天の神は彼の泉である。
またレバノンの杉の木は、人の力によって保護されない。それらがあらしから守られるのは、人の力によるのではない。それらは神の木であり、神によって守られる。しかり。ただ神によってのみ守られている。クリスチャンも全く同様である。彼は誘惑から隠されている温室の草木ではない。彼は風雪にさらされている。彼には、永遠の神がご自身の植えられた杉の木をその大きな御翼によって常におおわれる以外に、何の避け所も保護もない。杉の木のように、信者は活力に満ち、厳冬の雪の中でも縁のままであるだけの生命力をもつ。
最後に、杉の木の繁茂している堂々たる威容は、神のみを賛美するためにある。杉の木にとっては、主のみがすべてである。そのためにダビデは詩篇の一つで、「主をほめたたえよ。……実のなる木よ。すべての杉よ」と歌った。クリスチャンの中には、人をほめたたえるものは何もない。彼は主ご自身の御手によって植えられ、育てられ、かつ保護された。それゆえ、すべての栄光を主にお返しするのである。
 
 

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