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「人がもし、不当な苦しみを受けながらも、

2014年12月11日 18時04分24秒 | 聖書

神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです」(Ⅰペテロ2:19)

ヨセフの物語がある。これでもか、これでもかと不当な苦難が襲い、思い通りにならない環境の連続だった。
兄達の妬みを買い、エジプトへ奴隷に売られた。
突然の苦難が臨んだ。
しかし、王室でヨセフはよく仕えたが、更に次なる苦難が臨み、全くの無実の罪で牢獄へ。
しかし、そこでもヨセフは忍耐に忍耐を重ね、牢獄でよく仕えた。
濡れ衣、理不尽、不当な苦しみ、しかし、ヨセフはこれらすべての背後に神を見、神を信じ、神の計画を見ていた。
ついに最終的には、王に次ぐ総理大臣となり、ヨセフの采配により国民は飢饉の際も飢えを免れたのだ。
そのヨセフのお陰で、ヤコブの家族も飢饉のさ中で命拾いをした。
神がヨセフを予め遣わされて、すべての手はずを整えられたのだ。
ヨセフは人の悪意にさえも、神は働き、それを良きに変えて下さることを知った。
与えられた苦しい理不尽な状況の中で、権威に服し、従う事の模範だ。
理不尽な相手に仕えているか。
その中で、神はあなたを圧迫し、鍛錬し、きよめ、品格を造り上げられる。
今、あなたが不当な苦しみの中にいたら、ヨセフの神を覚えよう。
そして、主の十字架がいかに不当で、理不尽であったかを、十字架をしっかり両眼を開いて見続けよう。
十字架の下には泉があり、愚痴も不満も無くなる。
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主がいかに罪人達の反抗を忍ばれたか考えるようにと御言葉は言っている。
それは、私達の心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためだと。
ヨセフの神、主の十字架を思い今ひとたびの忍耐を祈ってみよう。


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