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◆主よ。

2015年08月27日 16時37分04秒 | 聖書
あなたは私を贖い出してくださいました。(詩篇三一・五)
 
この聖句は、聖い人々が臨終の際にしばしば用いたものである。信仰深い人の生死を通じての目的は、その肉体財産などにはなく、その霊にある。これが彼の最も大切な宝であり、これが完全であれば、すべてはよいのである。たましいに比べれば、この朽ちてしまう肉体は何であろう。信者は、自分のたましいを神の御手にゆだねる。それは神より出たものであり、主ご自身のものである。主はそれを支えてこられ、それを守ることがおできになる。主が信者のたましいを受け入れられるのは、実に当然なことなのである。
主の御手の中にあれば、すべては安全である。私たちが主にゆだねるものは、現在も、また私たちが急いでいるかの日にも安全である。天の守りの中に憩うならば、生きている日には平和があり、死んだ後には栄光がある。私たちは常に、私たちのすべてをイエスの忠実な御手にゆだねなければならない。その時、いのちは風前の灯火のようであり、患難は砂のように多くても、たましいは安らかであり、静かな安息所に憩う。
贖いは信頼の確実な基礎である。ダビデは、私たちが知るようにはカルバリを知らなかった。しかし、限定された贖いが彼を力づけた。それなら、永遠の贖いは、さらに快く私たちを慰めないであろうか。現在の助けのためには、過去における救いが強い訴えをなすのである。主はこれまでになされたことを、再びなされる。なぜなら主は変わらないからである。主は約束に対して忠実であり、聖徒に対してあわれみ深くあられる。主はその民を見捨てられることはない。
 あなたは私を殺されますが、私は信頼し
 ちりの中からであっても、あなたをほめたたえ
 語り尽くせないあなたの愛を
 人々に示し、語ります
 あなたは懲らしめ、正されますが
 無視することはなさいません
 身代金は支払われ、
 あなたの愛で私の希望は満たされます
 
 

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