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◆イエスは彼に言われた。

2018年05月07日 18時12分36秒 | 聖書
「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」  (ヨハネ五・八)
他の多くの人々と同様、この病人も、奇蹟がなされるしるしが与えられるのを待っていた。彼は疲れ果てて、池の面を見つめていたが、御使いは来なかった。彼のためには御使いは来なかったのである。それでも、それだけが唯一の頼りであったので待ち続けた。そして、一言で一瞬のうちにいやすことのできるお方がそばにおられるのを知らなかった。
多くの人々はこれと同じ状態にある。彼らは、何か不思議な感情、目覚ましい印象、王国の幻を期待しているが、それは全くむだである。たとえごくまれに目覚ましいしるしがあるとしても、それはきわめて例外的なことであり、それを見る権利のある者はいない。水が動いても、水の中に入る力がないと感じている者においては、特にそうである。数えきれないほどの人々が、手段、儀式、誓い、決意などを頼み、それがみなむだに終わっているのは、実に悲しいことである。彼らは、救い主が、現に生きておられるご自身を仰いで救われよ、と命じておられるのを忘れてしまっている。主は、ただちに彼らをいやすことがおできになる。しかし彼らは、御使いや奇蹟を待つほうを好む。主に信頼し、かつゆだねることは、祝福への確実な道である。主はどのような全面的信頼にも値するお方である。しかし、不信仰は、温かい愛の御胸よりも、冷たいべテスダの回廊を好むようにさせる。
おお、今夜、主がこのような状態にある群衆に御目を向けてくださいますように。全能の御力を信じない無礼を赦し、彼らを引き戻す優しい御声をかけて、失望の床より立ち上がらせ、信仰の力に満たし、床を取り上げて歩かせてくださいますように。
おお、主よ。この日没の静かな時に私たちの祈りを聞き、夜の明ける前に、彼らがあなたを仰いで生きることができますように。
賢明な読者たちよ。この教えの中に、あなたにとって益となるものがあることをぜひ悟っていただきたい。
 

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