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◆自分自身のコントロール

2015年10月20日 06時49分34秒 | 聖書

自分の心を制することができない人は、
城壁のない、打ちこわされた町のようだ。(箴言二五28)
 
さてあなたは、自分の心をコントロールできますか。意志の力が強く、自分で自分がうまくコントロールできているように見える人もいます。しかしたいていの場合、より強い欲望が、他の欲望を抑えているにすぎません。
なぜ盗まないか。なぜ暴力をふるわないか。なぜ下品なことば遣いをしないか。なぜ乱暴しないか。――その理由は、人に分かったり、見られたりしたら、恥ずかしいということです。メンツがつぶれて、笑われ、侮辱され、仲間はずれにされることを恐れるからです。人は恥を知る動物として、このみえを張ったりメンツを立てようとする欲望が、他のもっと程度の低い動物的即物的欲望を抑えているのです。しかし、これは結局、みにくいエゴの奴隷的圧制です。そこには、自由も平安も喜びもないでしょう。
しかし聖書は、「神を恐れる」ことを教えます。自分の全体を生かしコントロールしている神を、神として心から尊敬し恐れかしこむ、つまり、神のコントロールの中に身をゆだねる時、清らかな新しい意味の自己コントロールができるでしょう。
さらに聖書は、心の王座に神を迎えるという方面から、このことを教えます。キリストが心の王座に座り、自我が喜んで服従する時、キリストの愛が私の愛となり、キリストの力が私の力になるのです。パウロは、「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」(ガラテヤ二20)、「私の中に住みたもうキリスト、これこそ栄光の望みです」(コロサイ一27参照)と言いました。
 
 

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