すべて、最上の物があります。私の愛する方よ。これはあなたのためにたくわえたものです。(雅歌七・一三)
花嫁は、自分の作ったすべての果実をイエスにささげることを願う。私たちの心は、「すべて、最上の物」の「新しいのも、古いのも」もち、それらを愛する方のために蓄えている。秋の豊かな果実の季節に、その蓄えたものを調べようではないか。
私たちは新しい果実をもつ。そして新しいいのち、喜び、感謝を得たいと思う。私たちの心に新しい祈りの花が開き、たましいは新しい努力を決意している。
しかし私たちはまた古い果実ももつ。そこに私たちの最初の愛がある。これはイエスの喜ばれたものだ。そこには私たちの最初の信仰がある。何ももたなかった私たちが、それによりすべてを所有するようになった。初めて主を知った時に、私たちには喜びがあった。それを復活させようではないか。私たちは神の約束に関する古い記憶をもつ。病んでいる時にも、神はいかにやわらかに私たちの床をのべられたか。深い水の中でも、いかに穏やかに支えてくださったか。燃える炉の中から、いかに優しく救ってくださったか。実にこれが古い果実である。私たちは多くの古い果実をもつ。神の恵みは私たちの髪の毛よりも多いからである。
古い罪を悔いる必要がある。しかし過ぎ去った時、私たちは主の与えられる悔い改めをした。十字架の下に泣き伏して罪をわび、主の血潮のいさおしを知った。
今朝私たちは、新旧とりどりの果実をもつ。しかし、要は、それがすべてイエスのために蓄えられていることにある。まことに、それは最上の、最も受け入れられるべき奉仕である。そしてこの奉仕において、イエスがたましいの唯一の対象であり、混じり気ない主の栄光が、私たちの努力の目標である。私たちは、多くの果実を、愛する方のためにのみ蓄えようではないか。
イエス様。私たちは自分の園のとびらを開きます。あなたが血の汗を注がれた地に生じた良い果実を盗もうとして入る者は、一人もいません。私たちのすべてはあなたのもの、ただあなただけのものです!