座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

◆わたしは……季節にかなって雨を降らせる。それは祝福の雨となる。

2012年02月24日 08時19分41秒 | 聖書

(エゼキエル三四・二六)

これは主権者のいつくしみである。「わたしは……雨を降らせる」と言い得る者が神のほかにだれがあるだろうか。雲に向かって語り、雨を降らせるように命じることができるのは、ただ神お一人である。地上に雨を降らせる者はだれか。野菜の上に雨を注ぐ者はだれか。それは主ではないか。あわれみの神の賜物であり、人の造り得るものではない。
それはまた必要な恵みである。土地は雨がなけれは、どうすることもできない。あなたは土くれを砕き、種を蒔く。しかし雨がなければ、どうだろう。神の祝福はどうしても必要である。神が豊かな雨を降らし、救いを下されるまでは、あなたはむだな働きをする。
さらにまた、これは豊かな恵みである。「わたしは……雨を降らせる」とある。「しずくをこぼす」のではなく「雨を降らせる」のである。神が祝福を与えられる時には、いつも受けきれないほど多く与えてくださる。豊かな恵みよ。私たちは謙遜であり続けるため、祈り深くなるため、また聖潔になるために、豊かな恵みを必要としている。熱心になるため、生涯救いより離れることのないため、そしてついに天国に達するために、豊かな恵みが必要である。
さらに、それは時に応じた恵みである。「わたしは……季節にかなって雨を降らせる。」今朝のあなたの時はどうであろうか。かんばつの時であろうか。それならば雨を要する時である。重苦しい黒雲のただよう時であるか。それも雨を要する時である。
「あなたの力が、あなたの生きるかぎり続くように。」ここにもまた種々の祝福がある。「それは祝福の雨となる」の雨は複数である。神はあらゆる種類の祝福を送られる。すべての神の祝福は、黄金のくさりの輪のように群れとして与えられる。神が回心の恵みを与えられる時には、慰めの恵みも与えられる。
神は「祝福の雨」を送られるのである。しおれた草木であるあなたは、今日、上を見上げ、あなたの葉と花を開いて天よりの慈雨を受けなければならない。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。