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◆そのとき、弟子たちはみな、

2013年03月27日 09時23分32秒 | 聖書

イエスを見捨てて、逃げてしまった。(マタイ二六・五六)

主は決して弟子たちを見捨てられなかった。しかし弟子たちは、命惜しさに、主のご苦難が始まる前に臆病にも主を捨てて逃げ出した。このことは私たちに貴重な教訓を与える。すなわち、すべての信者が、もし気ままに行くならばいかに弱い者であるかを示している。すべての信者は羊にすぎない。狼が来れば彼らは逃げる。弟子たちはあらかじめこの危険を警告されており、主を捨てるよりはむしろ死を選ぶと誓っていた。しかし、彼らはあわてふためいて逃げ去った。
これは人ごとではない。今朝私は、主のためにどのような試練にも耐え、絶対忠実に仕えようと決心する。しかし心して行かなければ、使徒たちと同様、不信仰に陥り、主を見捨てるかもしれない。約束と実行とは別である。彼らがイエスのかたわらに雄々しく立ち得たならば、彼らにとって永遠の名誉であったろう。しかし彼らはその名誉から逃げ出した。私を彼らのようにならせないでください! 十二軍団よりも多くの御使いをただちに集めることのできる主の近くにいる以外に、安全な場所があるだろうか。しかし彼らはその場所から逃げ出した。神よ。私もまたこのような愚行をすることのないように守ってください。
神の恵みは臆病者を勇者とすることができる。くすぶる燈心でも、主のみこころならば祭壇の炎となって燃え上がる。うさぎのように臆病であった使徒たちも、聖霊が下ってからは獅子のように大胆になった。このように聖霊は、私の背信のたましいを変えて、勇敢に主を告白させ、その真理の証人とされるのである。
主は親しい者たちの不信仰を見て、どれほど苦しまれたことであろう。これは主の杯によどむ苦味であった。しかし主はそれを飲みほされた。私はその中に、さらに一滴を加えないようにしたい。もし私が主を捨てるならば、再び主を十字架につけ、公然と主を辱しめるのである。聖霊なる神様。どうか、このような恥ずべき結果に終わることのないように、私を守ってください。

 


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