家と財産とは先祖から受け継ぐもの。
思慮深い妻は主からのもの。 (箴言一九14)
日本人に生まれるのも、男や女に生まれるのも、貧乏人や財産家に生まれるのも、頭がよく生まれるのも、ハンサムに生まれるのも、人間にはすべて選択がききません。神のおぼしめしのままです。ところが結婚は、人間にできる大きな選択のチャンスです。ですから、大いに心して結婚相手を選び、結婚がなされなければなりません。
箴言にも、けんかと争いの絶えない妻といっしょに暮らすのは、雨もりの家に住むようだと言っています(一九13)。立っていても座っていても、仕事をしていても眠っていても、その不運から逃れられないのです。また聖書は、そんな妻といっしょに住むより、屋根の片すみに住み、荒野にひとり住むほうがましだとも言っています(箴言二一9、19)。逆にいえば、思慮深い妻を得た者の人生は祝福です。
ところで聖書は、この自由選択できると考えられる妻についても、「思慮深い妻は主からのもの」と語ります。この「主からのもの」ということばは、もとの文では非常に強調されています。人間は、容貌とか、財産・門地・学歴などで配偶者を選んでいるかもしれません。しかし、やはり神が、最もよい適当な配偶者を与えてくださるのです。アブラハムは息子の妻を捜した時、ひたすら神に祈り、財産や門地や容貌ではなく、神の導く人を求めました。そして息子のイサクも、この問題を自分の判断や欲求に任せたのでなく、ひたすら神から待ち望んだのです。配偶者について、そのように神に伺い、神の目にかなった人を神に従ってめとるという態度をとるべきことを知りましょう。
もうおそすぎると言わないでください。ご自分の息子娘たちのために、ほんとうに虚心坦懐に神の前に出て、よりたのむべきではないでしょうか。