★まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一粒のままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。
■O:今日のコラム
麦の粒が地に蒔かれなければ、一粒の麦は一粒のままである。しかし、一粒の麦が地に蒔かれて、それから芽がでて、穂を出すならば、新しい実がたくさん結ばれるのです。この御言葉の描写は、イエス様の生き方を彷彿させてくれます。イエス様が十字架に架かって下さったからこそ、信じる者はその血によって贖われ、義と認められるのです。
ローマ5:15
ただし、恵みには違反の場合とは違う点があります。もしひとりの人の違反によって多くの人が死んだとすれば、それにもまして、神の恵みとひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、多くの人々に満ちあふれるのです。また、賜物には、罪を犯したひとりによるばあいと違った点があります。さばきのばあいは、ひとつの違反のために罪に定められたのですが、恵みのばあいは、多くの違反が義と認められるからです。
恵みが増し加わるために罪をあえて犯したり、罪の中にとどまって良いということではありませんが…(ローマ6:1~2)イエス様が十字架にかかられ、その血を流されたからこそ、その恵みが多くの人におよび、また私たちの多くの違反も義と認められるのです。
私たちもイエス様の足跡に従う者として、日々自分に死に、自分のいのちを愛するのではなく、そのいのちを失う歩みをして行きたいです。例えば、山上の垂訓を読む中においても、自分には実践するのが、またそう生きるのが難しいと思えるみことばに遭遇することもあるでしょう。しかし、その歩みの中にこそ、本当にいのちを保ち永遠のいのち至る道なのです。
マタイ7:13~14
狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見出す者はまれです。
■A:考えてみよう
みことばを日々朗読し、御霊によって祈り、みことばを実践する歩みをしていこう!!自分に難しいと思えることでも、日々悔い改め、血潮を宣言し、みことばを己のたましいに宣言して行こう!!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
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