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詩篇58篇11節(コリント人への手紙第一14章)

2016年07月24日 13時09分40秒 | 聖書


★こうして人々は言おう。
「まことに、正しい者には報いがある。まことに、さばく神が、地におられる。」

■O:今日のコラム
ここの箇所で、正しい者には、報いがあるとあります。また、さばく神を恐れることもありません。

私たちは、神様の前にいつも裸の状態です。何一つとして、隠せるものはありません。どんなに取り繕っても、また、人の前でよく見られたとしても、神様は全てお見通しです。。。
私たちがさばきを恐れるとき、私たちは主のみことばからズレているときです。
日々の歩みの中で、この正しい者のように、さばきを慕い、主の報いに期待する者になりたいと願います。
今の、終わりの時代、

「不正を行う者はますます不正を行い、汚れた者はますます汚れを行いなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行い、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」(黙示録22:11)

終わりの時代、この2つの生き方しかありません。どちらの生き方をして、主と会いたいでしょうか?

「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。」(黙示録22:12)

私たちは、主のさばきから逃れることはできません。そうであるなら、私はイエス様を恐れて待ちたくありません。イエス様のさばきを恋い慕って、期待して待ちたいです。
今一度、日々の歩みを点検していきたいと思います。主のみことばの基準からズレているところ、主に見られたくない私たちの言動。。真実な悔い改めをもって、主のみことばの基準に方向転換していきましょう。
また、熱心に聖霊様、みことば、血潮によって、聖められ続けることを求め、取り組んでいきましょう。
主は必ず、私たちに豊かな報いを携えて迎えに来てくれます!




■A:考えてみよう
主のさばきを恐れてしまう、私たちの言動はあるでしょうか?

「わたしのたましいは、いつもあなたのさばきを慕い、砕かれています。」(詩編119:20)

主の前に正直に出て行き、悔い改め、主の血潮の聖めを受け取っていきましょう。

■P:祈り


イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


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