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「この命令で、王は神のみこころをそこなった。

2015年07月18日 17時32分26秒 | 聖書

神はイスラエルを打たれた」(Ⅰ歴代21:7)

サタンがダビデを誘い込んで人口を数えさせた。
ダビデが心密かに持っていたものは、神よりも目に見えるものに、兵力に頼る罪であった。
目に見えない神よりも軍事力に頼りたい。
又、神が任せられた軍事力を自分のもの、自分の力と勘違いして、高慢に陥る罪であった。
高慢の行き着く先は滅びだ。
以前はゴリアテとの戦いで、主への信頼により勝利したダビデであり、信仰の人であった。
ダビデが滅びに至るのを神がお許しにならず、介入された。
これは神の深い愛だ。
私達も目に見えるものに頼っているだろうか。
神が下さった成功を自分が奪い、自分の栄光に、自分の所有にしていないか。
目に見えるものは強烈な影響力がある。
依存してしまう。富が幸せをもたらしてくれると頼り、又、人が幸せにしてくれると、依存するならそれは偶像だ。
心の奥では何を求めているだろう。
人は宝のある、その所に心がある。
ダビデは自らの罪のために多くの人々を巻き込んでしまった。
罪には結果が伴う。
その責任を取らねばならない。
ダビデは主の手に陥る事を選んだ。
ダビデは厳しい苦しみと痛みの中で、主の手に陥る事で、主への信頼を学んで行った。
主の憐れみは深く、どんな時も尽きることがない。
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「不信仰」による失敗をも、主の手に陥る事によって刈り取らせ、その中で主への深い「信頼」を再度学ばせて下さる。
主の愛と憐れみはどこまでも尽きない。愛されている。


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