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◆私が呼んでも、

2018年03月29日 18時18分40秒 | 聖書
答えはありませんでした。(雅歌五・六)
嘆願をする者が門で待つように、祈りも時には答えのないことがある。しかし、主はついに出て来られて、その求める祝福を満たしてくださる。主は大いなる信仰を与える時、長く待たせることによって試みられる。しもべたちの声を、銅を張った空にこだまさせるように、むなしく彼らの耳にこだまさせられる。彼らは金の門をたたく。しかし、門は微動だにしない。彼らはエレミヤのように、「あなたは雲を身にまとい、私たちの祈りをさえぎりました」と叫ぶ。このように、真の聖徒は長い間答えを待ちながら、忍耐強く祈り続ける。それは彼らの祈りが熱烈でないためでも、それらが受け入れられていないためでもない。主権者であり、みこころのままに与えることをなさる神が、そのような祈りをこの上なく喜ばれるからである。
私たちの忍耐を働かすように命ずるのを主が喜ばれるなら、主はご自分の民に対して望まれるままにされないであろうか。しかし私たちは、答えが長びくのを、祈りが拒まれたのだと判断することのないようにしなければならない。神の長期手形は期日になれば、必ず支払われる。私たちはサタンが答えられぬ祈りを指して、まことの神に対する私たちの信頼を動揺させようとするのを許してはならない。祈りが答えられないのは、祈りが届いていないためではない。神は私たちの祈りを記録しておられる。私たちの祈りは風に吹き飛ばされるのではなく、王の記録保管所のうちに大切に保管されている。
試練の中にある信者よ。あなたの主は涙のつぼを持たれ、聖い尊い悲しみの涙を保存しておられる。またノートを備えて、あなたの聖いうめきを数えておられる。やがてあなたの訴えは聞かれ、あなたは勝利を得るであろう。だから、しばしの間忍耐をすべきではないだろうか。主の時はあなたの時よりすぐれてはいないか。やがて主はいつくしみの顔を見せて、あなたのたましいの喜びとなり、あなたの長い忍耐の荒布と亜麻布とをしまわせ、希望が成就したというしるしの紅の衣を着せられるであろう。
 

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